第4話 先が思いやられる……

 時計を見るとまだ、七時を指していた。

 

 今日は休日なのでたっぷり寝れそうだ。午前中はゆっくりと寝て、午後から家の掃除を始めようと思い、生ぬるい布団を被る。

 

 しかし、台所の方からすごい音が聞こえて起きずにはいられなかった。私は急いで布団から飛び起き、音のした方へ向かう。

 


「どうしたの?!」

「ご飯食べたくて準備しようとしたら、落としちゃいました」

 

 紗夜が申し訳なさそうに俯いていた。床には鍋が転がっている。どうしたら床に鍋がたくさん転がるような状況になるのかわからない。



「はぁ。私が作るからそっち座ってて」

「自分でやります」

「料理作ったことあるの?」

「ないです……」

「はぁ……邪魔だから早くそっちいって」

 

 私は寝起きがいいほうではない。朝からイライラしてしまう出来事が起きて、気分が良くなかった。

 

 紗夜がその場に立ち尽くしてしまうので、彼女の腕を掴んで引こうとするとビクビクしながら手を避けられる。


 そんなに嫌がらなくてもいいのに、あまりにも過剰に反応していた。


 私の言い方が悪かったのかもしれない。


 紗夜は大人しく自分で移動したので、私はそのまま料理を始めることにした。


 年下の子に優しく出来ない自分に嫌気がさしてしまう。その罪滅しではないが、深呼吸をしてざわざわとする心を落ち着かせ、声のトーンを明るくして話しかけることにした。

 

「朝はご飯派? パン派?」

「……パンです」

「ちょっとまっててね」


 私は急いで準備して食卓にご飯を並べる。

 トーストに目玉焼きとベーコンを乗せ、コンソメスープを出した。紗夜はトーストと私を交互にちらちらと見ている。


 

「谷口さん……」

「ん?」

「朝からすみませんでした」


 珍しく素直だと思って頭に触れようとすると信じられない勢いで避けられる。


 小さい頃は「頭撫でて!」とか言う、かわいい子だったはずなのに残念だ。


 そして、昨日から彼女に感じる違和感を解消したくて聞かずにはいられなかった。

 

 

「もしかして、触られるの嫌だったりする?」

 

 何回もそういう態度を取られるので、そうなのかなと思ってしまった。もしくは私のことが本当に嫌いなのか?



「私、女性恐怖症なんです……。女の人と話すのも女の人に触られるのも怖くて……」

「そうなんだ――」



 全然知らなかった。というか、それは私の母も知らないと思う。そんな辛いのに、今まで色々我慢して私の実家に居たのかと思うと少しだけ申し訳ない気持ちが湧いてきた。


 何があったのかは知らないけれど、紗夜が怖いというのなら自分の行動には気をつけようと思う。

 

「ごめんね――。次から気をつける」

 

 あまりにも紗夜が弱々しくなってしまったので、これ以上は聞かない方がいいのかもしれない。


 ただ、紗夜がそうなってしまった原因が気になってしまう。疑問は何も解消されていないが、これ以上嫌なことを聞いてしまわないように、違う話題に切り替えることにした。

 


「ご飯おいしい?」

 

 それは無駄な話だと言われそうだと思ったけれど、案外そんなことはなく、首を縦に振ってご飯をもぐもぐと食べていた。黙っていればただのかわいい女の子だ。



 

 私の新しい傷はまだ全然癒えてはいない。むしろ深くなる出来事があったが、毎日、目の保養が目の前にいるのでそこまで落ち込まずに済んでいるのだと思う。


 実家のエアコンに少し感謝した。



 最近、元カノに新しい恋人がいると発覚した。SNSで新しい恋人と手を繋いで旅行に行っている写真が上がっていた。


 世の中そんなものだ。


 本当ならもっと落ち込んでいてもおかしくないのだが、やはり目の前の美少女のおかげで気が紛れているのだと思う。


 

「片付けは私がやります」

 

 唐突に目の前の美少女がそんなことを言い出す。手は白くスベスベで、とても洗い物なんかしたことあるようには見えない手だ。

 

「できるの?」

「たぶん……」

 

 この子は何も教えてくれない。できるのかできないのかわからない曖昧な回答だし、さっきはできもしないことをしようとしていた。

 

 一緒に住む上で少しルールは作った方がいいのかもしれない。


 

「じゃあ、片付けの仕方教えるからおいで?」

「はい……」

 

 私はこの家での食器の洗い方から片付け方、食器の場所を丁寧に説明する。理解してくれたのかは分からないが、昨日の彼女とは違い、少し素直な態度で私に接してくれた。


「ここで住むのはそう長くないかもしれないけど、ルール決めよう」

「ルール……?」


 私は彼女にこの家で暮らす上でお互いストレスにならないようなルールを作った。

 

 一つ目は洗濯は自分の分のみ回し、洗剤は自分のを使うということだ。これは私の勝手な考えだが、匂いが混ざるのが彼女にとっては嫌なんじゃないかなと思ったからだ。

 

 二つ目はご飯は基本的に私が作り、食器の片付けは紗夜が担当するということ。

 

