その5

夜の校庭に1人と1匹が取り残された。

直前までの騒ぎが嘘のように、辺りに静寂が戻る。


そして。

やべえニャやべえニャ、と我に返ったウィスカーが慌て出した。

「所詮、人間相手と油断したモニャ!ボクが傍観していたせいで、大変なことになったニャニャ!ツバメが殺されたニャ!」

大きな頭を小さな前足で掻きむしる。


「落ち着け、ニャンコ!ツバメは死んでねえ。調べるとかなんとか、ニセ幽霊が言ってたからな」

陽子は冷静だった。

いつの間に身体を起こしたのか、地面にあぐらをかき、腕を組んでいる。

「そうニャ、そうニャ。すぐに追い掛けるモニャ」

「おう、行くぞ!」

陽子は立ち上がろうとする。

だが、力を込めた膝がブルブルと震え、陽子はその場に崩れ落ちた。

いくら平気を装っていても、蓄積されたダメージは無視できない。

タコ足による度重なる攻撃が大きな疲労となり、彼女の背に覆いかぶさっていた。


「いや、キミを連れてくとは言ってないモニャ!病院行けニャ!」

「平気だよ、こんくらい」

陽子は膝を拳で叩く。

「ツバメはアタシのせいで捕まったようなもんだ。アタシが助けに行かないでどうする。それに、お前が1匹でどうにかなるのかよ」

「それは......」

ウィスカーは言葉に詰まった。

たしかに何の策もない。が、満身創痍の陽子がいたところで......。


「違うニャ!その手があったニャ!」

ウィスカーはいきなり叫んだ。

ひらめいた、というより今更ながらに思い出した。

なんせ、もとよりツバメはそのために陽子に近づいたのである。

「陽子、キミに協力して欲しいモニャ!」

「あん?だからそう言ってんだろ。グズグズすんなよ、ニャンコ」

陽子は腕の力で跳ねるように立ち、ガクガクと笑う膝の上でバランスをとる。

そして幼児のような覚束なさで、一歩一歩と進み出した。


「待つニャ。いくらなんでもそのままは無理モニャ。しかもキミは素っ裸ニャし」

ウィスカーが止めると、

「お前だって服着てねえだろ。けど、まあアタシはさすがにマズいか」

陽子は身体を見下ろすと、ここへきてようやくあちこちを手で隠した。

「でも服がどっか行ったもん」

「んニャ。それで、陽子。君にはこれを付けて欲しいニャ」

ウィスカーは、持っていたトランクを地面に置いた。

ロックを解除し蓋を開ける。

そして中を覗きながら、迷うように前足を顎にあてると、ネコは奇妙な歌を口ずさみだした。


口ヒゲ  あごヒゲ  どじょうヒゲ


チョビヒゲ  もみヒゲ  無精ヒゲ


くろ、あお、あかヒゲ  ネコのヒゲ


やがて、中からオレンジ色をした毛の塊を、大切そうに取り出す。

25cm程の半円形で、毛の長さ自体は10cmといったところか。

「何だそりゃ」

「付けヒゲだモニャ。急ぐニャ」

ウィスカーから受け取ったヒゲを、陽子は指でつまみ、振ってみる。

「......ヒゲ付けてたら、裸でも街中いけるか?」

「バカかニャ、変身するモニャ!ツバメみたいに」

「おう、そういうことか」

何事もすぐに受け入れる陽子である。

躊躇もなく、顔の輪郭に沿ってヒゲを貼り付けた。

こめかみからこめかみまである、えらく立派な顎ヒゲである。

「これでいいのか?」

そう言ってウィスカーの方を向いてみせた瞬間、陽子の全身が光に包まれた。


夜の校庭に場違いなファンファーレが鳴り響く。

「わわわわ」

驚く陽子の身体がふわりと浮き上がった。

裸だった彼女の輪郭を、次々と魔法の衣装が包んでいく。


焦げ茶色の皮の服に、真っ赤な毛皮のマントとグローブ。

カボチャのような裾のないブラウンのパンツと、ふくらはぎまでを革紐で締めた編み上げのサンダル。

ボサボサだった髪が逆立ち、顎ヒゲと同じオレンジ色に変わる。

そのてっぺんには黄金に輝く王冠が現れた。

ヒゲと髪が繋がり、顔を毛で囲われたその様は、まるで雄ライオンである。


地面に降り立った陽子は叫ぶ。


「輝くヒゲにみなぎるパワー!燃える毛根‼︎ヒゲシャイニー、参上!」


例によって本人の意思ではない、勝手に口から出てくるセリフである。

「って、おお!よくわかんねーけど、格好いいじゃん!」

陽子は身体を見下ろし、各箇所をチェックする。

気に入ったようである。

腕を曲げ、ボディビルダーのようなポーズをとった。

「しかも身体が全然痛くねえ!」


「やっぱり、君にはそのヒゲが似合うと思ったニャ。君は今日からヒゲグリモーの1人、光の戦士ヒゲシャイニーだモニャ!」

ウィスカーが目を輝かせた。

「オッケー!これでツバメみてーに速く動けるんだな。よっしゃあ、行くぜ相棒!」

陽子はグローブに包まれた両拳を打ち合わせる。

そのノリの良さに、

「な、なんと素直な子ニャ」

ウィスカーは感極まる。

そんな場合ではないと知りつつ、感動せずにはいられない。

この町に、こんなにすんなりとヒゲを受け入れてくれる少女がいるとは、ウィスカー自身思っていなかったのだ。

素質のありそうな子に声を掛ければ悲鳴と共に逃げられるし、ようやく見つけたツバメにしても、ヒゲなんて興味ないだのキモいだのと駄々をこねる。

孤立無縁の毎日に、実のところウィスカーの心はひどく傷付いていたのだ。

そこへきての日向陽子である。

ヒゲを付けて不敵に笑う彼女には、後光が差して見えた。


「泣いてる場合か、ニャンコ。早く幽霊を見つけてツバメを助けるぞ!」

陽子は土埃を巻き上げながら、駆け出した。

「な、泣いてニャイやい!」

みるみる小さくなる彼女の背中を、ウィスカーは慌てて追い掛ける。

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