その4
「......なによこれ」
「私達さあ、遅かったんじゃない?」
「まさかこれほどとはね」
放課後、家に帰ってから蜜井家の近所に再集合したツバメ、加代、学の3人。
いつもならひっそりとした住宅街に立つ彼女らは、おびただしい数の人々を前に呆然としていた。
「みんなネコ探しのために来てるわけ?」
ツバメは唸るように言った。
閑静な住宅地を貫く一方通行の道路。
そこに、視界に入るだけでも200人は下らないだろう賞金稼ぎ達が、1匹のネコ、ミセス・マルガレーテを探し回っていた。
ある者は縄や網を持ちながら辺りを見回し、またある者は猫じゃらしを手に地面を這っている。
その他、ペットのイヌに臭いを嗅ぎ回らせる者や、4、5人ほどのチームを作る者達。
中には好奇心やにぎやかしで来ているだろう人々や制服姿の中高生も見られるが、大半は本気のオーラを漂わせている。
目をギラつかせながら黙々とうろつく彼らからは、どんなに微かな気配も見逃すまじといった気迫が見て取れた。
そしてある種の集団心理が働いているのか、彼らの中には他人の敷地や私道に勝手に入り込む者も少なくなかった。
それどころか民家の屋根に上る、縁の下を覗く、庭木によじ登る、狭い塀の隙間に挟まる等々、やりたい放題である。
加代の喉がごくりと鳴る。
「怖いよ。無法地帯だよここは」
そう呟く彼女に向け、ツバメは小さく首を振った。
「よく見なさい加代、これがあんたの望んだ未来なのよ」
「こんなの望んでないよ!」
もう少し楽しげな雰囲気だと思っていたの、と加代はうなだれた。
授業が終わってからできるだけ早く駆けつけてはみたものの、もはや新たな参加者の入り込む余地などありそうにない。
「これが500万円の力なんだね......」
早くもくじけた様子の加代は、消え入るような声で言う。
すると、
「今は午後4時10分だから、現時点での懸賞金は485万円だよ」
学が腕時計を見ながら訂正した。
「3人で割ると、一人あたま161万くらいかな」
「えっ。ウソでしょ、清鈴寺君」
冷静に暗算をする学に、ツバメと加代は驚いた。
町内を跋扈する大人達を見ても、学は全くやる気を損ねていないらしい。
しかし、加代はすねたように言う。
「無理だよ。うちらなんか中一の子供だもん。こんなとこに割って入ったら弾き飛ばされるよ」
「平気さ。せっかく来たんだから、僕らもネコ探しに加わってみようよ。どうせみんな他人なんて目に入っていないさ。それに、どのみちネコが捕まらないことには、家に帰ったって人の気配で落ち着かないよ。小岩さんちはこの近所なんだろう?」
「そ、そうかもだけど」
まだウジウジとしつつ、加代は空を見上げた。
淡い水色の中に、橙色の雲が浮かんでいる。
「もうすぐ暗くなっちゃうよ。夜になったらネコなんかますます見つからないよ」
「いや、ネコは夜行性だから暗くなった方が都合がいいと思う。今の時期はそれほど寒くもないし、活動を始めるとしたら夜だろうね」
ツバメは「ふうん」と息を吐いた。
「そういうことなら、少しだけうろついてみましょうか」
もっともらしく頷く彼女だが、本当は学と夜の散歩をしてみたいだけである。
「どの辺りに行ってみる?私、おいしいココアがあるカフェ知ってるわ」
そして仲良くお茶したのちに帰る気でいる。
「ツバメちゃん、カフェなんかにネコはいないと思うよ。熱い飲み物苦手だもん」
そんな少女2人を無視して、学は言った。
「うん。マルガレーテがいなくなって丸3日経っているらしいから、少し離れた場所をあたってみようか。蜜井家から1km圏内くらいで、たとえば人気のない公園とかあるかな」
「いいわよ、もちろん公園でも。できればベンチがあるところがいいわ」
ツバメはどうしても座りたいらしい。
「近所の公園っていうと、ドングリ公園か中町公園、あとアザラシのすべり台があるとこもあるよ」
加代が指折り言う。
「じゃあ、とりあえず順に回ってみよう」
目的地を決めた3人は歩き出そうとした。
そのときである。
「ぼくちゃん達もネコ探し?」
背後から掛けられた声にツバメ達が振り向くと、1人の男がゆっくりと近寄ってきた。
3人はギョッとする。
190cmはあるだろうか、その男は細長い四肢を振りながら優雅に歩いてくる。
ぴったりとした黒いスーツ、胸元と袖口にフリルをあしらったシルクのシャツ。
胸のポケットから真紅のバラが覗いている。
歳は30代後半くらい、オールバックに固めた黒髪と長いまつ毛。
そして何より目にとまるのは、彼の顔の下半分である。
高いわし鼻の下から赤い唇の周り、尖った顎にかけてが、ヒゲの剃り跡で真っ青だった。
「みんな、この辺りの子かしら?なんだかエラい騒ぎになっちゃって、困ったものね」
(しかもオネエ言葉!)
