第三章

第78話 わぁ、ひどい言われようですね

「おはよう」

「おはよう!」


 幻聴だろうか。

 少し奇抜な見た目の花が私の声に反応してくれた気がする。


「おはよう……」

「…………」


 やはり、気のせいか……。


 他の花たちにもいつもの挨拶をして、ベランダの椅子に腰かけてしばらく花たちを眺めていた。

 

 リンドウの茎が倒れ始め、秋の訪れを感じる。


 少し前のように水をあげ過ぎて枯らしてしまうというようなことはなくなった。程よく育てられるようになったことに、自分が少しは大人になったんじゃないかと思いたかった。


 自分の胸に手を当てる。


 ぽかぽかと温かい。


 谷口さんのことが好きだと認められてから、今までの息苦しさはだいぶなくなった。


 しかし、それと同時に自分でも処理しきれないほどの恐怖に襲われることもある。前好きだった人の時のように失敗はしたくない。


 きっとの注ぎ方を間違えたのだろう。


 確かに真由も悪いところはあった。

 しかし、私も色々間違えていたことが沢山あるのかもしれないと思うと、あの時はあの道以外にどちらも選べなかったのだろうと思う。



 谷口さんに私のことを好きになって欲しいと願っている。今も私の体の中はその欲に満たされ続けている。


 そんなの無理かもしれない。

 いや、可能性はほとんどゼロに近いと思っている。


 谷口さんは年上の女性がタイプと聞いたし、そもそも私は妹のようにしか見られていないと思う。


 まずは大人の女性として谷口さんに意識してもらうこと……。

 

 どうやったら意識してもらえるのだろう。

 今までの距離が近すぎて何をすればいいのかわからない。いっそのこと、最後までするとか……?


 そんな考えでは余計だめだ。


 再会してから年中彼女の悩みで尽きないなんて、ほんと罪な女性だと思う。


 

「はぁ……」

「そんな悩んでどうしたんだいお嬢さん」


 その声に椅子から飛びながら立ち上がってしまった。


「おはよ」

「おはようございます……」

「そんな不機嫌そうに言わないの」


 谷口さんの顔を見たら自分の中の欲望を抑えられずそのまま抱きついていた。


 だめだ。


 こんなことも抑えられないなんて、これからが心配すぎる。


「どうしたの? 今日の分?」

「なんでもないです」


 私はベランダから部屋の中に入り、谷口さんを置いて朝食の準備を始めることにした。谷口さんはずっと不思議そうな顔をして、朝ごはんを準備していたと思う。


「大学生は今月まで休みだもんね。羨ましい。今日は何するの?」

「楓と遊びます」

「夏祭りも遊んだのにまた遊ぶの?」

 

 谷口さんにしては珍しく眉間に皺を寄せていて、少し面白かった。私はそのまま彼女の眉間をとんとんと指で触る。


「そんな不機嫌そうに言わないでください」


 たしかに大学生の夏休みが長くて羨ましいのは分かるけれど、私もバイトやご飯を作る練習で毎日忙しい。


 谷口さんは眉間をやたら触ってすごく難しそうな顔をしていた。



 ※※※


 

「夏祭りの時は助けてくれてありがとね」

「全然! ほんと元気になってよかったよ」


 長い金髪の髪をふわふわと巻いている女性はいつも以上に変なテンションで、何かあったのかと逆に心配になる。


「ここのパンケーキほんと好きだから嬉しい」

「美味しいね」

「だよねー……」


 やはり様子がおかしい。何かあったのだろうか?


「楓、なんかあった?」

「えっ……」

「いや、いつもと違う感じに見えたから」

「さすが、紗夜には全部お見通しかぁ」


 楓は「んー」とすごく苦しそうな顔をしたあとに「はぁ」とため息をついていた。



「紗夜が嫌な思いするからあんまり言いたくないんだけど……」

「いいよ、教えて」

「真由に紗夜にどうしても会いたいから連絡先教えて欲しいって言われてるんだよね。私は二度と私たちの前に現れるなって言ってるんだけど……」


 私と真由とのことで、散々、楓を巻き込んでいたのに、さらに巻き込んでいたことに申し訳ない気持ちが溢れ出す。


 今更会って何を話すのだろう。

 

 また、気持ち悪いと言われるに決まってる。


 怖い。


 会いたくない……。

 


「ごめん。無理って言っとくね。忘れて」

「――私も真由に会いたい」

「えっ……?」


 自分の口から出る言葉にびっくりした。

 ただ、このままモヤモヤと生きていくよりは、しっかり彼女と話をして終わらせたいと思った。

 真由とは何もしっかり話が出来ないまま終わっている。彼女もなにか理由があって会いたいと言っているのだろう。


 

「前みたいになっちゃうんじゃない?」

「そうかもしれないけど、このままは嫌だし、真由が会いたいって言ってるんでしょ?」

「そうだけど……じゃあ、私が隣にいる」

「一人で行く」

「えっ……」


 楓はとても悲しそうな顔をしていた。


 楓は私のことを心配してくれているのだろうけれど、これ以上、楓に迷惑はかけたくない。


「心配過ぎるよ」

「ありがとう。でも、少しは信じて欲しいな」

 

