その6

 板の上をゴロゴロと転がるボールが、整列した10本のピンをなぎ倒す。

「イエーイ!」

 レーンに立つ少年は得意げな顔で振り返ると、仲間達に駆け寄りハイタッチを交わした。

 彼らの頭上では、年代物の分厚いテレビの中、ペンギンの絵とストライクの文字がチカチカと踊っている。


 林真下駅前「ピンボールビル」。

 映画館やパチンコ屋の入った娯楽施設だが、開業が約30年前となかなかに古い。えんじと黄土色で塗られた外壁はレトロ調を狙ったものだが、建物の老朽化した今や、ただの時代遅れである。当時は派手だったろうネオンの電飾もそのほとんどが切れたまま、修理もされずに弱々しく点滅している。

 その4階にあるのがここ、ジョリーボウルという名のボウリング場である。

 眠くなりそうなほど淡い蛍光灯に、座面の破れたシート。黒ずんだチェック柄の床。ジュークボックスには大昔のポップスしか入っていない。

 普段から人気はないが、平日の午後10時となれば尚更で、10あるレーンのうち遊戯中のものは2つのみだった。

 そのうちの1レーンで騒いでいるのは、少年達だ。おかしな投げ方をしたりヤジを飛ばしたりしては、不自然なほどの大笑いをしている。とにかく場を盛り上げようと必死な感があった。

 というのも、彼らはそこにいる1人の少女の機嫌をとることに躍起になっていたからである。

 ボウリングには参加せず、座席の中央に座る少女。

 須永ミチルは静かに微笑みながら、不良少年達のプレイを見守っている。一見すると不機嫌な様子はない。

 しかし、少年達は知っていた。笑みをたたえながらも無口なときのミチルが1番恐ろしいのだ。

 こういうときの彼女は腹の中で何を考えているか全くわからず、突然ムチャクチャな提案をしてくることがよくあった。あるときなど、この中で誰がもっとも強いかが気になる言い出し、互いに殴り合いをさせられたこともある。

 何故ミチルが不機嫌かなどどうでもいい。なんとかして、早く彼女を喜ばせなければ。

 少年達は焦りながら周囲を見回す。

 そして、彼らは同時に目をとめた。


 レーンの一番端。やけに背の高い、30代半ばほどの男が、たった1人で球を抱えて立っている。

 背筋を伸ばした男は真剣な眼差しで前方のピンを見つめ、どうやら球の軌道を頭に描いているようである。

 しかしボウリングが趣味で通っている男、という風には見えない。いかにも動きにくそうな、ぴったりとした黒いスーツを着込んでいるからだ。普通、投球時にはジャケットだけでも脱ぐ。

 さて男は1人深呼吸をし、動いた。踏み出される長い脚と、大きく振りかぶった腕。

 ひょろ長い腕の先端でボウリング球が弧を描く様は、まるで鉄球の付いたクレーンのような迫力である。

 そして、強い遠心力で放たれた球はレーンを恐ろしいスピードで転がり、わずか3m先でガーターに落ちた。

 いつの間にか固唾を飲んで見入っていた少年達は、揃ってずっこける。

 見られていることに気付かない男は、納得がいかないという様子で首を捻りながら後ろへ退がり、直後滑って尻餅をついた。

 かっこ悪い。どうやらボーリングシューズにも慣れていないほどのド素人である。

 おおかた職場のボウリング大会にでも向けて、コソコソと自主練をしているのだろう。

 しかし衣装や佇まいから見るに、そこそこ羽振りは良さそうだ。

 少年達は顔を見合わせ、ニヤリと笑った。

 ミチルを楽しませるには、あいつで遊ぶしかない。



「ぐえっ!」

 灯りの乏しい夜の公園に、苦しげなうめき声が響く。

 地面に突っ伏す少年達を見下ろしながら、男は白手袋に付いたホコリを払った。

「何よあんた達。元気よくカラんで来たと思ったら、もうおしまい?」

 呆れた口調で、男は言った。

「せっかくボウリングとやらを楽しんでたのに、もうちょっと頑張ってくれないと埋め合わせにもならないじゃないの。ピンより簡単に倒れちゃうなんて情けないわ。今度からはちゃんと相手を見ることね」

