第16話 今日、何してたんですか
今日は親友の心春と飲みに行く約束をしている。
紗夜を一人で家に残して行くのは心配だが、温めるご飯も作ったし大丈夫だろう。
そもそも、あの子はもう高校生だ。
心配しすぎる方がお節介で嫌われてしまう。
朝そのことを伝えた時、いつも曇っている顔が少し晴れた気がしたから、私が居ない方が彼女にとっては嬉しいことなのかもしれない。
そのことに少しばかり胸が痛んだ。
紗夜は私の手に噛み付いた日から反省したのか、症状を治すために私と距離が近いのを慣れようと頑張って行動していると思う。
しかし、ソファーに座って近くで話をすることや手を握るなんてかわいいことに留まっている。
女性と話すことすら苦手な彼女からしたら大きい進歩なのかもしれないけれど、私の中ではこんなのでいいのだろうかという疑問もある。
気にし過ぎても状況は何も変わらないので、一旦それを忘れて心春と遊ぶことにした。
「「乾杯ー!」」
一口喉越しのいいビールを体に入れ込む。
「ほんと、和奏が飲み付き合ってくれるとか三年ぶりじゃない?」
「あはは……」
「和奏のこと取って食ったりなんかしないから遊ぶことくらいは許して欲しかったなぁ」
私は恋人がいる三年間、家族以外の人間関係はほとんど切っていた。
あの時の私は彼女さえ居れば他に何も要らなかったと感じていたから、交友関係全て切れと言われても何も嫌だとは思わなかった。今考えれば、なかなか勢いのある発想だったと思う。
「でも、あんなに大好きだったから別れた時、もっと塞ぎ込んじゃうかなって思ったけど、思ったより元気そうでよかったよ。最近、楽しそうだし、もしかして恋人でもできた?」
「ゴホッ!」
急な質問に飲んでいたビールで蒸せてしまう。私はおしぼりで口元のベタついたビールを拭いて心春の方を真顔で見た。
「そんなわけないでしょ」
「その割には随分焦ってるけど、何かあったの?」
さすが私の親友だけあってなかなか鋭いと思う。
ここで嘘をついても仕方ないし、何かあったら困るので、一応信頼している心春には聞いてもらおうと話すことにした。
「捨て猫拾った」
猫……?
凶暴すぎて虎の方が正しいかもしれない。
「猫? あんた、一人暮らしでペット飼い始めたら終わりってよく言うじゃん。大丈夫?」
「んー……猫みたいな高校生が家にいるんだよね」
「はっ!? 高校生!?」
目の前のボブがよく似合う女性はお酒のせいで頬が赤くなっており、私のことをぎょっと見つめて目はどんどん見開いていく。
その後に不審な目で見られるのでこれは撤回しないと変な勘違いをされそうだと思い、急いで修正することにした。
「私を犯罪者みたいな目で見ないで。従姉妹だよ。従姉妹の母親が私の母親に子供預けて海外行っちゃったの」
「何その酷い話」
確かに、冷静に考えれば酷い話だ。その辺、詳しく聞いた訳ではないから何が本当か分からないが、再婚相手と紗夜の関係が上手くいかなかったらしい。
そこは大人が合わせるべきだろうと私は思うのだけれど、それはあくまで個人の意見で、そうもいかないこともあるので余計な口出しはしていない。
ただ、紗夜が暗くなってしまった原因の一つなのではないかと思っている。
「その子、私のお母さんの所にいたんだけど、使ってる部屋のエアコン壊れたからしばらく私の家で預かってくれないかって言われたの。ちょうど一部屋空いてるし、いいでしょって」
「なるほどね。良かったね、高校生と住めるなんて」
ぷぷぷっという感じで馬鹿にしているが、彼女が想像している何倍も大変な思いをしてきた。
「色々難しい子で大変だよ」
「高校生なんてそんなもんでしょ。私達もきっと大人から見たらめんどくさい高校生だったと思うよ」
確かにそうなのかもしれない。心春はいつもなかなか的を得た返しをしてくる。
「まあ、手を出さないようにね。大学生なったらありかもしれないけど、高校生に手を出したら犯罪だな」
「なっ……!? そんなことしないよ!」
私は焦ってしまうが、冷静に考えるとこの間キスをされた。あれは私が悪いことになってしまうのだろうか? 手を繋いだりもアウトだったりするのか?
「わかんないよー。今の子たちってどこでセクハラと思って訴えてくるかわからないし」
「…………」
「はは、急に怖くなってるの面白い過ぎる。だってそんな変なことしてないでしょ?」
「う、うん……」
「何その微妙な返事。まあ気をつけなね。いつまで一緒に暮らすの?」
「今月末まで」
「じゃあ、寂しくなるね」
「一人の時間できてちょうどいいよ」
「ほんとに?」
………………
彼女のその言葉に即答できなかった自分がいる。この生活はもうすぐ終わる。そんなの前から分かりきったことだ。
ただ、この生活が終わって欲しくない自分がいるらしい。
早く一人になって、自分の気持ちに整理をつけてあの家を片付けなければいけない。
紗夜が住むようになってそれが先延ばしにされた。
いや、紗夜のせいではない。私が自分に甘く、紗夜を理由にしていつまでも問題を先延ばしにしているだけだ。
「はぁ…………」
「そんな大きなため息つかないでよ。どうせその子行くあてないんでしょ? 和奏が預かってあげればいいじゃん」
「は――?」
「だって、私たちのお母さんくらいの年齢の人といるより、和奏といる方が気を使わないんじゃない?」
「私、その子に嫌われてるし」
「その割には最近楽しそうだけどね」
心春はにっこりと笑って私に話しかけてくる。
紗夜と暮らす――――?
