第79話 谷口さんのばか

「はぁ……」


 ベランダはいつから私の悩みを聞いてもらう場所になったのだろう。

 最近の紗夜の謎行動に頭を悩ませている。

 彼女は最近、理由もなく触れてくる。


 なぜ……?

 

 早く症状を治したい理由ができたのだろうか?

 早くこの家から出ていきたいのだろうか?


 そう考えると、胸が信じられないくらい締め付けられて、苦しくなる。

 


 夏に開花時期を迎える花たちの勢いが劣り、秋に咲く花が準備を進める時期になった。


 秋に咲くガーベラなんかは好きな花の一つだが、その花が咲く時期になったということは、私の悩みがもう一つ増えることを意味する。


 もうすぐ、紗夜の誕生日を迎える。


 去年の彼女の誕生日はこんなに悩んでいなかったはずだ。


 

 ガーベラは水をやりすぎると根腐れを起こしやすく、気を使って管理する必要があるのだが、紗夜はそんな花も簡単に育てられるようになった。

 花の日当たりを意識して、日除けをしたり、逆に日に当たるように調整したり、今では私よりも紗夜の方がプロになっている。


 どんどんと変わっていく彼女に何を渡せばいいかなんてもうわからない。

 

 この一年で紗夜はびっくりするくらい成長した。


 そのことが嬉しいような嬉しくないような気持ちではある。


 人の誕生日プレゼントなんて、若い時はノリと勢いで決めていたはずなのに、今はそれが出来なくなってしまった。


 紗夜を見ていてつくづく思うのだが、私は勢いもなくなり、成長もできないただの雑草になっている。


 紗夜と暮らして、彼女の成長について行くことで精一杯だった。



「はぁ……」


 先ほどから、かわいい花たちにため息を浴びさせ過ぎていると思う。

 これではあまりにも可哀想だ。


「そんなため息ついてどうしたんですか?」

「っ!?」


 あまりに驚いてガタンと椅子から落ちてしまう。紗夜は驚いた後にぷっと吹いて笑っていた。


「びっくりしすぎですよ」

「紗夜が驚かせるからじゃん」

「声掛けただけですよ」


 紗夜はすっと手を差し出してくる。

 そんなこと、この子がするなんて誰が想像できただろう。少し前ならば、何してるんですかと冷たい目で見られていたはずだ。


 幻覚のようで現実に存在する手を握り、立ち上がって、おしりの埃をぽんぽんとはらった。



 紗夜は置いてあったジョウロを持って、植木鉢の中を見ている。土の状態を見ただけで、私がどこまで水をあげたかわかるらしい。


「ほんと詳しくなったね」

「谷口さんが本くれたので」

「それ以外に自分で買って勉強してるの知ってるよ」


 よくベランダで難しい顔をして本を見ている紗夜に見とれていた、なんて言えるわけもないが……。


 紗夜は随分と丸くした目でこちらを見ている。


「谷口さんって意外と私のこと見てくれてますよね」

「危なっかしいからね」

「子供ってことですか?」


 そうだ、と言いたいけれど、私が彼女から目を離せない理由なんて限られている。


 それが自分の中で後ろめたい気持ちと抑えられない気持ちとでごちゃ混ぜになって、毎日、胃液の出る思いをしている。


 彼女と話していると考えたくもなかった先ほどの問題がまた浮上してくる。


 紗夜の好きな物はかなりの時間をかけて分かってきたつもりだ。だけれど、だからこそ何を渡したらいいか分からなくなっている。


 さっきから色々な感情がごちゃごちゃだ。


 それなのに、目の前の少女はるんるんで花に水やりしている。その行動に少しイラついてしまう自分もいるらしい。



「紗夜、こっちおいでよ」

「なんでですか?」

「いいから」


 私は知らない間に彼女のことを後ろからぎゅっと抱きしめていた。ダメだと分かっているのに最近の私はどうもおかしい。


「谷口さん何してるんですか?」

「紗夜に聞きたいことある」

「なんですか?」


 やっぱりおかしい。