 否、少年達は十分見たつもりだった。

 ボウリングすらまともにできない、インテリのくせに世間知らずで、友達のいない小金持ち。

 そうプロファイリングしたからこそ、彼らは男を狩ろうと、夜の公園まで連れて来たのだ。これもミチルの機嫌を取るためである。

 しかしいざ取り囲んでみたところ、男は脅える素振りを毛ほども見せなかった。人間がどうの世界がどうのと、よくわからないことをオネエ言葉で喋り続ける。

 その可愛げのない反応に、少年達はやがて苛立ち、7人で一斉に殴りかかった。

 それからわずか1分後が、今の惨状である。

 彼の細腕のどこにそんな力があるのか、男はまるで草むらを掻き分けるかのように少年達の拳を捌き、同時に反撃をした。

 息一つ乱すことなく、少年達をあっという間に蹂躙したのだった。


「生きてるとさあ。突然自分が加害者になっちゃうことって結構あるわよね」

 男は世間話をするように言った。

「そんな大袈裟なことじゃなくって。たとえば、その日最後のケーキを自分が買ってしまって、後に並んでた人が手に入れられなかったとき。前を歩いてる人が落とし物をしたのに、タイミングを外して、教えてあげられなかったとき。こっちにはまるで非がないのに、軽い罪悪感を覚えることってあるじゃない。あるでしょ?」

 答える者はいない。少年達は皆、腹や顔を押さえながら震えている。

「今のあんた達を見てそれを思い出したってわけ。私は誰にも迷惑かけずにボウリングをしていただけなのに、あんた達が突っかかってきたおかげで、こうして暴力を振るうハメになったのよ。まるで悪者みたいに。実にかわいそうだと思わない?」

 やはり反応はないが、男は気にせず喋り続ける。

「意図せずとも、誰しもが誰かにとっての加害者になり得る。だから私はあんた達を責めたりはしない。ああ違うの、私が言ってるのは人間全てのことよ。人間は無自覚に、だけどあまりに繁殖した。他の生き物を荒らす加害者になってしまった。だから仕方なく滅んでもらうの。悪く思わないでね」

 意味はまったくわからない。

 だが『滅んでもらう』という言葉に、少年達は怖気立った。

 このイカれた男は自分達を殺す気だ。

 そう受け取った彼らは痛みを忘れ立ち上がる。

「うわあああぁああ‼︎」

 半狂乱になった少年達は、我れ先にと逃げ出した。

「何よもう。まだ話したりないのに」

 残念そうに男は言った。そして、1人残る少女に目を向ける。

「あらら。置いてかれちゃったわね」


 少し離れたところにポツンと立つミチルは、微笑みながら首を傾けた。

「はあ。そうですねえ」

「あなた、怖くないの?」

「あ、私ですか? 何を怖がるんです?」

 ミチルは不思議そうに尋ねる。

「何って。あなたのお友達をみんな伸しちゃった見知らぬ男と、ひとけのない夜の公園で2人きりって状況のことよ」

「私はあなたに何もしていないんだから、危害を加えられる理由がないじゃないですか」

「それはそうだけど、そもそも私に理由なんて必要ないかもよ?」

「言うまでもないですが、私にはあなたの暴力に抗う力はないだろうし、逃げることも無理でしょう。殴られたら1発で死ぬかもしれません。私ってば、とっても体力がないんですもの。だったら、泣こうが喚こうが意味ないですよね。無意味なことはしない方がいいと思いませんか?」

