第39話 私だって緊張するよ

 外に出ると沢山の植木鉢が並んでいる。冬なので花は付いていないが、これが春から秋にかけて色々な花たちで彩られると思うとどんな感じなのか見たいという欲が出てくる。


 その時期にまた谷口さんの実家に来れるだろうか。


 今まで何年もお世話になっていたのに叔母さんの好きなガーデニングには見向きもしなかった。いや、自分にはそんなことを気にする余裕が無かったの方が正しいのかもしれない。


 谷口さんにたくさんのことを教えてもらい、興味を持ち、自分で花を育てるようになってから、今まで気にすることなんて絶対になかった道端に生えている花すらも目に入るようになった。


 少し前の自分からは考えられないくらい私は変わっている。そして、そんな今の自分は少しだけ好きだったりする。


 私は綺麗な道を抜けて街に向かった。


 



「お腹いっぱい。でも、やっぱりお母さんの料理最高だわ」

「そうですね」

 

 隣を歩く谷口さんはぺったんこなお腹を撫でている。そのお腹の中に入っているものと私のお腹の中に入っているものが同じだと思うと不思議でそして少し嬉しかった。

 

 

 谷口さんも叔母さんも料理がとても上手だ。叔母さんの料理は味付けが少し谷口さんの作るのと違う気がする。多分、隠し味かなにかオリジナルのメニューを持っているのだと思う。

 

 谷口さんは……。


「紗夜、買い物付き合わせてごめんね?」

「いえ、やることないので」

「ありがとう」

 

 谷口さんは散歩を待ちわびていた犬のように横を歩いている。私もそんな楽しそうな彼女の歩幅に合わせて足を前に進める。


 谷口さんの方が身長が高く、歩幅が大きいのでちょっと歩くペースが速くなる。私が急いでいる様子を見ると谷口さんはすぐにスピードを緩めてくれた。


 彼女はそういうとても温かいところがある。それが料理にも現れていて、私は彼女の作る料理が好きだ。

 

 私もいつか料理を作れるようになって、心まで温めてくれるご飯を谷口さんにも味わって欲しい。谷口さんにも同じ気持ちになって欲しい。なぜかそう思うようになった。


 こんなに素敵な人が振られるなんて未だに信じ難い。谷口さんと付き合ってきた人達はどんな理由で彼女と離れるという選択をしたのだろう。良い人過ぎて離したくない人が多そうだが……。


 谷口さんが好きになる人はどんな人なんだろう。そんな私には関係ないことが最近気になってしかたない。

 


「ぼーっとし過ぎですよお嬢さん」


 はっと彼女を見るとにんまりとしている。何がそんなに楽しいのか分からないけど、両親と過ごしているからか、いつもより素の彼女が見れて少しだけ嬉しかった。


「年末は毎年こんな感じなんですか?」

「そうだね」

「叔母さん大変そうですね」

「なんでよ」

「谷口さんのおもりで」

「そんな私におもりされてる紗夜はもっと恥ずかしいけどね」

「頼んでないです」

「じゃあ、もう私の家に住むの辞める?」

「…………」

 

 あまりにも彼女は意地悪だと思う。私にはどこも行くあてが無いと知っていて言うなんて悪魔だ。しかし、ここで彼女の求める答えを出してしまえば、調子に乗る谷口さんが想像できるので私は意地を張った。


「考えておきます」

「えっ……」


 私にだってちょっとくらい意地悪する権利があると思う。ただ、思ったよりも効果は絶大で、あからさまに落ち込んでいたので彼女の手から買い物カゴを取り上げた。


 叔母さんのおつかいの量が多く、カゴが重くてヨタヨタとしてしまう。谷口さんが「半分ずつ持とうか」と言ってくれたのに素直に甘えられず少し手が痺れるまで荷物を離さなかった。

 

 私たちは買い物を終えて家に戻った。


 家に帰ると、とてもいい匂いがしていて胃が刺激される。リビングに入り食卓を見ると豪華なご飯が並んでいた。


「いっぱい食べてね」

 

 叔母さんはいつも私に優しい。とても温かい人だと思う。でも、私のお母さんも負けないくらい温かい人だった。


 私の何が悪くてお母さんは居なくなってしまったのだろうと深く考えることがよくある。どんなに考えても結論の出ないことだった。


「紗夜ちゃん、和奏との生活大変でしょ?」

「いえいえ。そんなことないです」

「そうだよ、お母さん。私が面倒見てるんだから」

「あんた何言ってんの。一人だったらどうせピーピー泣いてたんでしょ」

「うぐっ……」


 そんな微笑ましい会話に包まれながら食べるご飯はいつもより美味しく感じる気がした。


 私は食事の片付け、谷口さんはお風呂掃除の分担になり、叔母さんと二人きりになる。



「紗夜ちゃん、ほんとに大丈夫? 和奏、迷惑かけてない?」

「ほんとにいつも助けてもらってます」

「何かあったら私にも相談するんだよ? あなたは私の子供みたいなものだからね」

 

 にこっという顔で叔母さんは話していた。その笑顔は谷口さんにそっくりで、とても綺麗で、きっと谷口さんが歳を重ねたらこういう綺麗な人でいるんだろうなとしみじみと感じた。

