第47話 朝ご飯一緒に食べようよ
なんということもなく、仕事が終わりいつもの帰り道を歩く。
スーパーに立ち寄ったが、今日は気合を入れる必要もなく、インスタントスープとおにぎりを一つずつ買った。
紗夜が私の家で暮らすようになってからは、彼女の健康を考えて必ず栄養の偏らないご飯を作っていた。
今日は独り――。
別に私だけなんだから何を食べても変わらないと思って、料理を作ることはやめた。
おいしいと言われたことは無いけれど、いつも柔らかい表情で私の作ったご飯を食べる紗夜を見れることが嬉しかった。
そんな顔はご飯を食べている時しかしないから……。そのためならどんな疲れた体も動いていた。
一日中働いて、体は疲れているので足は軽いはずもなく、ゆっくりと家に帰る。日は既に落ちていて、辺りは静けさと共に暗闇に包まれていた。
真っ暗な家に電気を灯し、買ってきた夜ご飯を机の上に置く。
腕時計をのぞき込むと短い針は七を指していて、あと四時間くらいは紗夜が帰ってこないことを私に知らせる。
ポットであっという間に沸いてしまったお湯をカップに流し込んだ。
そんなことすら億劫に感じてしまう私は駄目人間だと思う。
パリパリのノリが巻かれたおにぎりを頬張り、熱々のスープを喉に流し込む。猫舌なのに勢いよくスープを飲んだことで口の中がひりひりとした。
舌を火傷したせいなのか、なんなのか分からないけれど、食べているものが全然おいしくない。
昼に食べたごぼうの方が苦くておいしくないはずなのに、昼ご飯の時の方が幸せだった。
私は冷蔵庫から煮物を取り出そうとしたけれど、二人の一週間分しか作っていないことや食べ始めたら全て食べて紗夜に怒られてしまうと思い、手をつけられなかった。
そんなことで
予想どおりの時間だ。
きっと、小畑さんとご飯に行っても問題なかった。私の期待は予想通り裏切られる。ただ、それでも彼女を待っていてよかったと思う。
「ただいま戻りました」
「ただいまでいいから。おかえり」
「……はい」
私は彼女をそっと抱きしめた。紗夜からは彼女の洗剤の匂いと、食べ物屋の匂いが混ざった香りがする。
それは紗夜がどこか別の場所に行っていたわけではなくて、居酒屋で働いていたのだと私を安心させてくれる。
紗夜のバイト先に行きたいのに教えてくれないから、私はさっきみたいな虚しい時間を過ごす。ただ、ここに帰ってくると約束してくれるのならば、私はその時間も許容できる。
自分が臭いから離れて欲しいと体を押されて、紗夜の熱が遠くなった。
「早くお風呂入ってきな?」
「谷口さん眠いですよね?」
「なに、そんなに早くしたいの?」
私は少し意地悪をするように彼女に問いかけた。多分、紗夜は約束を守る使命感のために動いているのだろう。
「うるさいです」
スタスタとお風呂場に行ってしまった。
私はソファーで紗夜がくるまっているブランケットを自分に巻いて待つことにした。私の洗剤で洗っているはずなのに、紗夜がくるまりすぎて、彼女の匂いが移っている。
そろそろこのブランケットもいらない時期だ。
このブランケットにくるまっている彼女はとても愛おしくて、それが半年は見れないと思うと少しだけ切なくなり、ブランケットをぎゅっと掴んでいた。
思ったよりも疲労感が溜まっていたのか、私の瞼はどんどん重みを増していく。
ここまで頑張って起きていたのだから寝てはいけないと思う。せっかく今日一日待ったのだから、それに対する対価くらいは欲しい。
待っていないと約束を無かったことにされるだろう。だから、起きていたかったのに私は降りかかる瞼を抑えることは出来なかった。
「……谷口さん起きてください」
私は重たい瞼を重力に抵抗して開けた。目の前にパジャマ姿の紗夜がいる。
「んー、――朝?」
