第13話 花火、綺麗でしょ?
母から朗報が入る。
エアコン業者の予約が取れず、九月末まで実家のエアコンが直らないらしい。それで、引き続き紗夜を預かって欲しいというお願いだった。
朝ごはんの片付けが終わると、紗夜はすぐ部屋に戻ろうとする。受験生なので勉強がしたいのか、もしくは私と一緒にいる時間をできるだけ短くしたいのか……。
しかし、今は母から告げられた事実を伝えなければいけない。
私は何も悪くない。
実家のエアコンが悪いのだ。
「紗夜、少しだけ話あるからちょっと待ってて?」
そう言うと紗夜はびくっと反応して、恐ろしいものを見るような顔をしていた。私ってそんな怖いのだろうかと思いつつ、紗夜の横に近づく。
「今、お母さんから連絡あって、エアコン九月いっぱいは直らないんだって。だから、ここに住むのちょっと伸びるから」
「えっ……」
あからさまに嫌そうな声が聞こえて、私のテンションは下がってしまう。紗夜が私と住むのが嫌なことはわかる。しかし、そうだとするのなら私にあんなことをしないで欲しかった。私はそのせいで寝不足なのだ。
「とりあえず決定事項だからよろしくね」
紗夜にそれだけ告げて、私は掃除や買い物を始める。家事をしているとあっという間に夜になり、紗夜との約束の時間になった。
「花火しに行くよ!」
紗夜はずっと部屋にこもったきり出てこない。何度も扉を叩くと思いっきりドアが開いて頭をぶつけた。
「いでっ……」
ぶつけた頭をさすりつつ、紗夜を見ると言葉が出なくなった。
紗夜の服装は部屋着か制服が多い。それでも十分威力はあったのだけれど、私服の破壊力は想像を超えていた。
ロングスカートがよく似合い、髪の毛は少しセットされていて、前髪がかきあげられて、紗夜の右目の下にあるホクロがより際立つ。
高校生とは思えない色気だ。
なんて考えているとまたオヤジだとか母に言われそうなので頭にいる悪い煩悩を振り払い、彼女に声をかけた。
「かわいいね」
「意味わかんないです。早く行きましょう」
紗夜はスタスタと玄関に向かってしまう。私も置いていかれないように急いで彼女を追いかけた。
「どこで花火するんですか?」
「お母さんに車借りてきたから少し遠くの河原まで行こうと思ってた」
私は車の止まっている駐車場まで紗夜を案内する。日は落ちているが外はまだモワモワしていて体に
「谷口さん車運転できるんですね」
「惚れた?」
紗夜から声をかけられ少し調子に乗った聞き方をしてしまった。暑いから頭がよく働かなかったということにしておこう。
「いいえ。人とか轢き殺してそうです」
「ぷっはは! そんなこと初めて言われた」
思わぬ回答に面白くてつい声を出して笑ってしまう。私はそのまま車を出す準備を始めた。
「……そういう風に笑ったりするんですね」
「ん?」
車のエンジン音が紗夜の声と被ってしまい、よく聞こえなかった。
「なんて言ったの?」
「殺し屋みたいな笑い声だなって言いました」
「失礼すぎ」
紗夜の返事は相変わらず冷たいが、今日はちゃんと花火に付き合ってくれるから私はかなり上機嫌になっていた。
車で二十分くらいの所にある河原に到着する頃にはさっきまでの暑さはだいぶ落ち着き、ジージーやキリキリと草むらから音が響き始める。河原の合唱団は少しうるさいと感じるくらい賑わっていた。
私は持ってきた花火セットを開封して、何から始めるか考える。やっぱり初めは無難に手持ち花火なんかがいいと思い、手持ち花火を紗夜に渡した。
紗夜の顔は相変わらず曇ったままだ。
なにが彼女をそんなに変えたのかわからない。ただ、花火が輝いた時にその顔が少しでも晴れればいいなと思った。
花火にマッチで火をつけるとぱちぱちと音を鳴らし、すごい勢いで光が真っ直ぐに飛んでいく。その勢いは思ったよりも強く、一メートル先まで光が伸びていた。
どうだ! と紗夜の顔を見ると、思ったよりも紗夜は目を丸くしている。その様子を見て少しだけ安心して、私も花火に火をつけてブンブンと危なくない程度に振った。
「谷口さん危ないです」
紗夜にそんなふうに怒られてしまうけど、止めることはできなかった。
