第80話 私とそういうことしたいって思うんですか?

 普通、悩んでいると時間が過ぎるのが遅いはずなのに、今回は悩んでいるはずなのにびっくりするくらい時間が過ぎるのが早い。


 こんなことで悩んでしまう私は私らしくない。


 こんなの勢いで何とかできていた。


 なぜ、私はソファーの上で足を抱えて座っているのだろう。

 

 紗夜の誕生日前日にやっとピアッサーを買ってきた。そして、それを買ってから私はずっとそのピアッサーとにらめっこしていたら日付を超えそうになっている。


 やはり、何度考えても紗夜が私に開けて欲しい理由がわからないし、何より私が彼女に開けたくなかった。


 ピアスはただのアクセサリーじゃない。

 

 紗夜の躰に穴を開けるということだ。

 

 それがどれだけ責任の重いことか、そして、ただの従姉妹の私がしていいことじゃないと思っている。


 友達同士でノリで開けるなくらいならいいが、私は紗夜に対してそんな責任を負いたくなかった。


 いつか「谷口さんじゃない人に開けて欲しかった」なんて言われたら私は崩れ落ちて、立ち直れなくなるだろう。

 

 私はあからさまに嫌だという態度を取ったはずなのに、あんなにあざとい顔で紗夜はお願いしてきた。

 そのせいで、ピアッサーを買ってしまい、現在に至る。


 私は買ってきたピアッサーを手に持って見つめていた。


 このピアスが紗夜についた時、彼女の顔を見るたびに私が開けたのだと思い知らされる。


 ただでさえ左足は彼女に呪縛されているのに、私の目まで縛り付けようとしてくるなんて酷い話があるだろうか。


 いや、逆に考えれば、紗夜はどんなことがあっても私のことを忘れられなくなるのかもしれない。


 症状が治って、私の家から出て、好きな人と結ばれて、好きな人と触れ合う時も私のことを思い出すのだろうか。


 そんなくだらない考えばかりが浮かんでくる。


「はぁ」


 最近はため息しかついていない。

 

 こんな所でいつまでも足を抱えているわけにはいかない。

 

 少しでも寝なければ……。


 せっかく明日は紗夜とデートできるのに睡眠不足ではくまが酷くなり、メイクのノリが悪くなるだろう。


 紗夜にはいい姿を見せたい。

 紗夜に素敵な人だと思って欲しい。


 いつからそう思うようになったのだろう。


 気が付かない間に私はそう強く思うようになっていた。

 

 信じられないくらい重い体を動かして部屋に向かい、ドアノブに手をかけて、ゆっくりとひねる。


 ドアを開けて、自分がやらかしてしまったことを悟る。

 

 わざとではない。

 

 完全に頭が働いていなくて無意識に行動していた。


 扉の開く音でモゾモゾとベッドの上が動き、むくっとかわいい少女が起きてしまう。


「……どうしたんですか?」

「ほんとにごめん。間違えた」


 私はすぐに扉を閉めようとすると、紗夜はひょいとベッドから出てきて、私の腕を引いて部屋の中に引き込んでくる。


 私の背中側にある扉を紗夜はぱたんと閉めた。


 今日も彼女の謎行動に驚かされ、そして毎度心臓が取れそうな思いをしている。


 紗夜は知らない間に私の目の前にいて、私の頬に手を伸ばしていた。

 

 寝起きだからかいつもは冷たい手がポカポカと暖かく、少し冷えた私の顔を暖かくしていく。


 紗夜は私の目元の辺りを優しく撫でている。


「くま酷いですよ。寝れないんですか?」

「……うん」


 絶賛、あなたのことで悩み中なので寝れないですと伝えたかったが、紗夜は意外とそういうのを気にするタイプなので言うことは控えた。


 見られたくなかったはずの酷い顔を見られたことにえらく恥ずかしくなり、今すぐ出ていこうとしたがそれも阻止される。


 紗夜は無言のまま私の手を引く。

 

 わけがわからない。


 心臓がどくどくと音を鳴らす度にみぞおちの辺りを殴られている気分になる。


「明日出かけるんですよね? 少しでも寝ましょ?」


 部屋は暗くて彼女の顔はよく見えなかったけれど、声はしっとりと落ち着いたものだった。

 