 楓はとても難しそうな顔をしたあと、「ふー」と一呼吸置いて笑顔になっていた。


「紗夜の意見を尊重するね」

「いつもありがとう。あとね、私も楓に知って欲しいことがあるの」

「……なに?」


 楓は珍しく、ぎゅっと眉間に力が入って険しい顔をしていた。その顔に私が驚いていると、さっきの顔が嘘だったみたいに笑顔に変わっていく。


 そのことに安心して、私は話を始めた。


「あのね……私、好きな人はもういらないと思ってたの。傷つくだけだし、怖いし。でも……」


 その後の言葉に詰まっていると楓は優しく頭をぽんぽんとしてくれた。


「好きな人できたの?」

「うん……変だよね」

「変じゃないよ。応援する」

「で、でもねっ……」

「和奏さんのこと好きなんでしょ?」

「えっ……」


 私が呆然としていると楓はくしゃりと笑って嬉しそうにジュースを飲んでいた。


「恋愛ってなんで幸せだけじゃないんだろうねー。苦しくて、辛くて、怖いのに好きな気持ちは止まらないんだもん」

「うん……」


 楓の言う通りだ。

 正直、谷口さんを好きだと認めてから、嫌われるんじゃないかとか、あの家から出て行けと言われるのではないかと負の感情ばかり生まれている。しかし、好きという気持ちに嘘はつけないでいた。


「私は紗夜が誰を好きでも応援するよ。それが肉親でも学校の先生でもなんでもね。だって、紗夜が好きになったってことは、きっと素敵な人なんでしょ?」


 楓のその言葉に目尻がじんとして、こくりと頷くことしか出来なかった。

 楓はどんな時でもそばにいてくれて、いつも私の背中を押してくれる。こんな素敵な親友には生涯をかけても出会えないと思う。


「楓、ありがとう」

「私は何もしてないよ」


 にこっと優しく楓は微笑んで、私を優しい顔で見てくれた。



 ※※※

 


 真由と会うとは言ったものの、何を話せばいいか分からないし、会った時にまた発作が起きて、倒れるんじゃないかと不安になっていた。


「今日、楽しくなかったの?」


 ソファーに腰かける女性は心配そうにこちらを見つめてくる。自分の悩みが顔に出てしまうなんて、まだまだ子供なのだと痛感する。


「夏祭りの時に倒れてしまった原因の人と会うことになりました」

「えっ?」


 谷口さんはすごい勢いで私の方に寄ってきて、私の顔を心配そうに覗いてくる。


「一人で会うの?」

「はい」

「また、倒れたりしない?」


 みんな私を心配する。


 私は一人では生きていけない人間なんだと痛感してしまう。


「自分の気持ちにけりを付けたいと思いました」

「それは症状を治すため?」

「はい」


 もちろん、それもある。

 しかし、ちゃんと話して気持ちに整理を付けて前に進みたいという思いもあった。

 

 そして、谷口さんに好きになってもらえるように努力していきたい。


「じゃあ、近くで待つことくらい許して? なんかあったときのために」


 谷口さんにしてはやたら真剣な目で見てくるので断るに断れなかった。


「わかりました」

「頑張ってね」


 会うことを否定されなくてよかった。


 ほっとして谷口さんを見ると、真剣な顔から悪い顔に変わっていた。


「今日の分しよ?」


 彼女を好きだと意識してから、この約束は私の症状を治すためではなく、私にとってご褒美になってしまっている。


 そんなことを自分で言うわけもなく、谷口さんに言われたからそれを受け入れる。


 ソファーに座る彼女の上に乗り、華奢な体をぎゅっと抱きしめていた。

 谷口さんは急なことにびっくりしたのか、少し体がこわばっている。



 谷口さんに意識してもらう方法……。


 何も思い浮かばない。


 こんな関係で始まったのがよくなかった。


 しかし、こういう関係でなければ、谷口さんと暮らすことも彼女のことをこんなに知ることもできなかっただろう。



「紗夜……?」


 私がくっつく時間が長すぎたからか、谷口さんはきょとんという顔でこちらを見ていた。


 いつも私ばかりが彼女にいたずらをされて遊ばれている。だから、たまには私が同じことをしたっていいと思う。


 谷口さんに顔を近づけると、大人しく目をつぶってくれた。そのまま彼女の顔を通り過ぎ、彼女の耳に歯を立てる。

 舌で歯の立てた場所を優しくなぞった。


 谷口さんの体は一瞬ビクッとして、漏れ出る声を我慢している。私を引き剥がそうとするがその手に力は入っていない。


「さ、よ……?」

「谷口さんって耳弱いんですね」


 彼女の耳元でそう囁いて離れると、私の思っている以上に谷口さんの顔が赤くて驚きを隠せなかった。

 

 谷口さんのそんな反応が見れたから、私の心は躍ってしまう。


「紗夜の馬鹿、変態」

「わぁ、ひどい言われようですね」

「私の真似しないで」


 いつだか彼女が言った言葉の真似をしてみたが、そのせいで谷口さんは相当不機嫌になってしまった。


 そんな彼女の頭を少しなでて、膝の上から降りる。


「おやすみなさい」


 すごいあほそうな顔をした谷口さんを残して、部屋に戻った。

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