楽しい――。
紗夜を楽しませるために花火に連れてきたのに私が一番楽しんでしまっている。最近、こんなふうに子供の遊びをしたのはいつ以来だろう。大学生になって、友達や恋人を含め私が関わる人達は私より大人な人が多くて、おしゃれなカフェやおしゃれな服屋に行くことが多かった。
別にそれが嫌いなわけじゃないけど、小さい頃から外で遊んだりスポーツをするのが好きだったから、こういうことをする方が私には向いているのかもしれないと改めて思った。
それこそ、こんな風にはしゃいで遊ぶのは紗夜と遊んでいた時以来だと思う。紗夜は私のことを冷たい目で見ていたけどそんなのは関係なく楽しみ続けた。
「次はこれやるよ」
「なんですかこれ」
「爆竹」
嬉しいことに紗夜は不思議そうな顔をしている。そう来なくてはこちらも説明のしがいがなくなってしまう。
「見ててね」
私は爆竹を地面に置き、火を付けた。
爆竹はバチバチと音を鳴らし、光り始める。
「うるさいですねこれ」
「そういうもんだよ。それもいいじゃん」
「谷口さんみたいでやかましいです」
「なんじゃそりゃ」
私は悪口を言われて、完全にバカにされているのに、彼女に笑顔を向けてしまう。紗夜が私の話していることになんでもいいから応えてくれるのが嬉しかった。
「今度はこれだね」
「これはなんですか? 花火なんですか?」
紗夜は眉間に皺を寄せながら私が花火と言った物体を見ていた。黒く丸い磁石みたいなそれは確かに花火には見えないかもしれない。
火をつけるとニョロニョロと黒い物体が伸びてくる。
ヘビ玉。
煙と一緒に蛇のように伸びてくるそれは地味で変わった花火ではあるが、私は結構好きだったりする。
「わぁっ!」
なんだろうと近づいていて見ていた紗夜が驚きながら私にしがみつく。その行動に私の心臓は飛び跳ねそうになった。
「紗夜……?」
女性に触れるのが嫌なんじゃないの?
勘違いだと思っていたから気にしないようにしていた。しかし、その勘違いはどんどんと確信に変わっていく。
私になら触れても大丈夫なのでは……?
「すみません……」
勢いよく紗夜が離れてしまう。
紗夜が触れていた腕が急に熱を持ち始める。
私たちは気まずい雰囲気になってしまったので、他の花火をすることにした。
「次は噴出花火だね」
「――噴出花火?」
私は箱型の花火を地面に置き、火をつけた。噴水のように火花が上に向かって噴き上げる。パチパチと音を立てながら吹き上げるそれは暗くなった辺りを一気に明るくした。
「こういうのもいいよね」
「……そうですね」
「えっ……?」
隣の紗夜を見るとすごく難しい顔をしていた。今の会話からは想像できない顔をしていて彼女の心情がわからなくなった。
聞き返したいけど、聞き返してもきっと同じ答えは返ってこないだろう。私はただ噴き上げる花火が終わるのをぼーっと見てしまっていた。
そして、締めはやっぱりこれしかない。
「はい。これで最後ね」
私は紗夜の手に花火にしては心もとないものを渡す。
「これは知ってますよ」
「ほー。じゃあ、どっちが長く耐えられるか勝負だね」
「勝ったら何かしてくれるんですか?」
そんなことを言うと思ってなくて、思わずフリーズしてしまう。
お得意の「意味わかんないです」が返ってくると思っていたので予想外の言葉に何を話したらいいか分からなくなってしまった。
「谷口さん……?」
紗夜に呼ばれて固まった体が動き出す。紗夜がそんな勝負に乗るわけがないが口にするのはタダなので、言ってみることにした。
「負けた方が勝った方の言うこと聞くとかは?」
私はにっこりと答える。
この勝負を持ちかけた理由は色々と紗夜に確認したいことがあるからだ。まあ、たぶんこの勝負なら嫌だと言って彼女は乗ってこないだろう。
「いいですねその勝負乗りました」
……!?
あまりにびっくりしてまた声が出なくなってしまう。紗夜はどうやら意気込んでいるようだった。そんな勝負あほみたいですなんていいそうなのに、紗夜はやる気満々だ。そんなに私にお願いしたいことがあるのだろうか?
