第6話 酒と煙草の方が似合うってよく言われる

 次の日の朝、私は谷口さんの部屋の前にいた。優しくしてくれる彼女にひどいことをしまった。


 謝らなければいけない。


 わかっているけど、今はそれがえらく難しいことのように感じる。


 

 なんて声をかければいいのだろう……。


 ひどいことをしてすみませんでした。

 これからは気をつけます。

 申し訳ありませんでした。


 どれも淡々とした言葉しか思い浮かばない。


 何度悩んでも同じ回答しか出てこなくて、かれこれ部屋の前に二十分くらい立ち尽くしている。


 誰かに謝らなければいけないことなんて久しぶりで、どうしたらいいかわからなかった。

 

「はぁ……」


 早くこの生活が終わればいいと思うけれども、私には行くあてがない。


 私の母はもう家には帰ってこない。谷口叔母さんは優しい人だが、とても気を使うので毎日疲れてしまう。結局、私はどこにいても居場所がないと痛感して苦しくなっていた。



 

 今日は谷口さんは仕事が休みの日なので、まだ起きるような時間ではない。


 やはり、今話しかけるのはやめようと思い、ドアの前から離れようとすると扉の開く音が聞こえ、体が固まった。


「どうしたの? お腹減ったの?」


 谷口さんは眠そうに欠伸あくびをしている。前髪がかきあげられていて、寝起きなはずなのに少し色気のある感じだ。彼女が近づいてくるので動悸がして少し具合悪くなってしまった。

 


「あの……」


 部屋の前で散々考えていたのが無駄になるくらい言葉に詰まって黙り込んでしまう。


「ん……?」

「――ごめんなさい」


 私の悩んだ二十分は驚くほど短い一文にまとめられた。


 その一言ですら言うことに三日分くらいの体力を使った気分になっていて、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。


 恐る恐る彼女の顔を見ると優しく笑顔でこちらを見ていた。

 

「そんなこと気にしてここに立ってたの?」


 さっきまでの優しい顔が少し悪い顔になって私を覗き込んでくる。何を考えているのだろう……。



「別に気にしてません」

「えーじゃあ、ごめんって言うのは思ってないけどとりあえず謝っておこう的な感じ?」


 そうじゃない……。


 ちゃんと真剣に考えて謝りに来たのだ。でなければ、何分も部屋の前で立ち尽くしたりしない。


 女性と話すことすら苦手な私がここに立てていること自体が奇跡に近い。


「ちがっ――」


 そんな私の答えは分かりきっていたという感じで谷口さんが声を被せてきた。


「本当に申し訳ないと思うなら、これから私とくだらない話してよ」


 彼女の顔は先ほどよりも悪い顔になっていて、いつもの優しい笑みからは程遠くなっている。まるで、悪巧みを考える少年のような顔だ。さっきから、私をニヤニヤと見ていたのはそれが理由かとがっかりする。



「どうするの?」


 私が反省しているのをわかっていてそんな注文を投げてきているのだろう。反省している気持ちはあるが、彼女の思うつぼになるのが嫌だったので私は逃げ道を探した。


 

「今日だけなら……」

「それずるくない?」


 ずるくもなんともない。私が彼女に酷い態度を取った時間は一日にも満たない。それなら、その反省に費やす時間も同じくらいの時間でいいと思っている。むしろ、一日もくだらない話を谷口さんとするのだ。十分過ぎると思う。


「だって、それだと部屋にこもって私と話す気ないでしょ」


 谷口さんは鋭かった。


 私は反省する時間を短くした上に谷口さんと話すつもりはなかったので、部屋にこもる予定だった。私が困った顔をしていたからか、谷口さんは苦笑いで言葉を続ける。

 

「じゃあ、話すの今日だけでいいから買い物手伝って?」

「買い物?」

「うん。一週間分のお弁当の具材を作り置きしないといけないし、部屋の家具はほとんど買い替えたいなと思ってる。一人だと色々思い出して辛いから、紗夜が居てくれると嬉しいな」


