第81話 次は違う季節に――

 顔の辺りにふわふわと柔らかい感覚を感じる。


 なんでそんなことをするのか分からない。

 ただ、目を開けたらこの時間が続かない気がしたから、私は寝たフリをする。


 もしかしたら、まだ夢の中なのかもしれない。


 きっと、そうなのだろう。


 頬や耳や唇に柔らかいものが何回か触れた後に私の頭は優しいものを感じる。


 最近の彼女の謎行動には頭を悩ませている。

 こんな状態で私の理性は持つのかと心配だ。

 いつ壊れたって文句は言われたくない。


 彼女の心音が聞こえるくらい優しく胸に抱き寄せられた。



 もう少しだけ。

 もう少しだけ……と、どんどん貪欲になる――。



 眩しい光に目を慣れさせて瞼を開けると、私の目の前には真顔で私を見つめる少女がいた。



「おはよう」

「おはようございます」

 

 真顔の少女はいつも通り挨拶をしてきた。

 だから私もいつも通り接する。


「そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど」

「見つめてないです」


 やはり、さっきのは都合のいい夢を見ていたのだろう。


 いつものように彼女は冷たい。


 外は鳥の鳴く声が聞こえていて、先ほどまで聞こえていた紗夜の心音は聞こえなくなっていた。


「寝れましたか?」


 目の前の少女は心配そうに私の頬を撫でてくる。

 飼い猫に心配されるくらい昨日の顔は酷かったのだろう。


「うん。ありがとう」

「いえいえ」

「紗夜……誕生日おめでとう――」

「ありがとうございます」


 紗夜は嬉しそうに抱きついてきた。


 私の髪も服も彼女の匂いが付いていて、朝から頭が少しクラクラする。

 そのまま逃げるようにベッドの外に出ようとすると腕をぎゅっと掴まれた。


「二度寝しません?」


 目の前には、にっと笑う少女が居る。


「紗夜ってそういうこと言ったりするんだ」

「変ですか?」

「ううん。もっと紗夜のこと教えて」


 私はぎゅっと彼女の服を掴んだ。変わっていく紗夜のことをたくさん知りたいし、追いつきたい。


「谷口さんって甘え慣れてますね」

「なにそれ。初めて言われた」


 紗夜と目が合ってぷっと二人で吹いてしまう。正直、紗夜の方が甘え慣れていると言おうと思ったが、不機嫌にしてしまいそうだし、甘えてくれなくなりそうなのでやめた。



「少し遠出するし、二度寝はまた今度ね」

「わかりました。私も手伝います」


 私たちは二人で準備をして、家を出ることにした。

 