「寝ぼけないでください。早く部屋戻ってください」
私は紗夜に手を引かれるまま部屋に連れられていた。
あれ……私、何してたんだっけ? そういえば紗夜を待ってソファーの上で眠ってしまったんだ。
徐々に意識が現実に戻ると私はベッドの上で横になっていた。
起きないと……紗夜との約束……。
体は自分の思っていたよりも疲れていたらしく、思うように動かない。それはそうだ。普段、仕事の日は十時くらいには寝るという健康児の生活をしていた。紗夜が帰ってきてお風呂を上がるのを待っていたら日付を超えてしまう。
私は重い体を動かそうとすると、紗夜に肩を押されて、背中に柔らかいものを感じる。
背中に柔らかいものを感じたら今度は唇に熱いものを感じた。それは今日の約束の分で、こんな状態の私にそういうことをされるのは不本意で、私の目は徐々に覚める。
「これからは無理して起きてないでください」
「やだ……」
「いいからそんな子供みた……」
私はそのまま彼女をベットに引き寄せた。
「ちょっ、谷口さん!?」
私がぎゅっと抱き締めても彼女は私の腕の中で暴れ回っている。
「明日、講義早いの?」
「午後から……」
「じゃあ、今日はここで寝なよ」
「それじゃあ、朝早い谷口さんに起こされるじゃないですか」
「お弁当詰めてくれないの? 朝ご飯一緒に食べようよ」
明日、早く起きる必要がない子に早起きして自分の弁当を詰めてくれだなんて、私は人でなしなのかもしれない。しかも、バイトでくたくたに疲れているのだから、ゆっくり休みたいはずなのにそれすらも邪魔する私は最低だ。
ただ、今日一日の中で紗夜が詰めてくれたお弁当を食べる時間が一番幸せだった。
明日もその幸せが欲しい。
明後日も明明後日もこれからもと貪欲になっている。
きっとこれから、紗夜は大学の授業が休みの日や授業の時間が遅い日が増えて、朝すらも一緒にご飯を食べられない日が増えるのだろう。
そんなは当たり前の生活で別に何ともなかったはずなのに、今はそれが酷く嫌だと思っている。
そんな自分の好き勝手な感情に彼女を巻き込むことは間違えているのだろうけれど、この温もりを離したくなかった。
「お弁当詰めるし、朝ご飯一緒に食べるから離してください」
紗夜は嫌々そうにそう言っているけれど、私は嬉しかった。私のためとも思えるその行動が嬉しくて、心が躍って、とっくに目なんか覚めてしまった。
「ここで寝なよ?」
「いやです」
紗夜が私の頬を引っ張るので、余計眠気はどこかに行く。頬がじんじんと熱くなっていた。
「じゃあ、今日の分して?」
「さっきしました」
「私は知らない。寝てる時にするのは卑怯」
「……卑怯じゃないです」
私が意識朦朧な中でしてはくれたのだろう。だが、私がそんなことで満足するわけがない。ただ、これ以上彼女を責める理由もないので離すことにした。
紗夜を掴んでいた腕を緩めると、何故か目の前に紗夜の顔がある。私はきょとんと彼女を見ていると紗夜から唇を優しく奪われた。
「……っさ、よ?」
あまりに急で紗夜が変なことをするから、私は変な声を出してしまう。
「まぬけな顔」
紗夜はふふっと微笑んで出ていってしまった。
訳の分からない私だけが部屋に残される。
キスをされたこともそうだけれど、最後に彼女が悪女の顔をして出ていった。
まるで、私をからかうような笑みをこらえて部屋を出てしまう。
こんなのずるい……。
私だけ目が覚めて、寝れなくて、明日の朝に早く起きれなくなってしまう。
どくどくと心臓は鳴り止まない。
私はしばらく熱い唇を指で無意識になぞっていた。
次の日、紗夜はちゃんと起きて私と一緒にご飯を食べて、具材を詰めたお弁当を私に渡してくれた。
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