第17話 寂しい……

 谷口さんは私の症状を治してくれようと頑張っているので、私もできる限りの努力をするようになった。


 彼女が私のために何故そこまで頑張ってくれるのかわからない。こんな私はいつ谷口さんに嫌と言われて、家を出て行けと言われてもおかしくないのだ。


 どの道、来月には元の生活に戻る。


 分かってはいるけれど、この生活は気を使わないから、これが続けばいいと思っていたりもする。



「はぁ……」


 私は谷口さんのベッドの上でくるまっていた。もう、起きなければいけない時間だ。学校に行かなければいけない。ここに来た頃はふわふわとした谷口さんの匂いは段々と薄くなっている。


 彼女の匂いはとても落ち着く。


 人の家や修学旅行で行ったホテルなどでは寝れないことが普通だったのに、谷口さんのベッドならすぐに寝ることが出来た。


 彼女は安眠薬まじりの洗剤を使っているのかもしれない。


 そんなありもしないくだらない考えはベッドに投げ捨て、重い体を起こしてリビングに向かい、いつもどおり挨拶をして朝食を済ませる。

 


「紗夜、これ。今週もラストだね。頑張ってね」

 

 ふわふわと頭を撫でられ、その手はそのまま私の頬に添えられる。

 

 谷口さんにならそのくらいのことでは怯えなくなっている。しかし、急な行動にびっくりして、体は反応していた。


 谷口さんはいつも急でわけが分からない。


 そんな急な動きに心臓が持たなくなる。心臓がとくとくと鳴り止まなくて私はそこに立ち尽くしてしまった。


 

「谷口さんの変態」

「変態でもいいけど、少しずつ慣れて?」

 

 彼女は悪い顔をしていた。こういうことをする時いつもそういう顔をする。どういう気持ちなのかさっぱり分からない。



「今日夜遅いからご飯先食べてて? 温めて食べるやつ冷蔵庫に置いておくから」

「はい……」

 

 今日の夜は谷口さんが居ないらしい。その方が気が楽だ。私は少し気分が軽くなり家を出た。


 学校に着くといつもどおり楓が話しかけてくる。


「紗夜、今日も放課後に勉強してから帰る?」

「うん」

「一緒に勉強しよ!」

「いいよ」

「紗夜って最近少し変わったよね」

 

 変わった? 楓が珍しく意味の分からないことを言い出した。


「どういうこと?」

 

 自分の中では今も少し前も何も変わらないと思っているので何がそんなに変わったのか知りたくなった。楓は顎に手を置いて眉間に皺を寄せながら考えているそぶりを見せる。

 

「んー前より明るくなったかな? 簡単に言うとそんな感じ。紗夜は自分でなにか感じない?」

 

 今日の夜は谷口さんが居ない。だから、きっと嬉しさが顔に出ているのだろう。


「今日だけだと思うよ」

「んー、そういうことじゃないんだけどなぁ……」


 楓は明らかに納得のいかない顔をしていたが私にとってはどうでもいい事だったのでそのままにした。



 ※※※


 ガチャ


 今日は遅くまで勉強していたので、帰ってくるのは八時近くなったが、それでも家の電気は付いていなかった。

 

 私は手を洗って色々片付けが終わったら、谷口さんの言葉を思い出して冷蔵庫の中を見る。


 中には中華丼とメモが貼ってあった。


『温めてね! 食べ終わったらゆっくりお風呂で温まること!』

 

 そのメモを見て何故か胸がじわじわとする。私はお風呂のお湯沸かしボタンを押してご飯を食べることにした。


 家の中は私の生活音以外の音は無い。


 私しかいないのだから当たり前だ。


 レンジの温めるのを待っている間に箸やコップを用意しようとした時に無意識に谷口さんの分まで出そうとして、自分に嫌気がさした。


 私はなんだかんだこの生活を気に入っているのかもしれない……。


 私は自分の分の箸とコップを出してご飯が温まるのを待った。


 谷口さんの作ってくれた料理はどんな料理でもおいしい。毎日仕事で忙しいはずなのにこんな手のこった料理をいつ作ったのだろう。

 

 どこかでご飯を買ってきて自分で食べことくらいできるので、帰りが遅い日まで用意してもらわなくてよかった。


 

「はぁ……」

 

 一人の時間は楽だけど、考えなくてもいい彼女のことを考えてしまうので良くないのかもしれない。毎日、私がご飯を食べる時、目の前には谷口さんがいる。今はいなくて、それでいいはずなのにえらく違和感を感じてしまう。


 私はご飯を食べ終えて、片付けや洗濯を済ませ、お風呂に温まる。寝る前に必要なこと全てが終わると時計は十一時を指していた。


 遅くなるとは聞いていたが、谷口さんと暮らしてからこんなに遅くなることなんてなかった。遅くなる理由も聞いていないからなんで遅いのかも分からない。


 昔、母が仕事の帰りに転んで足が血まみれになって遅くに帰ってきたことを思い出すと、急に変な不安が滲み出した。

 

 

 大人だから飲み会だろうか?

 

 そんな遅くまで飲むものなのだろうか?

 

 仕事の残業?

