side by side その3

「日向......さん?」

虚ろな目でこちらを見下ろす陽子を、ツバメは小さく呼んだ。

だが、やはり返事はない。

まるで言葉が通じていないようである。


「おーい、陽子おねえちゃーん!」

そんな彼女に声を掛けたのは少年、マオマオだった。

境内に立つ彼は、口に手をかざし言う。

「そいつをこっちへ引きずり下ろせ!」

その瞬間、陽子は動いた。

力強く握った右拳を振り上げつつ、足を踏み出す。

「待って、日向さ......」

慌てたツバメがしゃがんだ姿勢から後ろへ跳ぶと、寸前まで彼女が踏んでいた瓦が爆発したような音を立て砕け散った。


この場に味方は1人もいない。

屋根に突き刺さった拳を引き抜く陽子を前に、ツバメは悟った。

陽子はマオマオの命令に従っている。

何らかの術、恐らくドジョウヒゲの能力で従わされている。

他人を操る術。

そう一言で言えば、一昨日のニセ幽霊少女とカブるが、ツバメが様子を見るにそれと今回とは似て非なるものだ。

マオマオから言葉による指示を出され、陽子は動いた。

ということは、陽子の一挙手一投足をマオマオが操っているわけではない。

今度のはどうやら洗脳、もしくは催眠術のようなものであり、陽子の意識自体は残されているようである。

要するに、命令遂行の仕方は陽子が自ら考え、判断しているということだ。

この違いは重要なところである。

つまり。

「ちょちょっ、待って!」

陽子は強いままなのだ。

誰にも下手な操縦をされず、彼女は持ち前のセンスを駆使して襲い掛かってくるということになる。

厄介過ぎる敵だった。


一切の容赦なく捕らえにくる陽子に対し、ツバメはまたもや逃げ回ることを強いられる。

しかし逃げるといっても、次々と破壊されていく屋根から離れることは許されない。

すでに社の四方は、男達に包囲されていた。

地面に降りても敵が増えるだけである。

そして陣地が狭く、足場の悪い斜面での鬼ごっこは続かない。

あっという間にツバメは、屋根の片隅に追いやられた。

「日向さん、しっかりして下さい!私です!」

ツバメは必死に呼び掛けた。

だが陽子は応じることもなく、表情を失ったまま一直線にやってくる。

どうしても彼女は敵であるらしい。

それならば、

「ごめんなさい」

ツバメも戦うしかない。

陽子に顔を向けたまま、彼女はしゃがみ、屋根に左手をつく。

そして2枚の瓦を一度に剥がすと、眼前に迫る陽子へ投げ付けた。

重量のある素焼きの瓦が、回転しながら風を切る。


しかし。

ガシャガシャンという不快な音と共に瓦は砕かれた。

陽子の、しかもヒゲシャイニーとなった彼女の動体視力を持ってすれば、ツバメの投擲など取るに足らないということだ。

ハエを払うように瓦は叩かれ、粉々になる。

だがツバメはまた屋根瓦を左手に取った。

取ったそばから次々と陽子へ投げていく。

「無駄だよ!時間稼ぎにもならない」

鬱陶しくも、マオマオが下から野次ってくる。

しかし彼の言う通りだ。

飛んでくる障害物を、陽子は拳でつぶさに破壊する。

足を止めさえしない。

大きな音を立て瓦の破片が散らばる中、とうとう陽子の手がツバメに届く距離になる。


「こっちだ、こっちに投げ落とせ!」

マオマオは笑いながら、地面を指差した。

その言葉に従おうと、陽子がツバメの胸ぐらを掴もうとしたときである。

「すみません、日向さん」

ツバメは背中に隠していた右腕を前に出した。

彼女の手に握られたタクト。

その先にはソフトボール大の光球が10個ほど、円を描いて周っていた。

「でも、日向さんが割った瓦の音ですからね」


放たれた音符球が陽子にぶつかり、そして弾ける。

「がっ‼︎」

陽子は喉から嫌な声を漏らした。

音の振動攻撃を全身に受け硬直する。

その隙をつき、ツバメは陽子の鳩尾を思い切り蹴った。

急所を突かれた陽子は背後に吹っ飛び、傾斜をゴロゴロと転がり落ちていく。

そしてそのまま、屋根の端に至り姿を消した。

「あっ、やばっ!」

ツバメは小さく叫ぶ。

思いのほか音による不意打ちが通用してしまった。

屋根から地面までは3、4m。

ヒゲグリモーであれば落ちても死にはしないだろうが、硬直した身体では受け身も取れまい。

「日向さん!」

ツバメは慌てて屋根の端に近づくと、身を乗り出して下を覗いた。

瞬間、彼女は足首を掴まれる。

屋根のへりに片手でぶら下がった陽子と目が合う。

彼女は地面に落ちていなかった。

ツバメの攻撃など大して効いていなかったらしい。


やられた。

そう思うのも束の間、ツバメは凄まじい力強さで足を引かれた。

「ああっ、嫌!」

ワニに水の中へ引き込まれるインパラの如しである。

抵抗も虚しく、ツバメは地面へと落とされた。

足首を陽子に掴まれたままであるため、おかしな姿勢で石畳に身体を打ち付ける。

陽子の身を案じた結果がこれだ。

「な、納得、いかないんですけど......」

ツバメは仰向けに寝転がり、痛む肩を押さえた。

だが陽子のターンは終わらない。

ツバメの腹に馬乗りになり身動きを封じると、両拳で彼女を殴り付ける。

