第64話 私の隣でいいじゃん
「谷口さんこの企画書見てもらっていいですか?」
「もちろん」
私は新人の出してくれた企画書を眺める。少し前までは私が見てもらう側だったのに、いつの間にか新人の面倒を見るようになっていた。
「これなら行けそうだね」
「ありがとうございます!」
新人君はスタスタと嬉しそうに部屋を出ていった。その背中が少し懐かしく感じられる。
「谷口さん、私のも見てください!」
私はその相手をぎょっと睨んだ。せっかく、仕事に慣れてきた自分に対していい感情が生まれていたのに、彼女のせいで気分が少し下がった。
「いい加減そうやって人をおちょくるのやめなさいよね」
「あはは、厳しいですね。今日の夜二人で飲みません?」
心春が嬉しそうに私に話しかけてくる。
なんで、この悪友はいつも人が悩んでいるベストなタイミングで飲みを誘ってくるのだろう。
飲みに行って、話を聞いてもらいたいところだが、今日は紗夜に遅くなると話していない。バイトも無い日なので、夜ご飯を待っている紗夜を一人にするのは心が痛んだ。
「今日は紗夜と夜ご飯食べる日なの」
「わぁ素敵。でも、あまりにも過保護すぎない? 紗夜ちゃんもたまには一人になりたいと思うけど」
確かに心春の言う通りかもしれない。
私はあまりにも彼女の生活に干渉しすぎている。そして、紗夜もまた私の生活に干渉しすぎている。
たまにはお互いに一人になる時間も必要なのかもしれない。
「たしかにそのとおりね。紗夜に連絡しておく」
「やったー! 和奏の顔に悩み事たくさんって書いてあるからいろいろ聞いてあげるよ」
「なんかむかつくけど、心春に相談したいことがたくさんあるんだわ」
私はそのままスマホで紗夜の連絡先を開いた。
『今日、心春と夜飲むことになった。申し訳ないけど、昨日のおかずの余りとか温めて食べてもらっていい?』
『どこで飲むんですか?』
紗夜もお昼の時間なのか、すぐに返信が返ってきた。私は意識をスマホから心春に移す。
「心春、いつもの場所で飲むよね?」
「うん」
もう一度スマホに視線を向けて指をできるだけ素早く動かした。
『華巻小路のかんたろうって居酒屋で飲むよ』
かんたろうは心春と飲む時の行きつけの店で、いつもお世話になっている。
『私も行きます』
はい……? 私が彼女のあまりにも唐突な返信に呆気に取られていると、悪女に簡単にスマホを取られてしまった。
「なになに、紗夜ちゃん来たいの? 私も話したかったから嬉しい!」
心春は私のスマホを勝手に操作して、『七時に来てね』と送っていた。
最悪だ。
心春と紗夜が仲良く話しているとことなんて見たくもない。なんでこんなことになったのだろう。
そんな憂鬱な気持ちのせいで、午後の仕事はミスを連発してしまい、最悪の気分で夜の飲み会を迎えることになってしまった。
※※※
「紗夜ちゃんまだ来てないけど乾杯しようか」
「うん」
「「乾杯」」
私はビールをごくごくと勢いよく口に運ぶ。
「和奏さん、勢い良よすぎるんじゃないんですか?」
「誰のせいだと思ってるのよ」
心春に相談したいことがあるだけで、紗夜が来る必要はない。紗夜と簡単に仲良くなってしまいそうな心春を紗夜と会わせたくなかった。
しかし、そうも言ってられないので、紗夜が来る前に相談できることは彼女に相談して置いたほうがいいと話を始めた。
「この間、元カノと会った」
「坂本さん?」
「そう」
「なんて言われたの?」
「より戻したいって」
そういった瞬間、心春は指パッチンを鳴らし、ドヤ顔でこちらを見てきた。
「だから言ったでしょ。絶対より戻したいって言ってくるって。で、回答は?」
「断ったよ」
「おー。あんたにしては成長したね。なんで断ったの?」
なんでそんな上から目線で偉そうなのだと思うけれど、話を続けた。
「もう好きじゃないから」
「昔の和奏なら、好きじゃなくてもいいよーとか言いそうじゃん」
なにを私から引き出したいのか、にこりと笑いながら心春の質問は止まらない。この親友は私のことを本当によく理解してくれていると思う。だから、彼女の思い通りの回答をするのは嫌だった。嫌だったけれど、私の頭はよく働いていなかった。
「紗夜が一番大切だから……」
お酒のせいだ。お酒のせいでこんな恥ずかしいことをよりにもよって心春の前で口にしてしまう。
「ほうほう。和奏って紗夜ちゃんのこと恋愛的に好きなの?」
「すきなわけないっ」
私はついムキになって心春を否定してしまう。あまりに大きな声を出してしまったからか、心春は目を見開いてこちらを見ていた。
「大きい声出してごめん……」
私は反省し、ビールを口に運んだ。飲み放題が始まって間もないのに、二杯目がなくなりそうだ。
私は紗夜のことが好きなわけじゃない。妹のように思っている。
彼女は唯一の従姉妹だ。
だから、この感情はそういうものではないし、そんなこと思ってはいけない。こんなアラサーが七つも下の女の子を好きなんて気持ち悪いに決まっている。
「どうでもいいけど、あんた飲み過ぎだよ」
「うるさい」
「はぁ……それで、元カノは断って食い下がってくれたわけ?」
「私との話はそこで終わったんだけど、実は紗夜のバイト先の常連だったらしい……」
「はっ?!」
「だから、美鈴が紗夜になにかするんじゃないか心配なんだよ」
私は本気で悩んでいるのに心春は嬉しそうに笑っていた。
なぜ……?
