第65話 大人しくしててください
「二度目のかんぱーい!」
心春も酔っているのか楽しそうに乾杯していた。斜め向かいに座る紗夜は大人しく烏龍茶を飲みながら、先程頼んでいた食事に手を付けている。
「谷口さん、この中ならどのおつまみが好きなんですか?」
紗夜から質問が飛んでくるなんて想像もつかず、固まってしまう。どれくらい固まっていたのか分からないけれど、心春が私の顔の前にブンブンと手を振ってきた。
「わかなさーん、紗夜ちゃんの質問に答えたらー?」
いい大人二人が酔って大学生に迷惑をかけるなんて最低だ。私はふわふわとした意識をなんとかこちらの世界に戻し、紗夜の質問に答えることにした。
「きゅうりの胡麻和え、鶏軟骨の唐揚げ、だし巻きたまご、もつ煮込みはよく食べるかな」
「和奏、もつ煮込みよく食べてるよね」
「あはは」、なんて笑いながら心春は答えていたが、紗夜はどうやらそんなこともないらしく、難しい顔をしていた。
「紗夜ちゃんは好きな料理とかあるの?」
心春が珍しくナイスな質問をしてくれたので、私は息をひそめるようにガヤガヤとうるさい居酒屋の中、紗夜の声に耳を澄ませる。
「たぶん、手作り料理が好きなんだと思います。手作り料理は心が温まります」
紗夜のしみじみとした答えに心春は固まっていた。
紗夜の母は常に忙しそうな人だった。きっと、そんななかでも作ってくれる料理が嬉しかったのだろう。
紗夜に同情するわけではないが、紗夜が好きというのなら、一緒にご飯を食べれる時は作ってあげたいし、一緒にご飯を食べたいと思った。
「紗夜ちゃんってほんとかわいいね。そんなんだとモテモテでしょ」
「こんな性格なのでモテません」
「鈍感なタイプか。周りは苦労しそうだね」
「……?」
心春のいうとおりだ。実際、紗夜のことを好きな人はたくさんいそうだ。そんななか彼女が付き合いたいと思う人はどんな人なのだろう。
そういえばこの前、一度付き合ったことのある人が女性だと告げられた。
それなら私にはチャンスがないわけではないということか……。
いや、なにを考えているのだろう。
私は自分の煩悩をぶんぶんと振り払い、お酒を飲むことにした。
「紗夜ちゃん好きな人いないの?」
「ぶふーっ」
心春のいきなりの質問が私に向けられたものではないのに、彼女のダイレクトさに驚きお酒を吹いてしまった。
「和奏、めっちゃかかったんですけど」
「ごめんごめん」
心春の服をふこうとしたら、紗夜がおしぼりで心春のことを拭いていた。
その光景に胸が締め付けられてしまう。
なんで、そんな心春には優しいのだろう。
いや、これが本来の彼女なのかもしれない。私と一緒にいる時は私のことが嫌であんな態度になっているのかもしれない。
そんなことを思うとどんどん胸が苦しく縛られていく。潰す部分が無くなるまで締め付けられている気分だ。
「好きな人はいませんよ」
「えーいい感じの人は?」
「いません」
そのことに安心する自分と複雑な気持ちの自分がいた。
心春はなにを考えているのか、ニコニコと紗夜を見ていて、この酔っぱらいを止めなければいけないと思った。
「じゃあさ、もし好きな人ができたら和奏と一緒住むのやめるの?」
その質問に息が止まる。私は一方的に紗夜が私の傍にいると決めつけていた。しかし、紗夜にとってそれは嫌なことだったりするのだろうか。
「私は……」
そう言って、紗夜がこちらを申し訳なさそうに見てくる。それがどういう心情なのかわからない。
私はそれ以上聞くのが怖くなり、「お手洗いに行く」と嘘をついて離席してしまった。
トイレで上がった心拍数が落ち着くのを待った。あの場で好きな人ができたら私の家を出ていくなんて言われたら、私は笑顔でそれを受け止める自身がなかったからだ。
私は気持ちが落ち着いて、トイレから戻るとなぜか紗夜と心春が手を繋いでいた。
なんで……?
もしかして、今日、心春に会いたいといっていたのも心春のことが好きだからなのだろうか?
心春も会いたがっていたのはそういうこと?
私の知る限り、二人の接点があったのは私が熱を出して寝込んでいるときだけだ。
なぜ?
