第59話 今は離れる気ないから――
チクチクと時計の針が動く音が聞こえる。
壁にそっと耳を当ててみる。
音は聞こえない。
当たり前だ。
今は深夜の三時なのだから。
色々と考え事をしていたら、こんな時間になっていたなんて自分でも驚きだ。
谷口さんはプレゼントを喜んでくれただろうか……。
何をあげたらいいのか分からなくて悩んだ末のアンクレットだった。谷口さんはよくアクセサリーを付けているから、多分好きなんだと思う。ただ、ネックレスなんかは私の目に付くので嫌だった。
どこならいいのだろう。
そんなことを考えた結果、足だったら邪魔にならないし、目にも入らないと思った。
目にはつかないけれど、足に何かが着いているというのは違和感で、一番私のことを思い出してくれるんじゃないかと思ってアンクレットにしたのだ。
谷口さんは「いらない」とすぐ外してしまうだろうか。できることならずっと付けていて欲しいと思っている。
そんなことを考えていたらこんな時間だ。このまま寝れないと、寝不足で体調が悪くなってしまう。
「はぁ……」
私は寝不足の体を起こし、部屋の外に出た。水を飲んで、少し頭をすっきりさせようとキッチンに向かう。
リビングの電気をつけると、深夜なのに谷口さんがソファーの上で足を抱えたまま寝ていた。
「谷口さん……?」
冬ではないけれど、こんな時間にこんなところで寝ていたら風邪を引く。
いつからここにいるのだろう?
さっき私と話してそのまま寝たのだろうか?
「さよ……」
目をこすって彼女は私の手を掴んだ。いつもは私の方が冷たいはずの手が、今日は谷口さんの方が冷たくなっている。
「誕生日祝ってくれてありがとう。凄く嬉しい」
谷口さんは私をぎゅっと抱き締めてきた。あまりにも体が冷たい。なんでこんな所でそのまま寝ていたのだろう。
「寝ぼけないでください」
「昨日の分のだよこれ」
私は離れたかったけれど、彼女の体が冷たすぎて離せなかった。
呼吸ができないくらい苦しく抱きしめられて離してくれない。知らない間に私は腕を引かれて私の部屋にいた。谷口さんが勝手に私の部屋に侵入している。
「一緒に寝よ」と言って、谷口さんが勝手に私の布団に入ろうとするので、私はそれを妨げた。
谷口さんは寝ぼけているのか、ぷくーと頬を膨らませて「誕生日くらい甘やかしてくれてもいいと思う」と言ってくる。ここまで来て、追い出すなんて私が悪い人みたいに思えてしまう。
こうなることなんて分かっていて、私は彼女を自分の部屋にいれた。私は谷口さんが自分のテリトリーに入ることを許したのだ。
さっきまで寝れなかったはずのベッドが、谷口さんのせいでもっと狭くなるからもっと居心地の悪い場所になる。
「誕生日祝ってくれてありがとう。うれしい――」
寝ぼけているのかまた同じことを言われる。
谷口さんはこんなに暗い部屋でもわかるくらい満面の笑みで私を見つめていた。その事実は私の胸を熱くさせるには十分だった。
喜んでくれてよかった――。
そんな思いが込み上げる。
谷口さんはもぞもぞと動き始めた。
「何してるんですか?」
「紗夜からもらったの触ってたくなる。さっきも触ってたら眠くなってそのまま寝ちゃった」
「そうですか……」
なんて答えたらいいかわからない。ただ、思ったよりも気に入ってもらえることが何より嬉しかった。
「紗夜はどうして起きたの?」
「なんか寝れなくて……」
谷口さんがプレゼントをどう思ったかが気になって寝れなかった。なんて言えない。
「車で爆睡だったもんね」
嬉しそうに彼女は私の頭を撫でてきた。そういうふうに子供扱いされるのは嫌なはずなのに、今日は嫌じゃない。
谷口さんはさっきからずっとにやにやしている。何がそんなに彼女を笑顔にしているのか分からない。
「ニヤニヤしすぎですよ」
「だってこんなふうに祝ってもらえるの嬉しいんだもん。あと、紗夜の布団に初めて入れてもらったからそれも嬉しい。紗夜っていい匂いだよね。今度、洗剤ちょっともらおうかな」
