その9
不意にアリスが口を開いた。
と言っても、張りぼての口は動いていない。
中の男が野太い声で喋り出したのだ。
「なんだ貴様。変な格好しやがって」
作り物の瞳が、シルクハットに燕尾服、そして鼻の下にヒゲを付けた少女を無機質に見つめている。
しかし、ツバメに言い返す資格は十分にあった。
「あ、あんたに言われたかないわ!バイオリンを返しなさいよ!」
「あん?嫌だよ、ばーか」
ヒゲ少女を追っ手だと判断したアリスは前に向き直り、屋根から屋根へと跳ね回りながら逃げていく。
だがここまで追い付けば、不思議な力を得たツバメの方が有利だった。
見る間にアリスとの距離は詰まり、とうとう手が届きそうなところまで近づいた。
ツバメは左手を強く握り締め、後ろに引いた。
大きく跳躍し、アリスの背中を殴るつもりである。
その瞬間、アリスが再び振り返った。
否、正確には、身体は相変わらず前を向いたままだった。
巨大な首だけが、ぐるりと180度回転したのだ。
アリスの裂けた口が大きく開き、中から何かが突き出た。
黒い光沢を放つ、細長い筒状のものである。
まるで銃口みたいだな、とツバメが思ったとき、ウィスカーが声を上げた。
「銃口だモニャ!避けるモニャ!」
咄嗟にツバメが左へ跳んだ瞬間、蹴った屋根瓦が銃声と共に弾け飛ぶ。
まさか口の中から発砲してくるとは。
反射で弾を避けられたものの、足がもつれたツバメは角度のついた屋根で体勢を崩した。
斜面を転がり落ちる彼女の跡を、容赦なく銃弾が追い掛ける。
幸い1発も当たらなかったのは、ツバメが屋根から地面へと落下し、アリスの死角に入ったためだ。
アスファルトに身体を打ち付けたツバメの上に、アリスの笑い声が降ってくる。
「あばよ、ヒゲっ娘!」
屋根の上の気配が遠ざかっていった。
あと一歩というところでアリスに届かず、反対に撃退されてしまった。
だが、ツバメは夜空をきっと睨み付ける。
彼女は怯まなかった。
銃で狙われたにも関わらず、不思議なほど恐怖を感じない。
現実感があまりに乏しいこの状況と、そしてアリスへの怒りが、彼女を妙なハイ状態にしていた。
ツバメは急ぎ起き上がる。
「危なかったニャア」
フワフワとツバメの足元に降りてきたウィスカーが息を吐いた。
ツバメは自分の身体を見回す。
これも不思議なヒゲの力によるものか。
派手に転がりながら屋根から落ちたにも関わらず、彼女の身体や衣装は何の損傷もなかった。
頭の上のシルクハットさえ少しもずれていない。
「よし!」
無事を確認したツバメは膝をグルグルと回すと、また駆け出した。
落ちたのは狭い路地だ。
家と家の隙間を、植木鉢やポリバケツを避けながら走り抜ける。
再びアリスを見失ってしまったが問題はない。
アリスの足音をタクトが拾ってくれるからだ。
そう考えていたツバメは、右手の先を見て驚いた。
タクトから出ていた五線譜状の光線が消えている。
屋根から落ちた拍子に、アリスとの接続が切れてしまったようだ。
これでは向こうの位置がわからない。
しかしその代わりに。
「何、これ」
タクトの先端、渦を巻くビー玉ほどの光の群れに混じって、バレーボール大の光球が7つ余り、互いに重なりながらグルグルと回っていたのだ。
「小さい光はアリスの足音モニャ。大きな方は銃声モニャ」
ウィスカーが説明する。
怪盗アリスに繋がる5本の光線が途切れる直前、タクトはアリスの放った銃声を拾い、回収していたという。
ツバメの持つタクトは、光線で結んだ対象から出る音を、全て集めることができるようだ。
「音でできた光球は武器になるからとっとくニャ。音は空気の振動ニャから、それをまとめてぶつければアリスを潰せるモニャ」
ウィスカーはタクトを前に突き出すジェスチャーをする。
「これ、そんな風に使えるんだ。てかそんな重要なこと、もっと早くに言ってよ!」
ツバメは横向きに、塀の間をすり抜けながら言った。
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