なんで?
どうして?
先程、飲み干したお酒が胃の中でぐるぐると巡って上がってくる。それを吐き出すことだってできたけれど、そんな時間すらも今はもったいないと思った。
私は紗夜の手を引き、心春の手から遠ざける。
「信じられないくらい怖い顔してるよ?」
顔を真赤にした心春はけらけら笑いながら私をからかっている。きっと、私達はどちらも限界だ。このあたりで終わりにするべきだろう。
紗夜は不思議そうな顔をした後に、なにかぶつぶつと話していたが、居酒屋の雑音がうるさすぎて聞こえなかった。
「店長お会計お願いします」
私は紗夜と私の分を足した金額を出すと紗夜にすごい睨まれた。
「私はもう大学生です」
「いやわかってるけど」
「自分で来るって言ったので自分で出します」
紗夜は私に自分の分のお金を押し付けてくる。あまりに感情むき出しだったので、何も言うことができなかった。
「じゃあ、お二人さんまたねー!」
「心春、送っていかなくて大丈夫?」
「すぐそこだから大丈夫ー! おやすみ!」
千鳥足の心春はそのまま暗い夜道に消えてしまった。少し心配だが、紗夜を一人にするわけにもいかないので、私達は手を振ってその場をあとにした。
隣を歩く少女はなにも話さず横を歩いている。一方で私は足がふらふらして酔いも回っていた。いつも以上に調子に乗って呑んでいたことを後悔してしまう。
「谷口さんまっすぐ歩いてください」
紗夜に怒られて私はその場にしゃがみこんでしまった。
こんな自分は恥ずかしい。
なんでムキになってお酒飲みすぎて、こんな状態になってしまっているのだと、自分に嫌気が差してしまう。
「紗夜ごめん。先帰ってて」
私は酔が落ち着くまで近くの公園で休もうと思った。
はぁと明らかにわざとらしい大きなため息が聞こえる。しかし、次の瞬間、手が握られて腕を引かれた。
「帰りますよ」
ぐっと痛いくらいに腕が引かれる。
私はさっきの紗夜と心春に納得がいっていないので、そのことについて問いかけずにはいられなかった。
「なんでさっき心春と手を繋いでたの?」
私の手を握ってくれている紗夜の手は先程心春と触れ合っていた手だ。
「あれは手を繋いでいたとかそういうのではないです」
「じゃあなに?」
「谷口さんには関係ないです」
紗夜はむすっとしてなにも話してくれなくなった。しかし、紗夜は家に着くまでずっと私の手を離さないでいてくれた。
限界で私はソファーになだれ込んだ。
酔いすぎだ。
このままソファーで寝れそうなくらい酔っている。
「谷口さん水」
紗夜が私に水を渡してくれたけれど、手に力が入らなくてコップが落ちそうになるのを紗夜がキャッチしてくれた。
これ以上は紗夜に迷惑をかけすぎると思い、部屋に向かおうとすると紗夜にはばかられた。
そのままソファーに押し倒される。
「谷口さん、大人しくしててください」
「へ?――」
私は紗夜のわからない言動のせいで、水を飲むよりも酔が覚めてしまったと思う。
「私がバイトの時はキスしなきゃいけないなら、谷口さんは飲みに行く時は私の言うこと聞いてください」
紗夜の意味のわからない発言に私が戸惑っていると、そのままシャツのボタンが外され鎖骨が見える。
そのまま彼女は鎖骨ではなく、首に唇を当ててきて、そこはじりじりと痛みを伴う。
「ちょっ――」
もう遅かった。紗夜の唇が当たっているであろうそこはきっともう赤い跡がついている。
「なんでこんな勝手なことするの?」
「家で飲むのじゃだめなんですか……」
目の前の紗夜の顔があまりにも悲しそうだったから、私は何も言えなくなった。
紗夜はそのまま私の唇を奪ってきた。
いや、唇に噛みついてきたが正解かもしれない。
私の唇は簡単に切れて、口の中は酒と血の味が混ざっていた。
「あんまり人前で酔うようなことはやめてください。家でなら私が介抱するので」
「へ……?」
紗夜は私の疑問に答えることはなく、トンとソファーの前のテーブルに水を置いて部屋に行ってしまった。
次の日、しっかりカモフラージュしたけれど、心春にいろいろと首の印について聞かれて大変だったので、紗夜には強く説教をしなければいけないと心に誓った。
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