谷口さんが私の髪の毛の辺りに鼻を近づけてくんくんとするから、急いで彼女の肩を押して距離を取る。
いつも何の匂いもしない布団は、谷口さんが入ってきたせいで彼女の匂いに包まれていた。
谷口さんは確実に私の領域を侵害している。
「友達多いからたくさん祝ってもらってるくせに」
自分でも子供じみた事を言ってしまい後悔する。私は彼女に何を求め、何を言って欲しいのだろう。いつからこんなにも谷口さんに期待するような人間になったのだろう。
「友達なんてそんないないし、いたとしても紗夜からもらえるのが一番嬉しい」
そうだ――。
そうやって私の欲しい言葉をいつもくれる谷口さんが悪い。だから私は甘えてしまうのだ。
「紗夜……」
「はい……?」
先程まで幸せそうだった谷口さんが急に真面目な顔をし始めるので、急に背筋に力が入る。
「女の人が苦手になった理由ってやっぱり言えない?」
その言葉にドクドクと心拍数が上がり、あっという間に呼吸が苦しくなる。止めたくもないのに息を無意識に止めてしまい、余計胸の辺りが苦しくなった。
谷口さんのことは信頼しているし、こんな私のために常に尽くしてくれる彼女にはしっかりと自分がこうなった理由を話すべきだ。
わかっている。
しかし、思うように頭が動かなくて体の動かし方も分からなくなっていく。
『もう近寄らないで』
そんなこと言わないで……。
『気持ち悪い! 触らないで!』
やめて……聞きたくない……。
苦しい――。
ただあなたのことが好きなだけだったのに――。
「さ……ょ…………さよっ!」
私ははっとするのと同時に大きく息を吸って吐くことができた。その後は体を上下に揺らし、呼吸が安定するのを待つしかなかった。
背中と頭には優しく私を包み込んでくれる温かな手がある。
「嫌なこと聞いてごめんね」
谷口さんはなにも悪くないはずなのに、申し訳なさそうに謝ってきた。
私が悪い。
私が変なんだ。
私が気持ち悪いんだ――。
呼吸は落ち着いたものの、心臓の動くスピードはどんどんと上がっていて、今にも壊れそうだった。
ずっと胸の真ん中の辺りが苦しい。
自分の体の内側のことばかりに集中していたので、外側で起こっている出来事に気がつくことができなかった。
谷口さんが私の目元を優しく指でなぞってくる。
えっ?
私は理解できなかった。
私の視界は段々ぼやけていく。
「離れてっ!」
これ以上こんな自分を見られるのは嫌だった。こんな急に泣いて、気持ち悪いと思われて、この家から出ていけなんて言われたら、私は立ち直れなくなってしまう。
私が離れようと彼女を手で押したり、足を蹴ったりしても谷口さんは離れようとはしなかった。
私がどんなに暴力を振るっても彼女は優しく私の背中を撫でるばかりだ。
「今は離れる気ないから――」
その声は震えているが、私の心を優しく撫でるような声だった。その言葉と谷口さんがどんなに拒否しても私を優しく包みこんでくれるから、いつからか呼吸は苦しくなくなり、心臓のスピードもどんどんと遅くなっていく。
どれくらいそうしていたかわからない。
彼女は私の背中をずっと優しくさすってくれていた。
今日は谷口さんの誕生日で本当は私がいつもの恩返しをしたかったのに、また、私が助けてもらった。
「落ち着いた?」
「うん……」
「よかった」
谷口さんの顔を見ると優しく微笑んでいた。その顔を見てほっとしてしまう。
「気持ち悪くてごめんなさい」
「何言ってんの。気持ち悪かったら今ここにいないし、私の方が変で気持ち悪いから大丈夫」
谷口さんは歯をにっと見せて笑っていた。
谷口さんはいつもずるい。
私を丸っと簡単に優しさで包み込む。
私はそのまま彼女の胸に顔を当てた。
ふわふわと谷口さんのいい匂いがして、どんどんと意識が遠くなっていく。
いつか――。
いつか谷口さんに私のすべてを知ってほしいと思った日だった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます