第38話 妖怪か何かですか?

「紗夜ちゃんいらっしゃい! 元気だった?」

「元気でした。あの、今日はありがとうございます」

 

 少し背中を丸めた少女はテンションの高い母の勢いに押されず、冷静に話していた。


 前々から思っていたが、紗夜は私の母に対して愛想がいい。不器用だけど少し口角を上げて見せている。私には絶対そんなことはしてくれないので、そのことを少しだけ不満に思っている。


 

 未だに紗夜が心から笑っているところは見た事がない。この子はどうやったら笑うのだろう。どんなことになら楽しいと感じて笑顔になるのだろう。


 彼女を見ていると、たまにだけれど無性にそんなことを思うようになった。しかし、他人の私がどんなに考えても結論が出ることはないので、諦めることにしている。


「二人とも悪いんだけど、大掃除手伝ってくれる?」

「えー、せっかく実家に帰ってきたんだからゆっくりさせてよ」

 

 私が母に反抗すると、鬼の形相で私の耳を引っ張ってきた。耳が取れそうなくらい痛くて声が漏れてしまう。

 

「いたたたっ」

「あんたの部屋掃除しなさい」

「わかったから離して……」

「ちゃんとやらなかったら、次はほんとに耳取るからね」

 

 そういうと母は家の奥に入っていった。


 隣の紗夜を連れていこうとすると、めっちゃ呆れた目で見られている。

 何が言いたいかわかるよ。

 こんなだらしない大人になっちゃダメだからねと心で唱えて私は家の中に入った。


 リビングのテーブルでは父がくつろいでいて、いつも通り片手を頭より高くあげると、同じ仕草を返してくれる。父の目線はすぐに紗夜に移った。


「紗夜ちゃんいらっしゃい。ゆっくりしていってね」

「ありがとうございます」

 

 挨拶を終えた父はコーヒーを片手に新聞を読んでいる。紗夜は父に軽く会釈をして、私の部屋に向かっていたので、私もその後を追いかけた。

 


 久しぶりの部屋は落ち着く。学生時代から時の止まった部屋を懐かしく思い、歩き回っていた。

 

 もう、いらない教科書や参考書は捨てるべきだろう。今までは思い出だからと取っておいたが、高校を卒業してから一度も開くことはなく、綺麗に整列された教科書たちは黄色くなり、上にはホコリが積もっている。


「紗夜ちゃん、悪いんだけど和奏がちゃんと自分の部屋片付けてるか見てもらってもいい?」

「わかりました」

「和奏! 片付けしなかったら今日の夕飯抜きだからね!」

「はーい」

 

 夕飯抜きは困るので、適当に返事をしてベットに寝っ転がった。紗夜は部屋の隅で体育座りをしている。

 

「そんな隅っこにいないでこっちおいでよ」

「谷口さんがちゃんと掃除するかここで見張ってます」

「わぁ……紗夜までお母さんの味方なの?」

「当たり前です」


 相変わらず冷たいなと思うが、こんなことをしていても私の夜ご飯は出てこないので、片付けを始めることにした。


「紗夜も手伝ってよ」

「谷口さんの部屋なのになんで手伝わないといけないんですか?」

「どうせ暇でしょ? 手伝ってくれないなら年明けから紗夜のお弁当作らないよ?」


 さっき母から告げられた「夜ご飯抜きだから」は私にとってかなり重い罰だった。そのために今はやりたくないことをやっている。


 紗夜にも同じ攻撃をすれば、手伝ってくれるかもしれないと淡い期待を込めて釣り糸を垂らしてみた。



「はぁ……何すればいいんですか?」


 食の力は恐るべし。簡単に紗夜が釣れてしまったので、私たちは片付けを始めることにした。


「紗夜は私がここに置いた本たち縛って?」

「わかりました」

 

 お弁当の効果もあるのか、今日の紗夜はかなり素直だ。彼女のやる気が無くならないうちに片付けを進める。私は教科書類は捨てる、なにか思い入れのあるものは残すことにした。


 何となくホコリの被った教科書をぱらぱらとめくると、年月の経った本によくある独特の匂いがぶわっと広がり、あるページで止まった。


「ねえ、見て見て」

 

 私はそのページを紗夜に見せると、彼女の顔は明らかに険しくなっていった。その顔のまま目線が教科書から私に移る。



「谷口さんって不真面目だったんですか?」

「うん。授業中、お絵描きしかしてなかった。私の絵、下手くそすぎない? これ、絵しりとりなんだけど読解できる?」

 

 高校の授業中に友達と教科書の余白を使って、絵しりとりをしていたものだ。紗夜はかなり難しい顔をして考え込んでいたが、諦めたのか「ふぅ」と息を吐いていた。


「何書いてるか分からないですね……」

「だよね。懐かしい」

 