「ちなみに、紗夜が勝ったら私になんてお願いするつもりなの?」
「勝負前に言ったら意味ないじゃないですか」
「前でも後でも変わらないでしょ」
そういうとしばらく考え込んで紗夜は真顔で口を開いた。
「もう私に話しかけないでとかですかね」
その言葉を聞いて、みぞおちに何度もパンチをされている気分になる。自分のためでもあったけれど、紗夜のためでもあったこの行動は全て間違えていたのだろうか。
そんな不安が急に押し寄せる。
しかし、今それを気にしても仕方ないし、その理由を聞いたら尚更勝負は引けないものになった。
絶対、私と一緒にいて良かったと思わせたい。
これはもう紗夜のためではない。
私のための勝負だ。
「紗夜がそういうなら私も遠慮なくお願いするから。負けても泣かないでね」
私がいつになく本気な顔をしていたからか、紗夜が少し驚いた表情をしている。そのまま、線香花火に視線を落としていた。
「もちろんです」
私たちは、同時に火を付けて線香花火はパチパチと小さな音がなり始めた。私は今だけは奈良の大仏にでもなったかのようにずっしりと動かなくなる。
本来、線香花火はその綺麗で雅やかな形を楽しむものだ。
しかし、この勝負だけは負けられない。
紗夜を見る余裕もないくらい手の先にある花火に集中していた。
私の線香花火の勢いがなくなり、心臓がどくどくと焦り始める。
「あっ……」
私の線香花火が地面に落ちる前に紗夜の声が聞こえた。どうやら勝利の女神様は私に微笑んでくれたようだ。
「私の勝ちだね」
ニヤニヤと紗夜を見ると納得のいかないという顔をしていた。これで紗夜と話せなくなる事態は避けれたようだ。
「谷口さん、もう一回」
そう言って悔しそうな紗夜が私に線香花火を渡してきた。
「今の勝負無しとか言わないでね」
「いいから早くやりますよ」
紗夜の勢いに押されてもう一度勝負をする。しかし、結果は変わらなかった。紗夜が悔しそうな顔から納得いかないという顔になっている。
「谷口さんずるしてません?」
「そんなことしません。あと、線香花火は勝負するよりもっといい楽しみ方があるんだよ」
私は紗夜に触れないギリギリのところで横並びになって彼女に線香花火を渡した。
「線香花火よく見てて。四つの形があるから」
線香花火に火を付けると火の蕾が出来上がり、パチパチと力強い火花が声をあげ始める。
火花は四方八方に広がり綺麗な牡丹のような形になった。
そこから、さらに勢いを増し松葉のように火が広がる。ここが線香花火の最上級に輝ける美しい時だ。小さな花火は遠くに火花をパチパチと伸ばし、煌めくために必死に見える。
少しずつ火花は勢いを失い、散っていく菊のように一本一本地面に落ちていく。全て散り終わった線香花火はその一生を終えたかのように火玉で始まり火玉で終わり地面に帰っていく。
隣の紗夜はずっと線香花火に釘付けだった。
「いろいろな形見れた?」
「はい……」
「あっ、ちなみにこうやって斜めに持つと線香花火って長持ちするんだよ」
「やっぱり、さっきずるしてたんですね」
「ずるじゃないじゃん。斜めにすると重力弱まるから長続きするんだって。受験生はそれくらい考えればわかるんじゃないの」
私は少し意地悪かもしれない。ただ、いつも散々言われすぎているのでこれくらい意地悪してもバチは当たらないと思う。
「紗夜とまた花火できて良かったなぁ――」
「…………覚えててくれたんですね」
「えっ?」
紗夜が覚えていてくれた方が私的には驚きだった。彼女はあの時の約束を覚えていてくれたから、楽しくもないと言った花火に付き合ってくれたのだろうか?
「谷口さんラスト一本ずつ」
紗夜がまた、私の手に線香花火を乗せてくる。
紗夜はいつからこんなに花火に夢中になり始めたのだろう。最初の手持ち花火の時なんかは私を冷たい目で見ていたはずだ。
紗夜のその少しの変化に気がつくことなく、花火を楽しんでしまっていた自分に少し後悔した。
さっきまで線香花火にしか夢中じゃなかった私は今度は線香花火を見つめる紗夜に釘付けになっている。
紗夜はなにを考えてるか全然わからない。
ただ、線香花火の形が変わる度に楽しそうでも嬉しそうでもないけれど、少し表情の変わる紗夜を見ていたら、きっとつまらないものではなかったのだろうと安堵した。
最後の線香花火もあっという間に散ってしまう。
時間にして数分足らずのこの小さい花火に人は心躍らされてしまうなんておもしろいこともあるらしい。
「花火、綺麗でしょ?」
「――うん」
紗夜は少し寂しい顔をして地面に落ちた火玉を見つめていた。
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