いや、一緒に暮らす理由が何もない。
そんなことを考えてはいけない。
私は勢いよくグイグイとお酒を口に運んだ。
***
お酒を飲みすぎたことを後悔している。
千鳥足とまではいかないが足がフラフラしていた。このままどこかのホテルに泊まってもいいけれど、明日の朝に私がいなかったら紗夜が少しは寂しがるんじゃないかと思うと帰らなければいけないと足が家に向く。
家の扉を開けるとリビングの灯りがついていた。
なんで…………?
奥まで進むと一人の少女がテレビも付けずにテーブルに座っている。
「なんで起きてるの?」
いつも以上に不機嫌そうな顔をした彼女に疑問をそのまま投げかける。もしかしたら、私のことを待っていてくれた? なんて淡い期待をしてしまう。
「今日は眠くなかったので」
「高校生なんだから早く寝な?」
「谷口さんも早く寝てください」
「大人はこんなもんよ」
私は酔っているのを悟られないように、いつものテンションで話しかけるように努力した。
「――今日、何してたんですか?」
思わぬ質問が飛んできて驚き過ぎて頭にどくどくと音が鳴る。紗夜が私のすることに興味があったのかと思うと不思議でたまらない。
「友達の心春っていう子と飲んでた」
「そうですか」
「質問してる割に興味無さすぎ」
私が回答したのに興味ない返答が返ってくるあたり、深い意味はなく質問してきただけなのだと思う。
しかし、紗夜が睨んで私に近づいてくる。
こんなこと期待しちゃいけないのかもしれないし、普段の私なら傷つくことの方が怖いので、絶対に聞かないけれど、酔いがそれを許してしまう。
「心配して寝てなかったとか?」
我ながら自意識過剰な発言だと思う。ただ、もし心配してくれていたのなら、嬉しい。
「違います」
紗夜の回答は私の求めるものではなかった。しかし、紗夜の言っていることとやっていることの行動が矛盾し過ぎていて、私は酔いすぎたのかと自分を疑いたくなった。
紗夜が私の裾を掴んでいた。
なんの理由があってこんなことをしているのだろう。
夢だろうか。
分からないことばかりで頭の中ではおいしいミックスジュースができあがっていた。
「紗夜……?」
目の前の紗夜が少し辛そうな顔をしていたので心配になる。私は彼女にそんな顔をさせたかった訳ではない。
「今度から何時になるか教えてください。あと予定も詳しく教えてください」
「わかった」
紗夜が私に興味を持ってくれていたという事実は私の心を躍らせてしまう。
確かに予定を詳しくは教えていなかった。何時になるかも心配だから知りたいのだろう。心配で起きていたのかと思うと彼女がとてもかわいく見えてしまった。
「何がおかしいんですか」
私が無意識に微笑んでいたからか紗夜は不機嫌になる。ほんとに不器用な子だと思う。ただ、根が優しいのはどうやら変わっていないらしい。
「心配してくれてたんだよね。ありがとう。寂しかった?」
「心配なんてしてません。寂しくないです」
やはり、紗夜は私の求める回答はくれない。ただ、それでもかまいはしなかった。
その時、彼女を近くで感じたくなった。
理由はよくわからない。
母性かなんかなのかもしれない。すごい、寂しそうな顔をしていたから体が勝手に動いていた。
「少し、強引でもいいよね――」
彼女をそっと優しく抱き寄せる。その体は小さくて、か弱くて、心細さが伝わってくる。
不安にさせてごめんね。
そして、その感情と同時に悪い感情も生まれた。
誰かを抱きしめるなんて何回もしてきたはずなのに、今日が初めてなのかと思いえるくらい心臓はおかしくなっていた。
彼女の匂いがふわふわとしてくる。そのせいで、彼女を抱きしめる腕に力が入った。
『そんな変なことしてないでしょ?』
さっきの心春の言葉が何度も頭に流れてくる。
これが変なことなのかどうかわからない。
いや、こんなの変なことではない。これは、彼女の症状を治すためでやましい気持ちではない。
紗夜は女性が苦手なはずなのになんでこんなことを許してくれるのだろう?
私だから許してくれる。そう思ってしまった。
しかし、次の瞬間、自分は自惚れていたのだと自覚する。
体は思いっきり突き飛ばされて、彼女との距離が離れる。突き飛ばされた痛みよりも彼女の信じられないくらい嫌そうな顔が私の胸にズキズキと痛みを与えてきた。
「こんな変なことしないでください」
とても嫌そうな顔をした彼女は部屋に行ってしまった。
私は今どんな顔をしているかわからない。
ちゃんと隠せていただろうか?
隠しきれないくらい悲しみが顔に出ていなければいいと思った。
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