 私もそうだが、いつもの紗夜ならば「離せ」と暴れ回るはずなのに、今日はこの状態を許してくれる。


 それに甘えて私はこのまま話すことにした。


 紗夜の顔を見てしまうと勢いが劣ってしまう気がしたからだ。



「何か欲しいものない?」

「欲しいもの……?」


 そこでやっと私の腕は払われた。払われたと思ったけれど、ただ、こちらを向き直しただけのようだ。

 私の腕の中に収まる少女は上目遣いでこちらを見てくる。


「谷口さんから見て、私って大人になりましたか?」


 その言葉に違和感を覚える。

 なんでそんなこと急に聞いてくるのだろう。

 紗夜の意図を何とか汲み取ろうとしたが、無駄すぎたので私は素直に質問に答える。


「元から、紗夜のこと子供だなんて思ってないよ。いつもいじってるだけ」

「そうなんですか?」


 紗夜はかなりびっくりした顔をしている。


 彼女のことを本当に子供だと思ったことはない。幼いところはあるけれども、一人の大人として接するように意識してきたつもりだ。

 


「そしたら、あの約束覚えてます?」

「約束……?」


 どの約束だろう……。


 彼女とは数え切れないくらい約束をしてきて、そして、その約束を沢山破ってきたのも事実だ。



「私が大人になったら谷口さんがピアス開けてくれるって言いました」

「あっ…………」


 そういえば、あの時は面倒だからと流してそんなことを言ったっけ……。


 あの時を後悔しても仕方ないけれど、あの時に戻れるのならば、同じようなことは絶対に言わないだろう。


「谷口さんにピアス開けて欲しいです。欲しいものはそれでお願いします」


 紗夜は知らない間にぎゅっと私の腕の中で私の服を掴んでいる。



 紗夜にピアスを開ける?

 

 どう考えても私に開けて欲しい理由がわからない。しかも、それが誕生日プレゼントなんて馬鹿馬鹿しい話があるか。


「かっこ悪いからあんまり言いたくないんだけど、紗夜の誕生日プレゼント何がいいか考えてたの。他に欲しいもの……」

「だから、誕生日にピアス開けて欲しいです」

「はい?」


 どうやら、彼女はピアスを開けて欲しいという意見を譲らないらしい。


 意味がわからない。


 さっきから私を抱きしめる力が強くなっている。まるで、紗夜のそのお願いを受け入れて欲しいと感じられるような行動だ。


 しかし、どうしても紗夜の誕生日にピアスを開ける意味がわからなかった。


「楓ちゃんとかに開けてもらった方がいいんじゃない?」


 友達に開けてもらった方がいいと思う。私みたいなアラサー従姉妹に開けられて、紗夜は嫌じゃないのだろうか。


 しかし、どうやら私の発言は間違えていたようで、紗夜は明らかに不機嫌そうな顔をしている。


「それなら何もいらないです」


 むっとして彼女はそっぽ向いた。しかし、そっぽ向いたのに私から離れようとはしない。

 

 熱でもあるのだろうか。


 そっと彼女のおでこに手を乗せると、私の手の下にある綺麗な瞳がギリギリとこちらを睨んでいた。


「何してるんですか」

「熱あるのかと思って」

「谷口さんのばか」


 紗夜はそのまま私の胸に顔を埋めてしまった。


 やはり、今日の紗夜は変だ。


 紗夜がこんなに長く私から離れなかったことなんてない。そのことに、心臓が素直に反応していく。唾をごくりと飲んで、何かを話さなければいけないと思うけれども、何も思い浮かばなかった。



「谷口さんは誰かに開けてもらったんですか?」


 彼女はそう言いながら私のチェーンピアスを引っ張ってくる。ちぎれそうとまではいかないけれど、かなり痛い。


「私は自分で開けた」

「ふーん」


 その回答の何に満足したのか、紗夜はどんと私の体を押して離れてしまった。


 恥ずかしい思いをして彼女に質問したのに、私の悩みは沼に浸かってしまったらしい。

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