第37話 普通のことじゃないですか

 お酒を飲み過ぎたことをここまで後悔したことはない。朝起きてシャワーを浴びるために服を脱いで衝撃を受けた。


「つけすぎだよ……」

 

 首だけではなく、鎖骨、胸元まで何ヶ所も赤い跡が付いていた。私は頭に手を置いてガクリと下を向く。


 酔っていて途中までしか覚えていない……。


 家に帰ってきて、私のあげたブランケットにくるまっていた紗夜に余計なことを教えてしまったところまでは覚えている。その後は、紗夜に体を好き放題されていたということになる。


 練習台ってなんだ?

 何のために彼女は練習したんだ?


 全く理由がわからない。


 しかし、一つだけ言えることは、私は彼女に教えてはいけないことを教えてしまったということだった。


 一番最初に噛まれていたであろう場所は何も残っていないのに、鎖骨あたりにはしばらく消えそうにない印がついている。ほんとに練習に使われたようだ。


 服では隠せない部分にも付けられていて、せっかくの休みの日なのに、これでは外に出られない。


 部屋着を着ても隠れていない赤い印を見て、紗夜はどんな反応をするのだろう。いつもどおり朝ごはんを準備しようと思うと紗夜がタイミング良く起きてきた。


「おはようございます」

「おはよう……」

 

 話すトーンはいつも通りすぎてこちらのリズムが狂ってしまう。しかし、紗夜は私の首の辺りをやたら見ていた。君がやったんだよ? と言おうとすると、さっとその場を離れてしまいいつも通り朝ご飯の準備を始めてしまう。


 昨日のことのせいもあるのか、無言で朝食が終わり、紗夜が急いで部屋に行こうとするので彼女の腕を掴んだ。

 

「随分やってくれたね」

「なんのことですか」

「人のこと練習に使わないの」

「…………」

 

 都合が悪いのかだんまりだ。黙っていたかと思えば、今度は鎖骨のあたりを指でなぞってきた。その行動に背筋に一本の線が入ったみたいに力が入る。


「しばらく消えなさそうですね」

「だから困ってるの。今日、外出れないじゃん」

「出なければいいじゃないですか」

「一日家に居るの暇じゃん。紗夜が責任取ってよ」

「責任?」

 

 紗夜の腕を引き、ソファーに座らせた。紗夜は目を細めて不満そうな表情をしている。

 

「一緒に映画見よ」

「一人でも見れるじゃないですか」

「一人つまんないじゃん」

「谷口さんって変なところ子供みたいですよね」

「誰のせいでこうなってるかわかってる?」


 少し怒り気味で答えると紗夜はつまんなそうな顔で真っ黒な画面を見ていた。

 

 私はスマホとテレビを接続して、適当に恋愛映画を流した。隣の少女は見ているのか見ていないのかよくわからない表情をしている。今の若い子がなにを見るかなんてわからないから無難に恋愛映画を流したつもりだったが失敗だったようだ。


 そういえば、紗夜って付き合ったことある人や好きになったことのある人がいるのだろうか。そんなことすらも聞いたことはなかった。こんなに美少女ならば告白はたくさんされているはずで、付き合う機会は沢山ありそうだ。

 

 まともに答えてくれるか分からないけれど、沈黙も飽きてきたので聞いてみようと思った。


「紗夜って好きになった人とかいるの?」

「…………います」

「付き合ったことある人は?」

「ひとりだけ……」


 その答えは分かっていたものの、そうなのかと少しだけショックを受ける。誰とも付き合ったことのない彼女を期待していた。こんな美人が付き合う人はどんな人なのだろう……?


「付き合ってた人ってどんな人なの?」

「それ以上この質問するのなら部屋戻ります」

 

 紗夜の声は本気で怒っている時のトーンで、顔は信じられないくらい険しい顔だった。なにか気に触ることをしてしまったようだ。


 冷静に考えれば、過去に付き合ってた人の事なんて聞かれたくないに決まっている。デリカシーのない私の発言を反省することにした。


「ごめん。もう聞かないから」

 

 結局、手に入った情報は紗夜が付き合ったことがある人がいるということだけだ。この話はここで終わるかと思ったが、紗夜が私に興味を持っていてくれたらしい。


「谷口さんは何人の人と付き合ったことあるんですか?」

「二人かな」

「遊び人ですね」


 いやいや、二十五歳で二人は多くはないと思う。どの辺が遊び人なのかわからなくて、少し言葉に詰まっていると紗夜の質問が止まらなくなった。


「谷口さんはどんな人を好きになるんですか?」


 とても紗夜の口から聞けなさそうな質問が飛んできて呆然としてしまう。私に対してそんな興味があったとは信じ難い。嬉しくなってつい調子に乗ってしまった。


「私のことそんなに気になるの?」

「そういうこと言うなら教えてもらわなくていいです」

「ごめんごめん。んー、難しいね……。強いて言うなら、私のこと一途に愛してくれる人かな」

「そんなの普通のことじゃないですか」

「普通のことが難しいこともあるんだよ」



 別れた原因が浮気されたか飽きられたかだった。自分で言うのもなんだが、なかなか辛い恋愛だったと思う。

 

 今となっては笑い話にできるが、その時はとても苦しかったのを今でも覚えている。


 私が間違えていたのだろうか? 私の何がそんなにダメだったのだろうか? そんなことばかりが頭に浮かんで自分に対して否定的な意見を持つようになったこともある。



「色々大変なんだよ」

「そうですか」

 

 聞いてきた本人の興味が無くなっていて、それがなんか気に入らなかったので私は意地悪な質問をしてみた。


「キスマークの練習したってことは付けたい相手でもいるの?」

 

 わざとニヤニヤとした表情で聞いてみると、彼女はとても嫌そうな顔をしていたので幼稚な私は満足してしまう。私はこの赤い跡のせいでせっかくの休みを無駄にしている。紗夜も少しは困ればいいと思った。

 


「私のこと忘れられないように練習しました」

「忘れられないように……?」

「はい」

 

 全然言っている意味が理解できなかった。彼女を困らせようと思ったのに結局、私の頭に疑問が居座り続け、私の方が困って終わってしまった。



「そういえばさ、話変わるんだけど年末うちの家おいでよ」

「……えっ?」

「実家に帰るの?」

 

 紗夜の実家は同じ県内にあるのでそう遠くない。もしかしたら、家族と過ごすのかもしれないけれど、なんとなく紗夜のお母さんは年越しも帰ってこないんじゃないかなと思った。


「家には帰らないです。谷口さんの実家に邪魔するのは申し訳ないので、もし良ければここに居たいです」

「気を使わなくていいからうちの家おいで? 元は私のお母さんが紗夜の面倒見てたんだから今更迷惑とかないよ」

「でも……」

「いいから。毎年、うちの年越しはうるさいけど許してね?」

 

 そう言って私が笑いかけると、彼女は小さくこくりとだけ頷いていた。


 その後もなんだかんだ紗夜は隣に居てくれて、興味のない映画を二人でぼーっと眺めていた。

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