こんなにも毎日不安で仕方ないのに――。
「そんなに心配なら見に行けばいいじゃん」
「絶対バイト先に来るなって言われてるの」
私はテーブルになだれ込んでしまう。
自分が行ってもいいのなら、紗夜のバイトの日は毎日確認しに行きたい。彼女が嫌な思いをすることがあるのならば、その脅威から守りたいと思う。
「はいはい。あんたの過保護な話はいいから。そんなに心配なら私がたまに偵察に行ってあげようか?」
その言葉に今だけは心春が神様に見えた。もう私には何も出来ないので、心春を頼るしかない。心春のおかげで私の心は少しだけ軽くなった。
「それはぜひともお願いします」
私はテーブルに頭を付けて彼女に偵察を任せることにした。
「谷口さんなにしてるんですか――」
顔を上げると信じられないくらい可愛らしい女の子が目の前にいる。
最近、紗夜は大学にメイクをしていくようになった。
私が教えたことなのだけれど、教えなければよかったと後悔もしている。
この社会人の吹き出物のたまり場のような居酒屋には似つかわしくない少女だ。
「紗夜ちゃん久しぶりー! こっちおいで」
心春が自分の席の隣に手招きするので、私はそっちに向かう紗夜の腕を掴んだ。
「私の隣でいいじゃん」
「谷口さん、酔いすぎですよ」
紗夜はパシッと私の手を払って、心春の隣に座ってしまう。心春と横並びになる紗夜が気に食わなくて、余計お酒が進んでいた。
「紗夜ちゃん、前会った時と雰囲気変わったね。前からかわいいと思ってたけど、もっと美人さんになったね」
「ありがとうございます」
私がかわいいとか綺麗と伝えても、いつも返ってくるのは「意味がわからないです」なのに、なんで心春のそういう言葉は素直に受け取るのだろう。
私の予想通り、紗夜は心春にすぐに懐いてしまった。
「紗夜ちゃん飲みのもなにがいい?」
「烏龍茶でお願いします」
「店長! 烏龍茶とビール二つください!」
「はいよー!」
「紗夜ちゃん学校どう?」
「楽しいです」
「今日も学校終わり?」
「はい」
「そっかー! 今日は来てくれてありがとね」
「急に混ざるとか言ってすみません」
「ううん。私ら紗夜ちゃんと話したかったからうれしいの!」
「私も心春さんと話したかったので嬉しいです」
「えっ……?」
紗夜の思わぬ発言に声を漏らさざるを得なかった。
なんで紗夜は心春と話したいのだろう?
全然理解が追いつかない。なにより、紗夜は女性と話すこともままならないくらい女性が苦手だったのに、そんなに会ったこともない心春の横で心春と楽しそうに話をしている。
それを願って彼女と約束の時間を重ねてきたはずなのに、今はその光景を見たくないと思う自分がいた。
はぁ……。今日は自分のよくない黒い感情ばかりが生まれ、嫌な気持ちになる。そんな気持ちにならないくらいお酒を飲めばいいか……。
数分もしないで私の嫌な気持ちを消してくれるであろう飲み物が運ばれてくる。
「それじゃあ、紗夜ちゃんも合流したし、もう一回乾杯しようか」
心春の声と共にカチャンとグラスのぶつかる音が響いた。
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