「心って、そう簡単にスイッチできるものじゃないけどね。あなた、なかなかな不思議ちゃんね」

「よく言われます。私はそうは思いませんけど」

「子分がそろってボコボコにされても眉一つ動かさないのは、たいがいおかしいわよ」

「子分?」

「ええ。あなたがこの子達の親玉なんでしょ? 私が気付いてないとでも思った? ただ付いてきたみたいな顔しててもバレバレよ」

「うふふ、親玉だなんて人聞きの悪い」

 ミチルは口を隠して笑った。

「本当に、私はただ付いてきただけですよ。彼らが自発的にあなたを狙ったんです。何のお願いも、ましてや命令なんかしていない」

 くくくく、と男が小さく笑い返す。

「カマトトぶらないで欲しいわ、お嬢ちゃん。まさか他人を動かす方法が言葉だけだなんて言わないわよね? この坊や達、あなたの一挙手一投足にビクビクしてたわ」

「私はね、落とし穴が好きなだけですよ」

 突然ミチルは歌うように言った。

「……なんて?」

「落とし穴。地面に穴を掘った、ベタベタなイタズラですよ。薄い板でフタがしてあって、わからないように土をかぶせて。ご存知ですよね」

「そりゃ落とし穴くらい知ってるけど、ずいぶん子供じみたものが好きなのね。だけど、それが何?」

「まあ古くからあるイタズラですが、あれ未だにテレビでもやるじゃないですか。何も知らないお笑い芸人さんが歩いてきて、突然ズボッて」

「ごめんなさいね。私、テレビには疎くって」

「そうですか。ターゲットの芸人さんは意気揚々とカメラの前に来ようとして、落とし穴のフタを踏み込むんです。ここでスローモーション。突然足場が崩れて驚く顔。反射的に空を掴もうと振り回す手。なす術もなく沈んでいく身体。それから穴の底で呆然としていると、パネルを持った仕掛け人が現れネタバラシ。芸人さんが砂まみれの顔で、悔しがったり怒ったりするのがおかしくって、現場やスタジオの人が大爆笑。こんな番組が沢山あるんですよ」

「ふうん。くだらないわね」

「ええ、くだらない」

 ミチルは頷いた。

「でもそれが視聴者にウケるんですよ。だから未だに企画されるんです。何故だかわかりますか? それは、人間は誰しも他人の不幸を見るのが好きだからです。好き、というより渇望と言った方が近いかもしれません。何も悪いことなんかしていない芸人さんが、突如罠に嵌められて笑いものになる。その様を眺めることができる自分は、危険とは縁のない人間なんだ。私の歩く道は崩れないんだ。そう感じて安心できるからなんですよ。つまり笑いの根源は、自分の優位性の確認、そして他人の制圧に他ならないということです」

「……へえ。で、今なんの話してたんだっけ?」

「私も皆と同じで、あくまで傍観者でいたいという話です。だから親玉とか子分とか、そんな枠組みからは外れたところにいたいんです。よくピラミッド構造で表されるヒエラルキーの図なんか見ますけど、たとえ組織の頂点にいたところで、最下層の増減には影響を受けずにはいられません。足元が崩れれば地位を保っていられないんです。それって結局不安定ですよねえ。ああ、そういえばピラミッド構造って表現も変だと思いませんか? 本来なら1番偉い王様の棺はピラミッドの中心にある筈ですから、てっぺんの石も最下の石も、等しくただの一部分に過ぎないのに。まあ、それはどーでもいいんですけど、要するに私はどの部分でもありたくないわけですよ。ピラミッドを俯瞰するコンドルとでも気取ってみましょうか。私はただ見ているだけ。たまに何かの弾みで転がり落ちる石を見て1人笑う。そんなありふれた暮らしがしたいだけなんです」