ツバメと加代、学は心の中で同時に叫んだ。
男は長い人差し指で頬をジョリジョリと掻きながら言う。
「私も近くに住んでるんだけど、たまたま例の動画観て、飛び出して来ちゃったの。こうしちゃいられないわ、つってネ」
ツバメがチラリと加代を見ると、加代もツバメを見返しながら小さく首を傾げてみせた。
その反応に、ツバメは男の言葉を疑う。
こんなに濃いキャラが近所にいながら、加代がその存在を知らないことなどまずあり得ないからだ。
黙って怪しむツバメに対し、男は1人喋り続ける。
「私ね、今とっても感動してるの。だってそうでしょう?飼いネコ1匹探すために何100万円もの大金出すような人間がご近所さんにいるなんて嬉しいじゃない。私、人間なんて自分勝手で欲にまみれた最低の生き物だと思っていたけど、少しは見直しちゃったかも」
軽い口調とは裏腹に、ずいぶんと人間不信に陥った男のようである。
それでいて蜜井婦人の行動については、何故か上から目線ではあるが、いたく感銘を受けている様子だった。
「だからね、私、蜜井婦人を褒めてあげることにしたの。どうやってだって?つまりネ、この私がまっさきにネコちゃんを捕まえ、お家に届けて、あなたは偉いって言って差し上げるのよ。もちろんお金なんか要らないわ」
様々な目的でネコを探す人間がいるものである。
うっとりと喋る男だったが、対してツバメは鼻白んだ態度である。
彼と同じように蜜井婦人を褒める気にはなれないからだ。
大金をかけて飼いネコを探そうとする婦人の姿勢は、たしかに動物愛と呼べなくもない。
しかし、そのせいでお金目当ての人々がここら一帯に群がっているのだ。
見方によっては相当に自分勝手だとも言えるのではないか、とツバメは思ったものである。
だが、加代は素直に感心したようだった。
「ええ、じゃあ完全にボランティアで参加してるんですか?えらいですね」
「ありがと。まあ偉いもなにも、肝心のネコちゃんを見つけてもいないのだけれど。そう言うあなた達はどうなの?」
「僕は懸賞金も欲しいですけど、ミセス.マルガレーテを見てみたいというのが一番でしょうか。興味本位とも言えますが」
今度は学が答えた。
「ウフフ、理由はなんだっていいわ。とにかく、困っているネコちゃんがいたら、みんなで助けてあげるべきなのよ。ほら言うでしょ?オール フォー ニャン、って」
「フフッ」
思わず笑ってしまった加代に、男はウインクをしてみせる。
「ネコちゃんが早くおうちに帰れるよう、お互いに頑張りましょうね」
「は、はい......」
加代ははにかんだ。
その横から、ツバメが突然尋ねる。
「ところで、あなたはどちら様ですか?」
馴れ馴れしくからんでくる男に対し、彼女は不信感を募らせている。
男は虚をつかれたように目をパチクリさせた。
「は?」
「お名前を教えて下さい」
「私の名前?えー、私はほら..................あお、青木、よ。そう、私は青木っていうの。よろしくね」
明らかに怪しい間を空けた男に、ツバメは更に疑わしげな視線を向ける。
「本名ですか?」
「ほんとよ、失礼ね!どうしてウソ吐かなきゃならないわけ?」
「なんか今考えてた気がして、赤木さん」
「何言ってんの。そんなわけないでしょ、自分の名前よ?生まれつき私は赤木......違う、青木!」
男は慌てて訂正し、ツバメを睨んだ。
「あんた今カマかけたでしょう⁉︎」
「じゃあ下の名前は?」
なおも追及の手を緩めないツバメに青木は大きく首を振り、
「もういいじゃない、そんなこと!はい握手!」
そう言って3人の手を順に握った。
「さて仲良くなったところで、マルガレーテちゃん探しに戻りましょ。あなた達の方針は?」
青木が仕切り出す。
「特に名案はありません。マルガレーテのいそうなところを巡回してみようとしていたところです」
学が答えた。
「迷いネコの行きそうな場所、ね。一緒に考えてあげたいけど、私ったらあんまり詳しくないのよねえ。知り合いにネコちゃんでもいたらよかったけれど......」
そう青木が冗談めかして言うと、
「あ」
ツバメが手のひらを合わせた。
なぜ今まで考えが至らなかったのかと、自らに呆れつつ彼女は言う。
「いたわ、私」
「えっ?」
加代と学、青木が呆気に取られるなか、ツバメはポシェットからスマホを取り出した。
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