 もちろん、買ったピアッサーもバッグの中にある。


 車で二時間程度の所に向かう道中は綺麗な山がたくさん立ち並び、心躍るものだった。


 隣の猫はだいぶ車に慣れたらしく、たまにウトウトしたり、頑張って起きようと話しかけたりしてくれる。


 そんな彼女が愛おしくて、今まで少しずつ心をほぐしてきてよかったなと思う。


 車から降りるとワンピースを着た少女は控えめにキョロキョロと首を動かしていた。


「そういえば、行先聞いてなかったんですけど、どこ行くんですか?」

「去年のリベンジ」


 そのまま彼女の手を握ろうとするけれど、見事に空振りしてしまう。


「外です」

「外じゃなきゃいいの?」

「そういうことじゃない」


 ちょっとだけむっとした表情の紗夜は、私の前を歩き、興味津々に辺りを見ている。


 私はチケットを二枚買い、彼女を手招きする。

 紗夜はきょとんという顔で大きなゴンドラを見ていた。


「これなんですか?」

「いいからおいで」


 今度は逃げられないように彼女の手を引いて、私たちはゴンドラに乗り込む。


 幸い、誰もいないので彼女と貸切状態で楽しむことが出来そうだ。


 紗夜は乗った瞬間から外にばかり目を向けて落ち着きのない様子だ。

 他のことに夢中な彼女に少し寂しさを覚えるが、彼女の横顔を見たらそんなのどうでもよくなった。


 紗夜に合わせて私も窓の外を見る。

 やはり、ここにして正解だった。


 目の前に広がる光景は絶景と言っても過言ではないだろう。


 地平線に広がる綺麗な光景はどこまでも続いているんじゃないかと思えるほど遠くまで広がっている。


 地上には、赤色、黄色、橙色、煉瓦色、緑色と美しいグラデーションが描かれている。


 その美観は言葉では表せないほどだ。


 あまりにも広大で綺麗なその光景にゴクリと唾を飲む。


 幾度もの秋色を重ねた光景に私も紗夜も釘付けになっていた。



「きれい…………」


 紗夜がポロリと口にするので、私は意気揚々と彼女を見ると、あまりに驚いてどうしようかと動けなくなってしまう。


 彼女の美しい顔には何滴もの雫が流れていた。


「紗夜……?」


 私は心配で彼女に歩み寄ると、彼女は目に涙を浮かべながら私の方を見てくる。



「谷口さん。私にたくさんのことを教えてくれてありがとうございます」


 少女はそのまま目尻を下に下げながらニコリと笑うから、雫はポロリと地面に落下する。


 なんで彼女が涙を流しているか分からなかった。


 感動してなのか他の理由があるのか。


 感極まって泣いてくれたのならば、嬉しい。



 私はそのまま彼女の頬に手を添えて、彼女の涙を優しく指ですくう。


 そのまま紗夜の少し弱々しい体を抱き寄せた。


「ここね、今は紅葉が綺麗だけど、冬は雪が積もってまた違う景色が見れるの。春と夏は高山地帯だから高山植物って珍しい花も沢山咲いてるの」


 私はそのまま彼女を離し、彼女の涙の溜まった目を見つめた。


「だから、また来よう。次は違う季節に――」


 彼女を泣き止ましたいとかそういう気持ちもあったのかもしれない。

 ただ、紗夜を知って、紗夜の横顔を見て、私がまたここに紗夜と一緒に来たいと思った。


 私の一方的な思いかもしれないが、それでもいい。


 ぎゅっと抱きついてくる紗夜の体も声も震えていた。だから、私はそっと彼女の背中を撫でる。



「約束してくれます?」

「約束」

「谷口さんに好きな人とか恋人ができても?」

「作る気ないから大丈夫だよ」

「私が症状治るまでですよね……?」


 違う――。

 紗夜が隣に居てくれるのならば、好きな人も恋人もいらない。


 そう言いたかったのに、その言葉はびっくりするくらい私の口を重くした。

 

 そのまま無視を続けると紗夜の頬はどんどん膨らんでいく。


「最近、私のこと無視することが増えました」

「色々考えてるんだよ」

「適当過ぎます」

「そんなことないよ。それより、ほら、景色見よ」


 そういうと、紗夜は私から離れてまた景色に釘付けになる。

 とても愛おしいものを見るようなそんな優しい目だった。



「冬はどんな感じなんですかね……」

「冬はね、動かない雪男がたくさんいるよ」

「ふふ、なんですかそれっ」


 隣の少女は今日は常に笑顔だ。

 彼女が笑顔になってくれてよかった――。



 私たちは駅について、休まず次の場所に向かう。


「次はこれ」

「これはなんですか……」


 私は二人分の座席に腰かけ紗夜を手招きする。きっと、リフトなんかも初めて乗るのだろ。


 予想通り、少女はぎこちなくリフトに乗ってくる。紗夜が安全に乗っていることを確認して、ほっと前を見た。

 