 三つ目は一日おきに交代して部屋の掃除をすること。

 

 四つ目は生活に必要な質問しかしないから、必ずそれには答えること。そして、なにかあったら必ず相談すること、と彼女に伝えた。



「以上、なにか文句ある?」


 注文が多いかもしれないが、これくらいしっかり固めて紗夜にも仕事を振れば、少しは気を使わずにこの家に居れるのではないかと思った。

 

「わかりました」

「リビングもキッチンも好きに使っていいけど、危ないこととかはしないでね」

「はい」


 私が話し終わると紗夜は部屋に向かってしまう。


 

「はぁ……先が思いやられる……」



 その日、一日中彼女は部屋から一度も出なかった。荷物を見る限り、暇つぶしをできるようなものは入っていなさそうだし、貸している私の部屋にもなにもない。呼べば反応はしてくれるが基本部屋にこもったままだ。


 何をしているのか気になるものの、干渉しすぎても余計嫌われてしまうだけなのでそのまま過ごすことにした。

 

 私は休日なのに紗夜のことで頭いっぱいな一日を過ごし、今は夜ご飯を食べ終わり、紗夜がお風呂に入っている。


 ピーピー

 

 お風呂の方から呼び出しがあったので、急いでお風呂に駆けつけた。

 

「何かあった?」

「冷たい水しか出ないです」

 

 私が今までお風呂に入っていてそんなことはなかった。外からその原因がわかるのなら、私は今頃、魔法使いとでも崇め奉られてテレビに引っ張りだこになっているだろう。


 そんな冗談は置いておいて、今は彼女を助けなければいけない。


「ちょっと中入っていい?」

「嫌です」

 

 ですよね……。

 私だって家族以外に裸を見られるのが恥ずかしいのに、年頃の紗夜はもっと嫌に決まっている。この状況をどうしようか頭を悩ませる。

 中を見ないことにはなにが原因かわからないのだ。



「お風呂に浸かってれば見えないから入っちゃだめ? じゃないと冷たい水で体洗うことになるよ」

 

 お風呂からぽちゃぽちゃと音が聞こえ、ドアの方に人影が映る。冷たい水で体を洗うのは流石に嫌だったのか、お風呂の鍵がガチャリと開いた。

 

 急いで中に入って蛇口のあたりを見ると温度設定を間違えていることに気がつく。確かにうちの家の温度設定は少し複雑で、私も最初はよくわからなかったことを思い出した。

 

 

「ここで温度設定するんだよ」


 説明するために紗夜の方を見ようと思ったが、彼女の気持ちを考えると今はそちらを向かない方がいいだろうと思った。

 

 少しだけ横目に見ると紗夜は湯船の中でぶくぶくとしながら体育座りをしていた。


 そんな深くお風呂に浸かっていたら、のぼせてしまう。私は何も言わずに急いでお風呂の外に出た。


 私がお風呂から出てしばらくしてから紗夜が上がってきたが、かなり顔が真っ赤だった。やはり、のぼせてしまったか……。


「顔真っ赤だけど大丈夫?」

「大丈夫です……」


 紗夜はそのままふらっと倒れそうになったのでそれを支えた。

 

 次の瞬間、私は思いっきり突飛ばされる。


「い、た……」


 支えたのにその仕打ちはないんじゃないかと思う。しかし、紗夜が女性に触れられるのが怖いと言っていたことを思い出した。


 紗夜の態度に少し苛立ちを覚えつつも彼女の気持ちも考慮して、ここはこちらが大人になろうと思うことにした。

 


 どうやら紗夜はほんとにのぼせてしまったようで、床に座り込んでいる。


 

「紗夜、ごめんね」

 

 私の肩に彼女の腕を回して持ち上げる。


 彼女が触れられたくないのも、この状況が嫌なことも重々承知しているが、のぼせている紗夜をそのままにしておくわけにはいかなかった。

 

 彼女の体は強ばっていたが、私は気にせず紗夜を部屋に運ぶしかなかった。


 扇風機を出して彼女に程よく当たるようにして、氷枕を彼女の首の下に引いた。


 紗夜はずっと壁側を見て黙りだ。


  

「なんか小さい頃の看病思い出すね」

 

 小さい頃、紗夜が風邪を引いた時はよくこうやってそばで看病したものだ。


「それ余計な話ですよね……」

「うん。だから無視していいよ」

 

 私は小さい頃の彼女を思い出し、無意識に頭を撫でようとしたが、彼女が少し動いたのでその手を引っ込めた。もう、紗夜は私の知る小さい頃の従姉妹ではないのだ。こういうこともきっと迷惑になる。




「谷口さん……」

「ん?」

「ありがとうございます――」

 

 紗夜は壁側を向いていて顔は見えないけど、耳が真っ赤だったので、恥ずかしいのかな、なんて自分の都合のいいように解釈しておくことにした。


「どういたしまして。また明日ね」

 

 明日は素直じゃない紗夜に戻っているのだろうけど、彼女が少しだけ素直になったのを喜んで私は部屋を出た。

 

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