ツバメside その2
陽子が開け放った窓から入ってきたウィスカーは、心なしか疲れた表情である。
「陽子、ボクを置いて先に行くのはやめろニャ!人に見つかったらどうするモニャ!」
ウィスカーは叱りつけたが、当の陽子は意に介さない。
「ニャンニャン言っててよくわからん。それよりさあ、側女」
「ツバメですけど」
「休みだからっていつまでもグータラしてんなよ。今から、沼のヌシ捕まえに行こうぜ!」
陽子は親指で外を示した。
「はあ。なんですか、ヌシって」
ツバメが問うと、
「おまっ、そりゃ沼のヌシつったらタヌキ山の大ナマズだろ。知らねえのかよ」
陽子は呆れたように言った。
タヌキ山とは、W町の外れにある小さな山の通称である。
それはツバメも知っている。
山頂にはたしかに雑木林に囲まれた沼があるのだが、陽子が言うには、そこに何十年も棲んでいる巨大なナマズがいるらしい。
その体長はタタミ一畳分ほどもあり、イノシシの子供を沼へと引きずり込んでは丸呑みにするという。
「へえ、あの山イノシシがいるんですか」
「イノシシはどうでもいいんだよ!アタシが見たいのはタヌキ!......じゃない、ナマズ!」
陽子は足を鳴らした。
「そうなんですか」
ツバメはブスッとした顔で言った。
えらく田舎臭い上に、ややこしい伝説である。
知らないし興味もない。
「まあいいよ、気にすんな。じゃあアタシが案内するから、早くお前もヒゲ付けろ」
どうやら陽子は、沼の大ナマズとやらを気まぐれに捕まえたくなり、ツバメを誘いに来たらしい。
それで早朝からウィスカーを呼び出したというわけだ。
「陽子、そんなことのためには魔法の付けヒゲは使えないモニャ。おもちゃじゃないニャ」
何も知らなかったらしいウィスカーが口を尖らせる。
そんなネコを、ツバメは横目で睨み付けた。
陽子に言われるがまま無闇に付けヒゲを渡し、更には勝手に人の家を教えるような奴に、説教する権利はない。
アホ、と口の動きだけで言ってから、ツバメは陽子に視線を戻す。
「お誘いは嬉しいですけど、私今日は身体の具合が悪くて」
と丁重に断った。
嘘くさいが事実である。
すると、
「え⁉︎なんだよつまんねえ奴だな」
頰を膨らませて陽子が言った。
「はい⁉︎」
ツバメはカチンとくる。
「どうして風邪ひいたと思います⁉︎日向さんがいきなり私をプールに突き落としたのがいけなかったんですよ」
つい一昨日のことである。
実際はプールに落とされたどころではない。
ツバメは謎の敵に誘拐され、窒息で気絶し、挙句下水道で汚水まみれになったのだ。
体調を壊さない方がおかしいほど、酷い1日だった。
その後も、知らない女子高生のために救急車を呼んだり、陽子の不良友達をあちこちから回収したり、夜の中学校周辺で自分のパンツを探したりと、事後処理が実に大変だったのである。
「普通の人なら、誰でも風邪くらい引きます」
鼻をすすりながらツバメが言うと、
「アタシだって泳いだけど、全然平気だぞ」
陽子はけろりとした顔で返した。
だから普通の人ならと言ったのだ。
ツバメは赤い顔をしかめる。
陽子には皮肉も通じないらしい。
「とにかく、私は今日は寝ていますので」
ツバメは返事を待たずに、布団を被った。
「けっ、わかったよ軟弱もんめ。あとで行きたくなっても知らねえからな。じゃあな」
陽子は吐き捨てるように言うと、窓に足を掛けた。
「待つニャ。やっぱりその格好で外に出るのは危険だモニ...、ねぇ、ちょっと!」
無視して飛び出した陽子を、ウィスカーは慌てて追い掛けていった。
「なんなのよ、もう」
静寂の戻った部屋の中、布団にくるまりながらツバメは唸った。
開け放たれたままの窓を閉めに行く気にもなれない。
陽子の高い声が頭に響き、更に気分が悪くなった気がする。
しかし、なんとか陽子の誘いを断ることはできた。
ほう、と安堵のため息を吐いてから、ツバメはふと、少しだけウィスカーに同情する気分になった。
詳しい事情はツバメも教えられていないが、ネコ妖精ウィスカーはある悪と戦うために、魔法少女ヒゲグリモーのメンバーと成り得る人間を集めているらしい。
だがそんな彼は、自らの目的のために人間を駆り出すことへの後ろめたさを感じているふしがある。
何度も正式なヒゲグリモーとなるよう誘われているツバメにはわかることだ。
彼の勧誘は非常にしつこいが、それでも一応はツバメの意思を尊重しようとしている。
要は、やるもやめるも本人次第なのだ。
そこへやってきた日向陽子。
今はヒゲシャイニーとして、考えなしにはしゃいでいる彼女だが、うるさく管理しようとすれば、いつ気を変えるかわからない。
へそを曲げでもしたら、ウィスカーにとっての貴重な戦力を失うことになるだろう。
しかし、だからといって手綱を緩め過ぎるわけにもいかない。
早朝からヒゲシャイニーに変身した姿で町中を跳び回る陽子のことだ。
野放しにすれば、今までコソコソと活動してきたウィスカーの苦労は水泡に帰すだろう。
「ひょっとして、大変な人をスカウトしちゃったのかも」
そう呟いたツバメは時計を確認し、今度こそ布団から飛び出た。
今日はとても大事な予定があるのだ。
すぐに準備をしなくてはならない。
陽子には風邪で起きられないと言ったが、それは昨日までの話だ。
本当のところ、出掛けられる程度までには回復している。
パジャマを脱ぎ捨てたツバメは、いそいそと姿見の前へ移り、長い髪にブラシを当て始めた。
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