その3

「なあ親父!アタシの虫取り網知らねえか?」

「うるせえな、帰ってくるなり。網なんか店に置いてあるわけないだろ」

理髪店の棚を片っ端からあさり出した陽子に、父親が呆れた声で言った。


「だって2階にねえんだもん。今すぐいるんだよ」

「知るか。お客さんの前で恥ずかしいことすんな!」

父親が叱ると、

「ははは、陽子ちゃんは相変わらず元気だねえ」

理容椅子に座った小さな老人が、鏡越しに陽子を見た。

「当ててみようか?ネコを捕まえに行くんだろう?」

「そうだよ。なんで知ってんの?」

陽子は振り向きもせずに言う。

「そりゃあ、インターネットが使えなくったって知ってるさ。もうみんな噂してるからねえ」

懸賞金付きネコ探しの件である。

「さっきも親父さんとその話をしていたところだよ」

「そうかよ、じゃあますます急がねえとな!誰かに500万を取られちまう!」

陽子が言うと、父親は呆れた顔でハサミを鳴らした。

「かーっ、バカだねえ!そんなもんがお前に捕まえられるわけねえだろ。町中の人間が探してんだからよ」

「うっせえな、わかんねえだろ。この辺りの裏道に1番詳しいのは、ってうおお!」

陽子は突如飛び退いた。

引っ掻き回していた棚の上から、重たそうな塊がゴロゴロと落ちてきたためである。


「あっぶね、なんだこれ」

鈍い音を立て床に転がったのは、3つの缶詰だった。

慌てたのは父親だ。

「おい、だからやめろって!しまっとけ!」

陽子は缶詰を拾い上げる。

「親父。これネコ缶じゃねえか。なんでこんなもんがうちにあんだ?」

「なんでって。それはお前、ほら、あれだろうが」

急にしどろもどろになる父へ、陽子は半眼を向けた。

「聴こうじゃないか」

「だからその、......間違えたんだよ!ツナ缶だと思って買ったら、なんとネコのエサだったんだよ。ったく、まぎらわしい見た目しやがって」

聞いていた老人が笑いを堪える。

一方、陽子は優しい笑みを浮かべつつ頷いた。

「だろうと思ったよ」

そう言うと彼女は背負っていたリュックサックを下ろし、ネコの顔がアップで描かれた缶をいそいそと詰め始めた。

「な、何してんだよ」

「網はもういいや。代わりにこっち持ってくから」

「はあ⁉︎」

「どうせ、いらねえんだからいいだろ?ネコをおびき寄せるのに使えるかもしれん」

「おい、待てよ陽子!頼むから置いてけって!どこ行っても売り切れで、やっと買えたんだぞ!」

父親が泣きそうな声を上げる中、

「安心しろ、懸賞金はアタシが取る。この店を建て直してやるからな!行ってきます!」

「コラ陽子ーっ!」

陽子は理髪店のドアを勢いよく開け、外へ飛び出した。



商店街を1人猛ダッシュする陽子。

彼女のガラケーが震え出した。

ポケットから取り出すと、液晶画面には「ういすかー」と表示されている。

陽子は走りながら通話ボタンを押した。

「おう、なんだニャンコ」

「あのー、ちょっと訊きたいんニャけど......」

ウィスカーの声が聞こえてきた。

周りをはばかるような、小さく潜めた声である。

「なんかこの町で変なことが起こってる気がするんニャけど、心当たりないかニャ」

「知らん。今友達との待ち合わせで急いでんだよね。切っていい?」

「もう少し待つモニャ!」

ウィスカーの慌てた声が返ってくる。

「実はさっき路地裏を歩いてたら、と言ってももちろん普通のネコを装ってニャけど、いきなり大勢の人間がボクのことを追い掛けてきたモニャ。すごく怖かったニャ」

「どうせ食い逃げでもしたんだろ?」

「そんな覚えはないニャ!それでまあ、なんとか逃げて隠れたんニャけど、まだ周りが人だらけニャ。すまないんニャけど、迎えに来てはもらえないかモニャ」

陽子は突っぱねた。

「んなもん自分でどうにかしろよ、こっちはそれどころじゃねえっつの!ナントカって金持ちの飼ってるネコが逃げ出したらしくてよ。そいつに何百万って懸賞金が掛かってんだ」

「......詳しく」

「いやそんだけだよ。何しろアタシもよく知らねえ。わかってんのは、まん丸いオレンジ色のネコってだけだ。それを今から探しに行くんだよ」

「謎は全て解けたニャ」

ウィスカーは魂の抜けかかったような口調で言った。

「え、何が?」

「なんで結びつかないニャ!」


理解できていない陽子へ、ウィスカーは丁寧に説明した。

「あははは!そうか、お前間違われたんだ、あはははははは!」

陽子の笑い声が商店街に響き渡る。

「笑えないニャ!困るニャ急にそんなこと!」

「たしかにあの絵はお前そっくりだったわ」

「他ネコの空似ニャ!」

「でもお前じゃねえんだろ。............違うよな?」

「当たり前ニャ」

「だったら周りの奴らに、ネコ違いですって素直に言えばいいじゃねえか」

「バカかニャ⁉︎そんなこと素直に言ってみろ、金持ちネコどころの話じゃなくなるモニャ!」

「まあそうテンパんなよ、本物のマルガレーテはアタシが見つけてやっからさあ。それまでお前はそこで大人しくしてな。どこにいるか知らんけど」

「むう」

ウィスカーは唸った。

外がそんな事態になっているのであれば、陽子の言う通り隠れてやり過ごすのが一番良いのかもしれない、と思ったようだ。

「仕方ニャい。どうか頼んだニャ」

「まかせろ。お前も人に見つかりそうになったらネコの鳴きマネでごまかせよな」

「ぶっ殺すぞ!」

潜めた声で怒鳴るウィスカーをよそに、陽子は通話を切ろうとした。

だがそこで、彼女は「あっ」と親指を止める。


「ふと思ったんだけどさ、お前って化けネコなんだよな?」

「妖精モニャ。それが何かニャ」

「そんならさあ。他のニャンコと話せたりしねえの?近所の野良に呼び掛けたりして、マルガレーテの居場所がわかるんじゃねえか?ネコ界の情報網とかで」

「......あ」

可能らしい。

「おいニャンコ、お前今どこだ?すぐそっち行くわ!」

陽子は叫んだ。

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