第60話 こっち、おいで――


「紗夜、好きだよ」

「真由は私のどこが好きなの?」

「全部だよ。かわいいし、優しいし、私のこと好きでいてくれる」

「えへへ、なんか恥ずかしい」

「私もなんか恥ずかしくなった」


 真由だったら私の全てを捧げていいと思った。同じクラスになり、最初は友達として仲が良かっただけだが、知らない間にその素敵な性格に引かれていた。

 周りに気が使えて、優しくて、頼もしくて、なんでもできる彼女が羨ましく、そしていつの間にか恋愛的な好意に変わっていた。


 友達とは違い、恋人として真由の隣に居れることが嬉しかった。

 好きな人と触れ合えることが、こんなにも幸せなものだと彼女は教えてくれた。

 

「これからもずっと一緒に居てくれる?」

「もちろん。私が好きなのはこれからも紗夜だけだよ」

 

 真由はとても嬉しそうに微笑んでいた。

 その笑顔を見て、この先もこの笑顔を隣で見れるのだと信じていた。


 ある日、真由が他の人たちと話していることを聞くまでは――。


 

 それは、教室に忘れ物を取りに戻った日の出来事だった。

 



「紗夜ちゃんと付き合ってるってほんと?」

「違うよ」

 

 私の名前が聞こえて、息を潜めるように柱の影に隠れてしまう。その声は真由の友達の声だった。そして、「違うよ」と言ったのは私の好きな人の声だ。


 なにかの聞き間違えだと、頭に訴えかけている。早くその場から離れれば良かったのかもしれない。しかし、耳は素直で全ての音を拾ってしまった。


「えー! その割にはめっちゃ仲良さそうだったじゃん!」

「違うってば! あれはただの遊びだよ。あっちが本気になってるだけ」

「えーなにそれー酷い! でも、あんなかわいい子に好かれるとかやっぱり真由ってすごいねー」

 

 一気に数人の女の子たちの笑い声がハモって、不快音として私の頭に流れてくる。私は信じられない言葉が頭に降ってきて、その日は家に帰っても何も手につかなかった。


 悲しいとか苦しいとかそういう感情ではなく、心にぽっかり穴が空いて何も感じない。

 そんな感覚だったと思う。

 


 次の日、私は真由に呼び出された。

 

 昨日のはなにかの聞き間違えで、夢であって欲しいと最後の淡い期待を胸に抱え、彼女に会いに行った。


 校舎の裏で待っていた真由の顔はだいぶ青ざめていて、私の目を見てはくれない。


「まゆ……」

「触らないで!」


 彼女に伸ばした手を勢いよくはらわれる。その行動に胸に何本も針が刺さってるのかと思わされるくらいの痛み広がった。

 

 苦しい――。

 

 呼吸をして、その場に足をつけているのがやっとだった。視界がグラグラとする中、私を睨みつける少女が目の前にいる。


「もう私に話しかけないで」

「なんで……? ずっと一緒に居てくれるって嘘だったの……?」


 真由は自分の髪の毛を両手でぐしゃぐしゃとして、大きなため息をついていた。その行動から次にどんな言葉が飛んでくるかなんて想像できたはずだ。

 

 耳を塞ぎたい。


 この場から今すぐ離れたい。


 それなのに、私の体は地面に縛りつけられ、動かすことは出来なかった。動くことができるのは信じられない速さで鳴る心臓だけのようだ。


 

「そういうの重いよ。紗夜に合わせてただけだから。相手するの大変だった」


 何かの悪い夢を見ているのだろう。

 信じられない。

 信じたくなかった。



「もう近寄らないで――」

 

 真由はそう言ってその場から離れようとする。私は地にくっついてしまった足を何とか動かした。


 彼女がどこか遠くに行かないように、腕を無意識に掴んでいた。しかし、その行動は間違えていたようだ。


「気持ち悪い! 触らないで! 私にもう関わらないで――」


 私はどんと押されて地面に倒れ込む。真由はすぐにその場からいなくなった。

 

 私はショックのあまり、その場に崩れ落ちていた。目からはボロボロと涙がこぼれ、何も出来なくなっていた。

 


 今までのあの優しい言葉も優しく触れる手も好きという想いも全て嘘だった。

 

 彼女に拒否されてから、吐き気がして暫く外に出れなくなった。私はその日以降、不登校になってしまったのだ。


 本気で好きだったからこそ、反動はひどく、あの時はかなり塞ぎ込んでいたと思う。


 学校に行かなくなったので、真由と関わることもなく中学を卒業した。


 私だけが彼女に恋をして浮かれていただけだった。恋人ですらなかったのだ。

 

 幸い高校は受験できるレベルしか休まなかったので高校は普通に受験し、家の近くの高校に通うことになった。




 何度もこうなった原因を考えた。

 

 私が彼女に触れていた行為は全て気持ち悪かったのだろうか?

 私は醜いのだろうか?

 私から相手への好意は気持ち悪いものなのだろうか?


 私は気持ち悪い人間なんだ――。


 そう思うようになってから、女性に触れることが怖くなった。

 また、気持ち悪いと思われる。

 相手を不快にさせる。


 私は誰にも触れちゃだめなんだ。


 そんな自己嫌悪にずっと陥ってしまった。





 …………

 



 目をゆっくりと開くと、昨日ずっと私を離さなかった谷口さんが目の前にいた。閉じているカーテンの隙間から日差しが差し込んでいる。


 どうやら過去の夢を見ていたらしい。


 何回もあの時の出来事を夢に見た。

 その度に過呼吸になり、胃液が喉まで上がってくる。そんな苦しさを味わっていた。


 今は谷口さんが目の前にいるからなのか、自分の中で気持ちの処理が少しずつできるようになったからなのか分からないけれど、とても落ち着いている。

 

 寝る時に私に回っていた腕はいつの間にかどこかに出かけている。


 谷口さんはこちらを向いて寝ているけれども、昨日みたいに私を抱きしめてはくれない。



 昨日、優しく抱きしめてくれたのだって、私のことを愛しているからじゃない……。


 谷口さんは優しい人だから私に同情して甘やかしてくれるだけだ……。


 しかし、今の私にはその手が必要だった。


「谷口さん」


 瞼はピクリとも動いてくれない。


「和奏ちゃん――」

 

 名前を呼ぶと彼女は目を開けてくれた。


 なんで、昨日抱きしめてくれた腕を離したのだろう。

 離して欲しくなかった。

 そんなわがままが頭の中に浮かぶ。


 私はただむっとした表情で彼女を見ていた。それだけなのに、谷口さんはすぐに私の気持ちを汲み取ってくれる。

 

 まるで私の心は彼女に全て筒抜けなのかと思わされるくらい、谷口さんは私の欲しいものをくれるのだ。


「こっち、おいで――」

 

 細いはずのその腕はびっくりするくらい安心感があり、包まれると体の中心から熱が広がっていく。


 谷口さんは片方の手で私の頬を優しく撫でていた。その手が心地よくて、もっと触れて欲しいと思う。


 私も彼女に腕を回して背中側の服をぎゅうっと掴んだ。

 

 もっと抱きしめて欲しい――。



 言葉にしていないのに、谷口さんは優しく、そして、どこか強く、私を抱きしめてくれる。


「おはよ」

「おはようございます」


 私は知らない間にこの人の熱を離せなくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る