その8

「なによ、次から次へと命令してきて。私は何にも知らないんだからね」

ぶつくさ言いながら、タクトを振る。

そして何回か繰り返したときである。

何かを踏むような「タン」という微かな音が左前方からツバメの耳に飛び込んできた。

そちらへ首を曲げると、300メートルほど向こう、低いビルの屋上に、何やら小さな光が灯っているのが見えた。

ピンポン玉くらいの大きさの光である。

「何あれ」

ツバメが目を細めると直後、その光球の少し向こう側に、また同じような光が灯った。

同時に「タン」と音がする。

遠くで点灯する光に合わせ、音はなぜかツバメのすぐそばで聞こえるように感じられた。

3、4m置きに光は増えていき、それと共に音が聞こえた。

連続する光球のラインはビルの端までくると、隣の建物へと移り、また伸びていく。

音と共に数を増やす光の正体。

それを見極めようと、ツバメは目を凝らす。


影が見えた。

夜の闇に紛れて、何者かがビルの上を走っている。

光球はその影の通ったところ、足跡の上に点灯していくようだった。

ツバメが影を指で指しながら振り向くと、ウィスカーが叫んだ。

「よくやったニャ!アリスを見つけたニャ!」

夜空を駆ける影が怪盗アリスだとはツバメにもわかるが、アリスの残していく光が何なのかが不明である。

光の点灯と共に発生する音も、小さなものであるにも関わらず、やけによく聞こえてくる。

「キミがアリスの足音を捕まえたモニャ。ヒゲエンビーは一度聞いた音をサーチし、固めることができるのニャ」

ウィスカーが言った。

「タン」という音はアリスの足音で、光の球は足音が形になったものである、という説明らしい。

ツバメが記憶の中にある音を心に念じると、周囲一帯からそれと同一のものを、タクトが探し出してくれる。

そういう能力をヒゲエンビーは有しているのだ、とウィスカーは語った。

そしてまた指示を出す。

「エンビータクトをあっちに向けて、音を固定するモニャ」

よくわからずにツバメがタクトを光の方へ向けると、輝きを失いかけていた最初の光がピクンと震え、再び光度を上げた。

「さあ、あとを追うニャ!キミがアリスの足音を掴まえている限り、行方を見失うことはないモニャ」

点々と数を増やす光球の列に向けて、ツバメは再び屋根を蹴った。


光に近づいていくと、タクトの先から糸のような5本の光線が放たれる。

光線はうねりながら前方に伸び、その上に光の球が集まりだした。

光線は光の球を繋ぎながら、先へ先へと伸びていく。

アリスの足音があの小さな光球であるなら、それを結ぶ線の先にアリス本人がいるのだろう。

線をなぞるようにツバメは駆ける。

線上の光球はタクトに触れると、アリスの足音を再現しながら、タクトの先端を中心に、渦を巻いて回り出した。

やがて光の数が数10に及んだ頃、ツバメの目に青いドレスが飛び込んできた。

アリスである。

いつの間にか、その距離は20m程に縮まっていた。

ツバメは叫ぶ。

「見つけたわよ、怪盗アリス!逃がさないから!」

金髪を振り乱した影が、ギョッとして振り返る。

「げっ!」

ツバメは走りながらも、思わず仰け反ってしまった。


振り返った怪盗アリス。

その姿は異様だった。

まず何より、頭が恐ろしく大きい。

軽く肩幅の2倍はある。

バランスボール大の巨大な首が、胴体の上に乗っかっていた。

ボリュームのある長い金髪と黒々としたまつ毛。

ソフトボールほどの瞳と、不気味に垂れ下がったわし鼻。

耳まで裂けた真っ赤な口が、笑った形で張り付いている。

まさに張りぼてだ。

ツバメはすぐに見て取った。

巨大な作り物の女の頭を、アリスは被っている。

そして身体。

完全に男だった。

頭部を張りぼてで隠しているためわかりにくいが、身長はおそらく180cm以上あるだろう。

厚い胸板に太い四肢が、動きに合わせて、筋肉の塊をボコボコと隆起させている。

それが白いタイツや青いエプロンドレスを身に付けているのだから、どう見ても変態か怪人である。

目撃情報には合致しているが、まさに目の前にしてみると、にわかには信じられない気味の悪さである。

加代が見たら何と言うだろうか、とツバメは場違いに思った。

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