 

 なんで私はこんなに谷口さんのことを考えているのだろう。

 

 自分で自分が嫌になる。


 そんな谷口さんことなんて気にしないで早く寝ればいいのに、彼女を無意識に待っていた。


 今の生活が楽だからなくなるのが嫌なだけだ。今月末くらいまではこの生活が続けばいいと思っている。


 だから、そのために谷口さんは必要なだけ。


 別に深い意味は無い。


 彼女に何かあったらここに住めなくなるから今も彼女の帰りを待っているだけだ。そう自分に言い聞かせて、谷口さんの帰りを待った。


 リビングのテーブルに寄りかかって彼女の帰りを待っている間、テレビを見てもいいのだけれど、今はそんな気分ではなかった。


 家の中にはチクチクと時計の針が動く音だけが響く。自分の中で三十分くらい時間が経っただろうと時計を見ても十分くらいしか針は進んでいない。



「寂しい……」

 

 自分のぽつりと漏れた声に驚いてしまう。

 

 何を言っているんだ私は。


 これがあたりまえの生活だった。別に何も変なことは無い。たかが二ヶ月程度、一緒に住んだだけでこんなになってしまう私はおかしい。


 こんなことを考えるくらいなら布団で寝ればよかった。いや、ベッドに入っても結果は同じだろう。私は何も考えたくなくてテーブルに顔を伏せていた。


 チクチクという音は今の私にとって不快音でしかなくなっている。




 ガチャ


 ドアの開く音が聞こえ、椅子から立ち上がってしまった。


「紗夜、なんで起きてるの?」


 谷口さんは顔を赤くして前にお酒を飲んだ時と同じような状態になっていた。私は自分の行動に後悔する。何もいい言い訳が思い浮かばなかった。谷口さんを心配してたからなんて口が裂けても言えない。


「今日は眠くなかったので」

「高校生なんだから早く寝な?」

「谷口さんも早く寝てください」

「大人はこんなもんよ」

 

 谷口さんはヘラヘラと話すので、私の悩んでいた時間はなんだったんだと腹が立ち始める。



「今日、何してたんですか?」

「友達の心春っていう子と飲んでた」

「そうですか」

「質問してる割に興味無さすぎない?」

 

 私は無意識に彼女に近づいて睨んでいた。私が勝手に心配して、勝手に待っていたのが悪いはずなのに睨むことをやめられなかった。

 

「心配して寝てなかったとか?」

 

 バレるはずもない自分の気持ちがバレたのではないかと焦り心臓が速くなる。


「違います」

 

 今日の谷口さんは私の入って欲しくないところにグイグイと踏み込んでくる。そんなの嫌なはずなのに、今日の私はどこかおかしくて、彼女の近くに居たいと思う。


 全部久しぶりに寂しいと思ってしまったからだ。


 谷口さんが悪い。


 だから、責任をもって私のこの気持ちを整理して欲しい。


 谷口さんの裾を無意識に掴んでいた。


「紗夜……?」


 その心配そうな声にはっとする。


 なんで前は酔っ払った時に私に変なことを言ってきたくせに、今は酔っ払っても普通に私の心配なんかするのだろう。

 

 谷口さんの意味のわからない行動に私も意味のわからない行動を取ってしまった。



「今度から何時になるか教えてください。あと予定も詳しく教えてください」

 

 谷口さんはふふっと笑っていた。私の気持ちも知らないで馬鹿にされていることに怒りが湧いてくる。

 

「何がおかしいんですか」

「心配してくれてたんだよね。ありがとう。寂しかった?」

「心配なんてしてません。寂しくないです」

 

 寂しくなんてない。こんなの普通だ。

 

 私はこれ以上谷口さんといると嫌な感情が生まれてくると思って部屋に戻ろうとすると谷口さんの真面目な声が聞こえてきた。


「少し、強引でもいいよね――」

 

 ??

 

 裾を掴んでいた腕を掴まれて抱き寄せられた。

 

 その事に一瞬体が強ばるが、谷口さんは優しく私を包み込んでくれて、その体温が心地いいと思う自分もいた。


 谷口さんを見上げると大人の女性の顔をしている。何に対してなのか分からないけど、心臓がとくとくと鳴り止まなかった。



 彼女が私を抱きしめてからしばらくしてこの状況の恥ずかしさに気が付く。


 

 私は全力で彼女を引き剥がして拒否した。女性が苦手なはずなのに谷口さんとこんなことをするのはおかしい。ここは全力で拒否しなければいけないと勢いで行動してしまう。



「変なことしないでください」


 どんっと彼女を突き飛ばし、本気で嫌だと伝わるように彼女に言葉を投げたが、その自分の行動に後悔した。


 谷口さんは今まで見た中で一番辛そうで悲しそうな顔をしていた。



 私はその場にいることが苦しくなり、悲しそうな女性を置いてバタバタと自分の部屋に駆け込んだ。




 全部、谷口さんのせいだ。

 

 いつも帰りが遅くあって欲しい。


 たまにこういう日を作らないで欲しい。


 そのせいで寂しいなんて思ったからあんなことを受け入れてしまった。


 谷口さんの行動をすんなりと受け入れたことを否定しなければいけないと思い、酷いことをして彼女を悲しませた。

 


 谷口さんが悪い……。



 私の胸を締め付けるような黒い感情がぐるぐると巡って呼吸が苦しくなる。



 私が悪い……。



 鬱々とした気分と彼女に抱きしめられて熱くなった体が私を外からも中からも苦しめていた。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る