第48話 相手に借りを作るとかは?
「講義遅れるよっ!」
「ごめんごめん」
私はぼーっとしていた意識を現実に引き戻し、彼女の背中を追った。昼休みに初めて学校の食堂を使用したら思ったよりも人で賑わっており、行列に並んだ末、授業ギリギリの時間になってしまった。
食堂の外に出て、さまざまな学部の講義棟を横切り、私達と同じく講義に急ぎ足で向かう学生がいろいろな棟へ向かおうと、縦横無尽にキャンパス内を行き交う。
私達は講義開始の二分前に到着し、大講義室の後ろの方に腰を下ろした。
「ぎりぎりだったね」
楓は遅刻しそうだったのにとても嬉しそうに小声で話しかけてきた。大きい部屋の一番後ろに座っているので、私達の会話が教授に聞こえることはなく、楓との会話は続く。
「今日の新入生説明会行くよね?」
「うん」
私と楓は大学でいろいろなサークルを見て回り、今のところ学際実行委員がいいのではないかという話になった。サークルは強制ではないので入る必要もないが、友達作りのために私がお願いした。
楓は最初はとても驚いた様子で私のことを心配していたが、私のためならと行動を移してくれたのだ。
完全ではないが、女性に対する恐怖心が徐々になくなってきていると自分でも感じている。
まだ、みんなに対して大丈夫という訳では無いが、谷口さんがいろいろしてくるせいで、だいぶ変なことにも慣れてしまった。
大学生になったら頑張りたいとずっと心に決めていた。だから、楓以外にも信頼できる友達を作りたいし、その子と仲良く会話をして普通に接せられるようになりたい。
今日は学祭実行員の新入生説明会と懇親会的なものも含めて夕方からお菓子やジュースを食べながら花見をする日になっていた。
「紗夜、無理はしないんだよ?」
「もちろん」
私達はそのあともたわいない雑談をして長い講義を終えて、あっという間に夕方になった。
集合の場所に行くと、一年生と思われる人が多くて人酔いしてしまいそうになる。
やはり、自分の選択は間違えていたかもしれない。
人が多くて少し不安だ。
そんな私の気持ちを汲み取ってくれたのか、楓が近くに来て背中を撫でてくれた。
みんなで並びながら花見会場に向かうと、桜が満開で心が一気に熱くなった。
「きれい……」
谷口さんと線香花火をした時のような感覚に襲われた。
私は綺麗なものが好きなのかもしれない。
谷口さんも花や花火を見ている時の顔がとても穏やかなので、綺麗なものが好きなのではないのかなと思っている。私はこの綺麗な桜並木を谷口さんに知ってほしいと思ってしまった。
「誰かをお出かけに誘うときってなんて言えばいいかな?」
楓に問いかけると、私のことを化け物を見るような目で見てきた。そんな驚かなくてもいいのにと思う。
「誘うのは一緒に住んでるお姉さん?」
「うん……」
「ふーん」
私はずいぶん素直に恥ずかしいことを答えたと思う。
谷口さんはなんでもない私を受け入れてくれた。
あんなに酷いことをたくさんしたのに、それでも私を捨てないでいてくれた。
さらに、私にたくさんの素敵なものをくれる。変なことを要求されることも多いけれども、それ以上に私に温かさや優しさを分け与えてくれるのだ。
それなのに私は彼女の何か役に立つことができているかと言われると、未だになにもできていない。
高校生の頃は生きることで精一杯だったが、今は少し大人になったと思っている。バイトも慣れてきたし、谷口さんになにかできることはないかと考えていた。
…………
いや、私はそんないい人間ではない。
症状が治るまで谷口さんの家に置いて欲しいと自分で言ったくせに、そんなのは関係なく彼女の家に住み続けたいと最低な気持ちになっている。
谷口さんにとって私は邪魔な存在で、一刻も早く症状を直して彼女の家から出ていくべきなのだろうけれど、私はそれができないでいた。
もっと私が大人になって彼女の役に立てれば捨てられないんじゃないか、なんて淡い期待も抱き始めている。
だから、どんなに惨めでも情けなくてもいいから、お弁当の作り方を教えてもらっている。
毎朝、私がお弁当の具材を詰める仕事を谷口さんから奪ってしまえば、彼女は私に居てほしいと思ってくれるだろうか。
そんなことで谷口さんが私を必要としてくれるわけもないのに、少しでも彼女の心のなにかにひっかかってくれればいいと思っている。
「紗夜、大丈夫?」
「あっ……ごめん」
「ちなみにさっきの質問なんだけど、素直に伝えるのが一番伝わるよ?」
「そうだよね……」
「難しそう?」
「うん……」
「相手に借りを作るとかは?」
「借り?」
「うん。例えば、なにか相手にメリットのあることをして、自分の言うこと聞いてもらうとか?」
「――なるほど」
それならいい考えがあると、真っ先に変な考えが浮かんでしまった自分を情けなく思った。しかし、楓には感謝しなければいけないと思う。
「ありがとう。実行してみる」
「う、うん?」
彼女は不思議そうに私を見ていた。
「あ、あの……」
知らない女性の声に少し体が硬直してしまう。しかし、それもそう長くはなくて、すぐに声のする方を振り返ることができた。
「同じ学部の一年生ですよね?」
黒髪のポニーテールの女の子が私達に恐る恐る話しかけてきた。
私が答えられずにしどろもどろしていると、「そうです!」と楓が優しく答えてくれる。楓の言葉に安心したのか、目の前の女性は微笑んで自己紹介を始めてくれた。
「私、
紬と名乗る少女は照れくさそうに少し体を揺らしながら話しかけてきた。
楓は紬さんが気にならない程度に私にアイコンタクトを送ってきて、私の意見を待ってくれているようだ。
きっと、私の友達を作りたいという思いを尊重してくれているのだろう。楓の優しさにいつも救われる。そして、私もいつまでも殻にこもったままではなく、自分からしっかりと行動すべきだと思った。
「五十嵐紗夜っていいます……私も、仲良くしてもらえたら、嬉しいで……す」
震える声を我慢しながらカタコトに自己紹介をしてしまった。
「私は秋月楓。楓って呼んでねー」
楓は慣れた感じで自分の名前を伝えている。紬さんは嬉しそうに満面の笑みに変わりお辞儀をしていた。
「よろしくね、紗夜ちゃん、楓ちゃん」
「楓でいいよ!」
「わ、わたしも呼び捨てで呼んでほしい――」
あまりの慣れていない会話について行こうとして声が変に裏返ってしまった。
「ふふ、じゃあ楓と紗夜で。私も呼び捨てでいいからね」
「よろしくね」
「よろしくお願いします……」
こうして、大学では楓と紬ちゃんと過ごすようになった。
その日はいろいろな人に自己紹介をしたり、いろいろな先輩と話して気を使ったりしてとても疲れた。しかし、思ったよりも女性と話せるようになっていて、谷口さんに感謝しなければいけないと思った。
確実に私の症状は治ってきている。それが喜ばしいことなのに、なにか胸に引っかかる感じがしていた。
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