「なるほど、とってもお淑やかで慎ましい娘だわ」

 男はミチルのおしゃべりに呆れた様子で、真っ青なヒゲの剃り跡をジョリジョリと掻いた。

「なんだかあなた面倒臭いし、シラけちゃったわ。もう帰っていいわよ」

「そうですかあ? 私はまだまだお話ししたいですけど。おじさんてば面白いから」

「こっちはもう沢山。あと私はおじさんじゃないわ。お姉さんと呼んでくれる?」

「それは流石に無理がありますよ。では私はこれで。おやすみなさい」

 軽い会釈をしてから、ミチルは公園の出口に向かって歩き出した。

「ああ、そうだお嬢ちゃん」

「はい?」

 振り向いたミチルに、男は思い出したように問う。

「あなた最近、変な人間見たりしてない?」

「…………」

「もちろん、私以外よ」

 目を細めて凝視してくるミチルに、男は付け加えて言った。

「多分あなたくらいの歳の女の子で、おかしな格好をしているの。すごい速さで走ったり、屋根の上を跳んだりしているかも」

「なんです、それ? 妖怪ですか?」

「だから人間よ。詳しくは言えないけど」

「はあ、曖昧ですねえ。おかしな格好と言われてもわかりませんし」

「衣装はまあ色々なんだけど、あなた達の文化にはそぐわないって感じかしら。あとね、何より特徴的なのは、ヒゲがあるってこと」

「ヒゲ?」

 ミチルは首を傾げる。

「女の子って言ってませんでしたか」

「生えてるわけじゃなくて、付けヒゲよ」

 男は高い鼻の下に人差し指を付けて見せた。

「それにしても女子に付けヒゲはおかしいでしょう。ああ、だからおかしな格好なんですね」

 ミチルは首を振った。

「残念ながら見たことありません。ところで、何故そのような女子を探しているのですか?」

「知らないなら結構よ。さようなら」

 手を振って追い払おうとする男に、みちるは尚も尋ねる。

「いやいや、そんな面白そうな話振っておいてそれはないでしょう。こっちは興味津々です。その付けヒゲ女子というのはあなたのお知り合いですか? 1人? 複数人? 屋根の上を跳び回るというのは本当ですか?」

「もういいってば。あなたに話す義理はないわ」

「そう言わずに教えてくださいよう。人間なのに屋根を跳べるのは、その付けヒゲと関係があるんですか? 不思議アイテムなんですか?」

 食い下がるミチルに、男は苛ついた声を上げた。

「うるさいわね! さっさと目の前から消えないと本当に殺すわよ!」

「ひえー」

 ミチルはおどけた調子で後ずさる。

「わかりました、帰りますよ。では、今度こそおやすみなさい」

 ミチルはまたお辞儀をして、男に背を向ける。

 そして再び立ち止まった。

「ヒゲ……、付けヒゲ……。もしかしてあれはヒゲだったのかな」

 夜空を見上げ、独り言のように呟く。

「何ですって?」

「いえね、私、知ってるかもしれません。おかしな格好こそしていませんでしたが、妙な毛の塊を持った女の子がいたんですよ。同い年の子なん……」

「教えなさい」

 10mほど離れていた筈の男がミチルの視界から消え、直後、彼女のすぐ背後に立っていた。

 細長い指がミチルの肩に乗る。ただ置かれているだけのその指先に、ミチルは刃物のような冷たさを感じた。

 男は静かに問う。

「そいつの名前は? どこで会った? 家は知ってる?」

 ミチルは少しだけ振り向き、笑みを浮かべる。

「ふふふ、言えませんねえ」

 男の指がミチルの首に回り、力が込められる。

 気道を塞がれたミチルは苦しげにむせた。だが、それでも彼女は笑い続ける。

「ふふふ、ふふ。教えて欲しければ、教えてください。……あなたのこと……、それから付けヒゲのこと。……言ってくれなきゃ、私も何も言わずに殺されます。……あなたの焦る顔を見ながら死ぬのもいいでしょう。……傍観者冥利に尽きると、いうものです」

「こいつ……」

 男は逡巡した挙げ句、やがて悔しそうに手を離した。げほげほと咳き込むミチルへ、吐き捨てるように言う。

「どうして私が本気じゃないとわかった?」

「ハア、ハア……。いやいや本気でしたよね。本気の殺意と、私から情報を得たいという理性。その葛藤がよくわかる、素晴らしい表情でした」

「ああ、やっぱりあなたは人として手遅れね。くだらない好奇心のために命を懸けるなんて」

「好奇心こそ人間の証じゃないですか」


 青ヒゲの長身男こと、オオコウモリの妖精にしてビアード軍幹部、ソリアット。

 そして、関わる人間全てに不幸をもたらす少女、須永ミチル。

 2人の協力関係はここに始まる。

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