第49話 今日バイトないよ?

「紗夜、大丈夫だった?」


 隣を歩く少女は心配そうに私の顔を覗いてきた。今日も彼女にたくさん助けられ、たくさん心配されている。


「楓のおかげでなんとか。友だちもできて嬉しい……。今度なにかお礼させて? なにか欲しいものとかない?」


 きっと、楓がいなければ紬ちゃんと話をできなかっただろう。楓には感謝してもしきれないので、なにか役に立ちたいと思った。


「じゃあ、今度デートしてよ」

「そんなことでいいの?」


 一緒にお出かけしたいという意味なのだと思ったから、そんなのいくらでも付き合うと思った。


「紗夜、意味わかってないでしょ」

 

 そういって彼女は少し頬を膨らまして、そっぽむいてしまった。


 私はこの状況を理解できず、何を話していいかわからなくなる。


 谷口さんにも楓にもお礼がしたいだけなのに、なかなか上手くいかないのは私の性格に問題があるからなのだろう。そのことが悲しくなり、どんよりとした空気を出してしまった。



「ごめんごめん。今度コスメで買いたいものあるんだ。付き合って?」

「うん、もちろん」

「やった! 紗夜はメイクとかしないの?」


 メイク……。興味はあるけれど、やり方がわからないし、何より谷口さんに返すお金を貯めるまでは自分にお金を使っている余裕はないと思っている。


 楓はなんでそんな質問をしてきたのだろう。メイクをしないとまずいくらい、私は表には出れないような容姿なのだろうか。


「今はまだいいかな……」

「そうなんだ。絶対、もっとかわいくなると思うけどなー」

 

 楓は私の頬をつんつんとつついてきた。


 谷口さんを見ていると楓の言っていることはなんとなくわかる。もちろん、メイクをしていない谷口さんも綺麗なのだけれど、メイクをするとより大人らしさが映えて、たまに目を離せなくなる時がある。


 私はまた谷口さんのことで頭いっぱいになるので楓に違う話をした。


 いつも通り私達は分かれ道で「また明日」と手を振り、家に向かう。

 


 玄関の扉の前に着くと私の心に安寧が訪れ、大きく息を吐くと、心臓の音が緩やかになっていく。


 ガチャリと音を立てて開く扉に安心感があり、一歩大きく玄関に足を踏み込む。


 そのことを幸せを感じる私は変なのかもしれないけれど、今までの私の生活に比べたら今は人生でピークを迎えていると思わされるほど幸せだ。

 

 誰かがいる家に帰る。


 誰かが毎日帰ってくる家で帰りを待つ。


 そんなことが幸せで私の胸をいつもぎゅっと締め付ける。


「ただいま……」

「おかえり。今日は他人行儀じゃないね。えらいえらい」

 

 谷口さんは私に寄ってきて頭を撫でようとするので、その手をかいくぐって洗面所に向かった。


 彼女は不満そうな顔をしていたが、その顔が少しだけかわいいと思ってしまった。


 私は谷口さんに今日見た桜を見て欲しい。


 いや、谷口さんが綺麗な桜を見て、どんな反応をするのか知りたかった。だから、今週の土日のどちらか谷口さんとあの桜並木に行きたいと思う。


 手洗いをしている時に鏡に映った自分の顔が緩んでいたので、両手でぺちぺちと叩いて気合いを入れた。


「谷口さん、話あるのでリビングにいてください」

「ん……? 言われなくても夕飯一緒に食べるんだしリビングいるよ?」


 彼女のその言葉がいちいち私の胸を収縮させる。そんなの分かっていて私だって話しかけている。


 自分の心の準備のために言っただけだ。


 私は自分の部屋に荷物を下ろしてリビングに向かった。


 谷口さんはソファーで大人しく待っていたので私もその横に腰掛ける。


「紗夜、話って?」

 

 私から話があると毎回悪い話だと思っているのだろうか。そんな恐ろしい気持ちを押し殺したトーンで話しかけないでほしい。今からすることがえらく悪いことのように感じてしまう。



「谷口さん、目つぶってください」

「ん……あ、っえ?」

 

 意味のわからないという彼女に私が顔を近づけると、なにを考えているのか谷口さんは大人しく目をつぶってくれた。


 今まで何回もしてきたし、今更、彼女とのそういうことを気にする必要はないと思っている。


 いつもと同じことをするだけだ……。


 私の胸からはドンドンと音が聞こえ始めた。


 どうやら、体の中に太鼓が紛れ込んでしまったらしい。そんな音を無視しながら、私は彼女の唇を優しく奪った。


 谷口さんと距離が離れると少し頭が冷静になり、顔に熱が集まっていくのが自分でもわかる。


 ただ、谷口さんも悪い。


 なんでそんな顔を赤らめて恥ずかしそうにしているのだろう。


 いつもみたいに大人の余裕を見せつけてほしかった。いつも意地悪なくせに、今日は違う意味で意地悪な谷口さんだった。


「今日バイトないよ?」

「そんなの私が一番わかってます」

「じゃあ……」


 それ以上聞かれるのが恥ずかしくて私は彼女の頬をもっと真っ赤になるようにつねった。

 たぶん、すごく痛かったと思う。


「い、いたいいぃ」

「谷口さんの喜ぶことしたから、私の言うこと一つ聞いて下さい」

「……え? う、うん?」

「今週の土日どっちか一緒にお出かけしてください」

「ん? あ、はい……?」

 

 谷口さんは状況を全く理解できていないようだった。


 私だってどうしてこうなったのかわからない。ただ、普通にお願いして断られるのが嫌だった。谷口さんがよくキスをしたがるから、彼女の喜ぶことをすれば、私の話が断られることはないと思ったのだ。


「なんか、私がキス好きみたいに思われてるのは納得いかないけど……」

「だって、そうじゃないですか」

「紗夜の反応がかわいいからしてるだけだよ」

 

 てへ、みたいな感じで話す彼女に少しだけ苛立ちを覚える。


 私だってしたくてしているわけじゃない。


 ただ、心の何処かで谷口さんは私とそういうことがしたくてしているんじゃないのか、なんて勘違いしていた自分を恥ずかしく思った。

 


 いつも谷口さんの真意がわからない。


 ただの軽い人間なのだろうか。


 一緒に生活をしていろいろな彼女を知って、とてもそうは思えないけれど、発する言葉はいつも軽く、私はその言葉にいつも惑わされる。


 優しかったり、大人だったり、おちゃらけてみたり、冗談なのか本気のなのかわからないことを言ってみたり、いつも私は四方八方に振られ続けている。


 しかし、今日はそんなことを怒りたいのではなく、谷口さんと花見の約束をすることが目的だったので、その約束に辿り着けたことを喜ぶべきだろう。


 その後、谷口さんは口笛を吹きながら夜ご飯の準備をしていた。


 明らかにいつもよりテンションが高くて、やっぱりキスが好きなだけじゃないかと思った。

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