 いつからこんな話し方をできるようになったのだろう。

 彼女はどんどん変わっていってしまう。

 それもいい方向に。


 そんな彼女とは反対に私は出来ていた綺麗な形がどんどんと溶けてどろどろの形を保てない状態になっている。


「ちょっと片付けますね」


 紗夜は一番低い明かりをつけて、片付けを始めていた。


 紗夜を待っていると、良くないことに気がつく。

 

 私は初めて紗夜の部屋に入る。

 

 彼女の部屋はきちんと整理されていて、彼女のベッドの枕元にはガーデニングの本が置かれている。


 そして、その横にあるものに目を疑った。


「それって……」


 紗夜は私が指さした方を見て、はっとして急いで枕元に小さなうさぎを隠していた。それは、紗夜が小さい時に私があげたものだと思う。


「谷口さんのえっち」


 紗夜はかなり顔を赤らめている。

 そんな紗夜は知らないし、やはり私はこの部屋から出ていくべきだ。


 彼女に背を向けドアに手をかけようとすると、後ろからぎゅっと抱きしめられ、私の心は崩壊しかける。


 ほろほろと崩れて、いつ土砂崩れが起きてもおかしくない。


 

「和奏ちゃんと一緒に寝たい……」


 

 私の中ですべてが崩れる音がした。

 

 私はそのまま振り返り、少し低い位置にある彼女の顎に手を添えて彼女の唇を奪っていた。

 

 それも触れるだけじゃない。

 何度も何度も熱を交わす。


 

 嫌だと突き飛ばせばいい。

 思いっきり噛んで私を拒否すればいい。

 部屋から出て行け、一生入るな、と言って欲しい。

 私のことを急に名前なんかで呼ばないで欲しい。


 しかし、そのどれも今日は叶うことはないらしい。


 紗夜は否定するどころか私の首の後ろに手を回して、私を引き寄せていた。


 こんなの良くない。

 これ以上は良くない。

 

 私は離れて部屋の外に出ようとしたが、紗夜が私を部屋の奥の方に引き寄せるから、私は彼女のベッドに横になるしかなかった。



「誘ってる?」

「谷口さんってほんと変態ですよね。そういう意味で言ってないです」

「じゃあ、どういうこと?」


 一緒に寝たいと言われて、布団に連れてこられたらそういう意味だと勘違いするだろう。

 少なくとも私ならそう勘違いする。


「谷口さんの体調が良くなさそうだったので、一緒に寝たら落ち着くかなって思いました」

「紗夜の変態」


 変態は自分だ。

 紗夜はただ私に気を使ってくれただけらしい。

 勘違いした自分が恥ずかしくて今すぐ消えたくなった。


 

「私とそういうことしたいって思うんですか?」

「へ……?」


 この子はなんてことを聞いてくるんだ。


 そんなこと思わないし、思ってはいけない。


 私たちがこういうことをしていいのはあくまで紗夜の症状を治すためで、お互いの欲のためにそういう行為はしてはいけないに決まっている。


 私は紗夜の質問を無視した。


 何を思ったのか、紗夜は私の頭を胸の方へ抱き寄せて私の頭を撫でてくる。


 ここは良くない。


 紗夜の匂いで溢れて溺れそうになる。

 紗夜の少しだけ冷たい手が心地いい。

 そして、なぜか平然と喋る彼女の心音は私のと同じくらいのスピードだった。


 私の速度が落ちれば彼女の速度も落ちる。

 まるで私たちの心臓が繋がっているんじゃないかと勘違いしてしまうほどに同じくらいの速さで動いている。


 そのせいで、ふわふわと眠気が襲ってくる。

 ただ、私はそれに対抗したいらしい。


 紗夜に子供扱いされるのが嫌だった。


「谷口さん、寝ないんですか?」

「紗夜のせいで寝れない」

「それにしては眠そうですね。もっとこっち来てください」


 私の頭を優しく触ってくる。


 いつからこんな子になったのだろう……。


 私は知らなかった。

 気が付かなかった。


 そのことが少し悔しい。

 

 なんで一番近くに居たはずなのに、彼女の変化に気がつけなかったのだろう。


 彼女がこんなに変わった理由はなんなのだろう。


 これ以上、考えごとを増やしたくないのに、紗夜のことを知りたいという欲ばかりが湧いてくる。


 

 彼女の言葉に甘えて彼女の胸の辺りに顔を預けた。


 ふふっと微笑む声が聞こえた気がしたけれど、私はそのまま暖かい腕に包まれて眠っていたらしい。

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