 谷口さんは笑顔で話しかけてくれるが、その裏にはとても辛そうな感情が見えた。ただ、元カノを忘れるために利用されるのは嫌だと思った。


「私のこと元カノを忘れるために使わないでください」

 

 私は子供じみたことを言っている自覚もあるし、そんな言葉はただ谷口さんを傷つけるだけだということもわかる。


 しかし、谷口さんが私と話したいためではなく、元カノを忘れたいために私を話し相手にしようとするのは嫌だった。私が意見を伝えると谷口さんの顔は曇り始める。


「ごめんごめん。紗夜と買い物したいから色々言い訳してた。いきなり一緒に買い物行きたいって言ったら気持ち悪いとか思うでしょ……」


 たしかに私は気持ち悪いとかすぐ口にしてしまいそうだ。谷口さんは私と過ごしてまだ少しも経っていないのに私のことをよく理解してくれる。そういうところに大人の余裕を感じてしまう。



「わかりました――」


 私は諦めて彼女と買い物をすることにした。


 

「やったね。準備するから少し待ってね」


 谷口さんは準備すると言いつつもベランダに出てしまった。彼女の様子が気になり少し首を伸ばして様子を見てみると、単色のはずのベランダにはたくさんの綺麗な色が広がっている。


 私は吸い込まれるようにベランダに近づいた。




「綺麗でしょ――」


 谷口さんはジョウロで花たちに水やりをしているようだ。


 栗色の長い髪に太陽の光が差し込んで、より明るくなった髪をなびかせながら、水撒きするその姿は素敵だった。


 そういえば、谷口叔母さんもガーデニングが好きなんだと言っていたっけ……。小さい頃、炎天下の中、いろいろ手伝わされたなんてこともあった。谷口さんがベランダでガーデニングしているのは叔母さんの影響だろうか。


 そこはベランダなのにお花のいい香りが漂っている。


「花とか好きなんですね」

「似合わないでしょ。酒と煙草の方が似合うってよく言われる」


 彼女は苦笑いしながら花に丁寧に水をかけている。私はその言葉になんて答えるのが正解なのかわからなくて何も言えないで佇んでいた。ただ、お酒や煙草よりも花の方が彼女には似合っていると私は思った。


 そんな可憐さが彼女にはある。



「花が好きになった理由って花の見た目と花言葉の繋がりが素敵で好きになったんだよね。たとえば、これ」


 彼女が指さしたのは誰でも知る花だ。


朝顔アサガオってこんなに暑い夏に負けずにツルを絡めながら伸ばして大きくなっていくのね。そんな様子から『固い絆』とかそういう言葉があるんだ。あとは紫陽花アジサイって花期が長いことから『辛抱強い』とか言う意味もあるんだよ」


 私はその説明にうんともすんとも言わないのに、彼女は楽しそうに話を続けている。少しだけ、物知りな谷口さんが素敵に見えた。私はずっと彼女の話を無視し続けているのにあっちこっちと花の説明が止むことはない。

  

 たくさんの花が咲く中、一際目立ち、私の目に映り込んでくる花があった。


 その花を見つめてしまうと目が離せなくなる。少し毒々しい見た目はどこか引かれる魅力があった。


 説明を聞いていない私に気がついた谷口さんは、私に合わせて話を進めてくれた。


「その花、気になるの?」

 

 その言葉にはっとして、頭を横にぶんぶんと振る。それなのに、彼女は勝手に話し始めた。


「その花はチグリジアっていうの。見た目に惹かれて育てるようになったんだ。結構育てるの大変なんだよその花。花言葉は確か……」

「準備しなくていいんですか?」

「はっ! そうだった。準備しようか」


 谷口さんはばたばたとベランダからキッチンに向かった。




 チグリジアの花が「こんにちは」って話しかけて気がしたけど、無視してベランダの掃き出し窓を閉めた。 


 

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