「ひな......、やめ......」

ツバメは腕で頭を守るのが精一杯だった。

間断なく繰り出される陽子のラッシュ、その一発一発が恐ろしく重い。

砲丸の雨が降りそそぐようである。

ツバメの記憶からすると、マオマオもここまでしろとは言ってなかった筈だが、抗議することもできない。

ただただ耐えるしかなかった。


それからどれくらい経った頃だろうか。

「もういいでしょ、陽子おねえちゃん」

マオマオの一言に、陽子はツバメへの連打をピタリと止める。

「はあっ、はあっ」

ツバメは息を吐き出し、脱力した。

上半身がくまなく痛い。

激痛で身をよじることもできない。

一方でマオマオは、そんなツバメを見下ろしながら言った。

「用のない奴を時間掛けて責めたってしょうがないよ」

冷たい目で少年は続ける。

「ウィスカーの居場所を知らないならもういらない。さっさとやっちゃって」

彼の忠実な僕、陽子は頷く。

握っていた両拳を開き、疲弊しきったツバメの首を包むように握った。

殺される。

ツバメの視界が俄かに色を失った。

陽子の10本の指に、徐々に力がこもる。


万力のような力強さだった。

ツバメが振りほどこうとしても、グローブを掻きむしろうとも、陽子の手はビクともしない。

ツバメは、頭がガンガンと脈打つと共に、急激に冷えていくのを感じた。

まずい、このままでは陽子の手で殺される。

なんとかしなくては本当に死ぬ。

揺らぐ意識のなか、ツバメは必死に打開策を探す。

マウントを取る陽子に腕力で対抗するのは不可能だ。

同じヒゲグリモーでも、そもそもの力量が違い過ぎる。

となれば彼女にかかった術、マオマオの命令に従うという呪いを一瞬でも解かなければならない。

どうしたらいい。

マオマオが陽子を操っている、その仕組みはなんだ?

ツバメはそこで目を見開いた。


............これじゃん。

ぼやけた視界に映る妙なものの存在に、ツバメはこの土壇場にて気が付いた。

それは陽子の腹の辺りに貼られた長方形の札である。

「傀儡 ヨウコ」

白い札に墨文字でそう書かれている。

明らかに怪しい、というかこれしかない。

ツバメは己の不注意に呆れた。

どうして今の今まで気付かなかったのか。

あえて理由を挙げるならば、ツバメがヒゲシャイニーのコスチュームをあまりよく知らず、また遠目からでは派手な衣装に札が紛れてわかりづらかったためなのだが、そんな言い訳をする相手もいない。

割りを食いまくっているのは他ならぬ自分である。

俄かに湧き出した自らへの怒りを糧に、ツバメは陽子の胴着に手を伸ばした。

札の角をつまみ、引き剥がそうとする。

だが、

「取れないよ、バーカ!」

今やどこにいるかもわからないマオマオの嘲笑が、ツバメの耳に響く。

「一度貼られたら最後、その札を剥がせるのは僕だけなんだよ!」

絶望的な一言だった。

そしてまたも彼の言う通り、いくらツバメが引っ張ろうとも、陽子の服に貼り付いた札はニカワで合わせたように剥がれない。

焦りと恐怖により、ツバメの視界が暗くなる。

「これは僕の魔法なんだよ、誰でも簡単に取れたらダメでしょ!普通そうでしょ!何をしようがもう遅いのさ、お前はもうおしまい!ウィスカーと関わったことを後悔しながら死んでいけ!」

マオマオは高らかに、憎たらしく叫んだ。

あははは!

あははははははは!


「......た......なら......」

そんな少年の笑い声に、かすれた吐息が割り込む。

ツバメがパクパクと口を開いていた。

何か言っている。

「は?なんて?」

マオマオはニヤけながら、死にかけた少女に耳を寄せる。

「命乞いなら聞こえるように言ってよ。聞かせてみなよ!」

しかし実際のところ、ツバメは諦めてなどいなかった。

「あんたの札が剥がせないなら」

声にならない言葉と共に、ツバメは腕を持ち上げる。

そして彼女が新たに掴んだもの。

それは陽子の、ヒゲシャイニーの輪郭を覆う顎ヒゲだった。

「こっちは......どうなのよ」

ツバメは陽子のヒゲを一息に引き剥がす。

その瞬間、陽子の身体を光が包んだ。

ヒゲグリモーの変身解除の合図である。

「お前っ!」

マオマオが目を剥くその前で、陽子のコスチュームが消える。

ツバメの首を掴むグローブ、金の王冠に真っ赤なマント、革のブーツが光の粒となり霧消していく。

そして。

貼り付く対象がなくなれば、魔法の札とて効力を持続できない。

4枚の紙切れはヒラヒラと地面に落下した。


ゼエハアと荒い深呼吸をするツバメの腹の上、残ったのはTシャツに短パン姿の陽子だった。

キョトンとした表情の彼女は幾度か瞬きを繰り返す。

それからようやく、自分の下敷きになりつつ息を荒げる少女に目を留めた。


「おう、スルメじゃねえか!」

今までで最低の言い間違いだが、ツバメには突っ込む気力も体力もない。

「何してんだよ、アタシのケツの下に潜り込んで」

「............ころすぞ」

カラカラと笑う陽子に、そう返すのが精一杯だった。

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