第5話 誰も愛したくないし愛されたくない

 谷口さんが部屋を出てしまい、私と冷たい氷枕が部屋に残される。扇風機はさーっと音を立てて、私を見つめている。

 


 私は谷口さんに最低なことばかりている。それなのに、彼女は気にせず常に優しく接してくれる。


 谷口さんは誰に対してもそうなのだろう。


 その優しさに甘えたくなるが、この生活はそう長くない。それなら谷口さんと仲良くしなくていい。だから、私は嫌われてもいいような態度を取るし、谷口さんが私のテリトリーに入ってこないようにしている。

 



「和奏ちゃん……」


 自分の小さい頃の記憶は驚くほど鮮明で、谷口さんとの思い出をたくさん思い出していた。私は谷口さんのことが大好きで本当のお姉ちゃんみたいに慕っていた。


 彼女の名前を素直に呼べなくなったことを残念に思う。

 

 谷口さんを目の前にすると、女性に対する恐怖心が湧き上がるのと、昔の感覚で話したいという思いで板挟みにされてよく分からない行動を沢山取ってしまう。


 やはり、女の人というだけで過去のことを思い出し、息苦しくなってしまう。




 私は、大好きで愛していた人達に裏切られた――。

 

 人はすぐに嘘をつくし、すぐに裏切る。



 




 私の父は早く亡くなり、母は女手一人で育ててくれた。

 

 生活は苦しいし、ご飯もまともに食べられない時もあったけれど、優しい母がいてくれたから私は幸せだった。

 

 私が小さい頃、母はどんなに疲れた日でも私を抱きしめて「愛している」と頭を撫でてくれたのを今でも覚えている。


 母が昼も夜も働いて私のめんどうが見れないため、母の姉の家に預けられることが多くなった。


 そこに居たのが谷口さんだ。


 谷口さんはいつも優しくて、温かくて私を包み込んでくれるような存在だった。そんな谷口さんのことが大好きだった。


「和奏ちゃん、ずっと一緒にいてくれる?」

 

 父は顔も覚えていないくらい幼い頃に私を置いていってしまったし、母も私のために働いて、家に帰ってこない日が続いていた。


 谷口さんくらいはどこにもいかないと約束して欲しいと強く願った。


 

「私は紗夜の味方だし、そばに居るよ――」

 

 制服姿の谷口さんは私の頭を優しく撫でて、約束してくれた。私はその言葉を信じて過ごしていたが、その気持ちが裏切られるのはそう遅くはなかった。


 

 私が中学生くらいになった頃に谷口さんに恋人ができたと話が入ってくる。その辺から谷口さんは私の相手をしてくれなくなった。

 

 彼女にとっては恋人の方が優先すべき人で、私のそばに居るなんてその場しのぎの言葉だったのだと思い知った。

 

 私が勝手に期待して、勝手に裏切られたと感じただけだ。



 

 誰も味方がいなくなったと孤独に感じていた中学三年生の頃に、私は生まれて初めて好きになり、私の全てを捧げてもいいと思えるような人に出会えた。



 その人は同い年のだったけれど、私の全てを受け入れてくれて、全てを愛してくれた。


 そう思っていた……。


 私たちは恋人らしいことは全てしたと思う。

 デート、お泊まり、手を繋ぐ、ハグ、キス、そしてそれ以上も。


 好きな人と触れ合えるのがこんなにも幸せなものだとは知らなかった。彼女も同じ気持ちだと思って、彼女と多くの時間を過ごした。しかし、私にとって幸せだった時間は彼女にとっては違うものだったらしい……。



『気持ち悪い』

『重いよ』


 …………

 


 今でも思い出すと吐き気がして、呼吸の仕方を忘れてしまう。


 この世から消えたくなる。

 

 本気で好きになったからこそ反動はひどく、あの時はかなり塞ぎ込んでいたと思う。

 

 学校に行けなくなってしまい、彼女とは会わなくなってしまった。もとより、私だけが彼女に恋をして浮かれていただけだったので恋人ですらなかったのだろう。



 自分が気持ち悪いせいで好きだった人に嫌われた。また、誰かに気持ち悪いと思われるのではないか……そんな恐怖に毎日脅えている。

 

 その出来事があってから、私は女性が近くにいるだけで変な汗をかき、体が震えてしまうようになった。まともに話すことすらも出来なくなったのだ。

 


 そんな私に追い打ちをかけるような出来事が起きる。


 母が海外を飛びまわる男性と結婚したのだ。


 母はずっと私のために働いていて、大好きな母の苦しい姿を見るのは辛かったので、幸せにしてくれる人がそばに居てくれるのは喜ばしいことのはずだった。

 

 しかし、母が家に帰ってくることはなくなった。私は一人で生活するには未熟な年だったため、邪魔になったらしい。

 

 どんなに貧乏でもどんなにご飯が食べられなくても、母が隣にいてくれればよかった。私にとっての味方は母しかいないと思っていたが、それも勝手な期待だったらしい。


 唯一の肉親で愛していた母からも私は必要とされなくなった。

 


 私は完全に一人なってしまった。

 


 みんな裏切る。

 みんな私の前から姿を消す。


 

 誰も愛したくないし愛されたくない。



 嘘で固められたこの世界に絶望し、私は人を信じることが難しくなった。



 

 …………




 視界には真っ白な天井が広がっている。

 それはまだ見慣れない天井だ。

 

 まさか、谷口さんと暮らすことになるなんて思いもしなかったので、彼女と再会してから私の気持ちはずっとミキサーにかけられている気分になっている。


 女性に対する恐怖心があるのに、谷口さんと上手く生活して行けるか不安でしかない。こんな不安な中、谷口さんとの同棲生活が急に始まってしまった。


 今日はのぼせたせいでたくさんの嫌なことを思い出し最悪な気分だ。なにより、谷口さんに酷いことを沢山してしまった自分に嫌気が差していた。


 今日の態度をどれだけ反省しても彼女に伝わることはなく、胸にはもやっとした感情だけが残っている。

 


 体は今も熱がこもっていて、いくら氷枕で冷やしてもしばらく冷めず熱が残っていた。

 




 

 

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