「暴れないでね?」

「私のことなんだと思ってるんですか?」

「凶暴なトラ」

「トラ……? 猫とかにしてください」

「なんで?」

「そっちの方がかわいいから」


 隣に大人しく座る少女は冗談ぽくそんなことを言っていた。どうやら、猫という自覚はあるらしい。



 ガタンとリフトが動き出すと少しビクリとしていて、怖いのだうかと横を見る。


 私の心配は不要だったようで、高さが増していく度に目がキラキラとしている。


 先程、ロープウェイから見えた景色がより近くで堪能できるこのリフトは最高かもしれない。


 隣の少女は楽しそうにあっちこっちに顔を動かしている。


「これ下に落ちたらどうなるんですか?」

「頂上まで全力ダッシュ」

「谷口さんやってみて下さい」

「紗夜の方が若いんだからやってよ」

「落とさないでくださいよ?」


 紗夜が私のことを少し疑いの目で見てきたので、私は微笑んでしまう。そして、いいことも思いついてしまった。


「じゃあ、落ちないようにしないとね」


 私は彼女の手をぎゅっと握った。


「そんなことされなくても落ちないです……」


 なにやらブツブツと文句を言っていたが、手は握っていていいらしい。


 いつもよりも温かな会話をしていたら、頂上に着いて、私たちはリフトを降りた。


 降りるとそこにはまた綺麗な光景が広がっている。


 標高のかなり高いところまで来たので、空気が薄く、少しだけ息苦しい。


 息苦しいはずなのに空気が清々しくて、何度も肺に空気を送り込んだ。


 大きく息を吸って吐いていたら、隣の猫も真似をしてくる。


「空気も景色も綺麗ですね」

「そうだね」

「谷口さん……」

「ん?――」


 隣の少女を見るとやたら難しい顔をしていた。


 笑顔は消え、眉間に力が入っている。


「写真撮りたい……」

「写真?」


 紗夜は知らない間に耳まで真っ赤になっている。

 

 なぜ写真? と思ったけれど、今の若い子はそういう時期なのかもしれない。


「スマホ貸して?」


 私はスマホを借りて、紗夜と背景を撮ろうとすると、彼女にそれを遮られた。


 今、鳥が空を飛んでいて、ちょうどいい写真が撮れそうだったのに……。



「谷口さんって変なところ馬鹿ですよね」

「急に失礼過ぎるよ」


 紗夜はパタパタと少し遠目のベンチの方に行ってしまった。


 さっきまであんなに嬉しそうだった少女は急に不機嫌丸出しだ。

 彼女が何で機嫌を損ねてしまうかだいぶ分かってきたつもりだったが、まだまだらしい。


 不機嫌かと思えば、紗夜はすぐに戻ってきて、なにやらニコニコと駆け寄ってくる。


「谷口さん、あれ見てください」


 なんだろうと思って紗夜が指差す方を見るとカシャカシャとカメラの連写の音が辺りに響く。


 紗夜は嬉しそうにスマホの方に駆けていった。



 数分前の鈍感な自分に殴りをいれたい。

 写真撮りたいって一緒にってことか……。


 まさか紗夜がそんなことを思っているとは思わなくて、私は呆気に取られてしまう。


「ふふ、間抜けな顔」


 紗夜が楽しそうにスマホを見ているので、私もスマホを覗くと、あまりにもあほそうな顔の自分が写っていて、彼女のスマホを取り上げようと思った。


「何するんですか?」

「そんな恥ずかしい顔残したくない」

「意味わかんないです。それよりも背景綺麗じゃないですか?」


 紗夜は画面を私に見せてくるが、私は自分の恥ずかしい顔しか目に入らず、今すぐその写真を消したいと思った。


「もう一回撮ろう。それは恥ずかしい」

「いやです」

「なんで」

「谷口さんが悪いことした時にこの写真を人質にして脅すので」


 ふっと笑って彼女はリフト乗り場の方へ向かってしまう。彼女の意味のわからない行動と言葉に私の気持ちは山頂に置いてけぼりだ。



 帰りのリフトもロープウェイも紗夜は紅葉に釘付けだった。


 彼女を連れてきてよかった。


 そして、あわよくば彼女とこの場所にまた来たい。


 そんな想いを乗り物に乗せて、私たちは山麓まで下りた。

 

 

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虎百合に恋願う 雨野 天々 @rainten7777

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