 私がすごい笑っていると紗夜が少しだけ微笑んでいる気がした。私はそのまま捨てる書類にその教科書を積み上げる。


「いいんですか捨てて?」

「うん。どうせ見ないしね」

 

 大切な思い出なので取っておくべきなのかもしれないけれど、片付ける機会しか見ることは無いだろうと思い、次々と教科書を捨てていく。色々整理していると卒業アルバムがでてきた。



「げっ……」

 

 中身を見ると野暮ったい自分が出てきて恥ずかしくなる。絶対に紗夜に見られたくないと思っていたのに、彼女は勝手に覗き込んできた。


「これ谷口さんですよね」

「見ないでよ」

「なんでですか?」

「今に比べて全然可愛くないから」

 

 私は見られたくないものを見られ、むっとして紗夜を見ると目を丸くしてこちらを見ていた。紗夜はそのままアルバムに視線を落として私の恥ずかしい写真を見つめている。


 

「谷口さんは高校生の頃から綺麗でしたよ」

「えっ――?」

 

 紗夜から信じられない言葉が聞こえた気がして聞き返そうと思ったけれど、そそくさと片付けを始めてしまうので聞けなくなってしまった。


 私たちの間には気まずい空気が流れ、それに耐えられなくなり(正確には掃除に飽きたので)、息抜きに遊びを提案してみた。


 

「ねえねえ、休憩がてら絵しりとりしようよ」

「まだ掃除始めてから全然時間経ってないじゃないですか」

「どうせ一日時間あるし、いいじゃん」

 

 私は強引に彼女をテーブルに引っ張り、ペンと紙を出した。


「紗夜からね。好きなのでいいから」

「……はい」

 

 最初は目を細めて横目に私を見ていたけれど、私がペンをグイグイと差し出すので、諦めたのか黙々と描き始めた。


 机に顔を向けると彼女の綺麗な髪の毛がさらさらと広がり、邪魔になったそれを耳にかけて描くのに集中している。その姿が映画のワンシーンなのではないかと思うほど、彼女はどんな仕草も絵になると思った。

 


 彼女が描いた絵を見ると、ゆるい感じのトナカイが描かれていて口元が緩んでしまう。いつも冷たい紗夜が描いたとは思えないくらいトナカイは優しい顔をしていて、そして絵がとても上手だった。


 

「紗夜って絵上手だね」

「谷口さんが下手くそなだけじゃないですか?」

「煽るねー。じゃあ、とびきり得意なやつ描くから」


 そう言って絵しりとりの続きを描いて渡すとすごい難しい顔をされてしまう。

 


「――妖怪か何かですか?」

「ひどい。どっからどう見ても犬じゃん」

 

 紗夜は目を丸くして私と妖怪いぬを交互に見返す。その後に堪えきれなくなっていたのかクスクスとお腹を抑えながら笑い声を漏らしていた。


「もはや才能ですよ、これ」


 紗夜が笑顔で妖怪いぬの絵を見ていた。そんな彼女から私は目を離せなくなった。やはり、紗夜は笑顔が一番似合う。

 

 紗夜が笑ってくれるなら、自分はどんなに馬鹿にされてもいいし、絵が下手くそで良かったと初めて思えた。


 私は無意識に彼女の頬に手を伸ばす。彼女に触れるとすぐに笑顔は消えてしまい、嫌そうな顔に変わるので、自分の行動に少し後悔した。


 その後も何回か交互に絵しりとりを続け、紗夜は私の絵を見る度に笑い声を漏らしていた。


 

「紗夜の笑顔って破壊力あるね」

「何言ってるんですか。変なこと言うなら休憩終わりにして片付け始めましょ」


 紗夜はペンを机にパシと置いて片付けを始めてしまった。 


『かわいい』

『きれいだ』


 そんなことが素直に言えないなんて、私らしくないと思う。彼女の笑顔はあまりにも綺麗すぎて、そんな単調な言葉で片付けていいものではないと思ってしまった。


 この笑顔をこれからもっと増やすことが出来るだろうか。きっと簡単なことではないだろうと思うと苦笑いがこぼれてしまう。

 



 私たちは何とか昼前に片付けが終わり、母に報告に行くと母はとても喜んでいた。


「紗夜ちゃん、ほんとにありがとね。紗夜ちゃん居てくれると和奏かっこつけるから助かるわ〜」

「お母さん、変なこと言わないで。いつもこうだし」

 

 私は紗夜の前だから片付けをした訳では無い。紗夜にそう思われるのが嫌でついムキになってしまう。


「はいはい。そんなお利口さんな和奏にお願いがあるの。お昼食べ終わったら二人でこれ買ってきてくれる?」

 

 母からメモを渡され、すぐに目を通すと信じられない量の買い物で体から力が抜けてしまう。紗夜は「わかりました」と言っているし、ここで年上の私が嫌ともいえず、午後は買い物に出かけることになった。

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