 

 そして、叔母さんの言葉がじんじんと胸に広がっていく。もちろん、私の母は一人しかいなない。ただ、いつも母の代わりに面倒を見てくれるのは叔母さんだった。だから、勝手に叔母さんを母親のように思っている。それが一方的な思いではないと思うと心に温かさが染み渡った。

 

 谷口さんがあんなに素敵な人な理由がよくわかる。谷口さんはどんなに酷いことをしても言っても、いつも私を優しく包み込んでくれる。そのせいで私はこの生活を手放せなくなってしまった。


 

「――ありがとうございます」


 それしか言えないけれど、それでも叔母さんは嬉しそうに「うんうん」と言ってくれた。


 私のこの性格を理解して受け入れてくれる。そんな谷口家の人たちになんでもない私は優しく包み込まれてという気持ちを知っていく。


 

 ふと谷口おばさんに聞きたいことが思い浮かんだ。

 

「一つだけ頼りたいことがあるんですけどいいですか?」

「なんだい!?」

「和奏ちゃんの誕生日教えてください」

「なんだそんなことかい。五月十三日だよ」

 

 もっと頼ってもらえることを期待していたのか前のめりになっていた叔母さんは少し残念そうな顔をしていたけど、すぐに表情は変わりニコニコと嬉しそうだった。


「紗夜ちゃんが隣にいてくれるだけできっと喜ぶよ」

「ありがとうございます……」 


 そんなことはないと思う。谷口さんにとって私は邪魔な存在でしかない。私は彼女に何も出来ていない。その事実に少し息苦しさを覚えた。



 しばらくすると谷口さんは帰ってきて、順にお風呂に入って年越しを待つのみになる。


 お風呂から上がってぼーっとソファーに座っていると叔父さんが隣に座ってきてだいぶリラックスしてくつろいでいた。

 

「今年の年越しは紗夜ちゃんも居てくれて、にぎわっていて楽しいよ」

「邪魔じゃないですか?」

「居てくれた方がいいに決まってるじゃないか。君も家族なんだから」

 

 そう言って谷口叔父さんは微笑んでいる。私に家族は母しかいないと思っていた。しかし、谷口夫婦は私のことを家族だと言ってくれる。

 


 今日は何度も目じりが熱くなる。やっぱり、谷口さんの家で留守番しておいたほうがよかったかもしれない。こんなに温かいものを知ってしまったらどうしてもそれを知らなかった時の自分には戻れない。



「いつもありがとうございます」

「いいんだよ。和奏はお転婆でおっちょこちょいだけどよろしくね。紗夜ちゃんはしっかりしてるからそばにいてもらえて助かってるよ」

 

 叔父さんはニコニコと嬉しそうに話した後、テレビに夢中になっていた。

 



 年越しに誰かと過ごすのは久しぶりだ。


 これ以上ないくらい幸せにしてもらっている。谷口さんに後で感謝の言葉を伝えてもいいかもしれない。


 


 皆が家のあちこちでくつろぐ中、テレビでカウントダウンが始まる。なぜか胸がドキドキして体はソワソワしていた。


 テレビから響き渡るカウントダウンがぜろになると谷口家のみんなが私を見て、ピンと背すじを張っていた。


「紗夜、あけましておめでとう」

「「紗夜ちゃん、あけましておめでとう」」

「――あけましておめでとうございます」

 

 私は顔を見られないようにとぺこりと会釈をする。しかし、下を向いたままだと今度は何かが零れそうだったので起き上がり、いつもの表情を作ることに注力した。


 そばを食べ終わるとみんな部屋へ向かい始める。


「みんな、おやすみ。朝なったら初詣行くわよ。紗夜ちゃんもね?」

「はい。おやすみなさい」

「おやすみー」


 私達も部屋に戻った。


 そういえば、谷口さんの部屋にはベットが一つしかないんだった……。


「今日の分まだだよね?」

「……はい」

「今日の分は一緒に寝ることね」

「一回分にしては長すぎません?」

「いいからおいでよ」

 

 私は手を引かれてベットに横にされてしまう。ベットが一つしかないから仕方なく寝るだけだ。自分にそう言い聞かせて壁の方に身を寄せた。それでも背中に彼女の熱を感じる。


「谷口さんもっとそっち行ってください」

「違うよ。紗夜がもっとこっちおいで」

「いやです」

「変なことしないからおいで? いつもとやってることと変わらないよ。ただ横になってるだけ」

 

 谷口さんの柔らかな声が聞こえる。そのことに私の心臓は反応したらい。振り返り彼女の顔を見るといつもよりも緩んだ顔をしていた。

 

 私ばかりが意識していて、谷口さんは何ともないみたいな顔をしている。そういう所で自分は子供なんだと思い知らされる。

 

 私はいいとも言っていないのに谷口さんが勝手に抱きしめてきて、息が止まりそうになった。女性が苦手だからそうなっているのか、谷口さんだからそうなるのかもう分からない。


 私の体が強ばっていたからか、谷口さんが優しく背中をさすってくる。その手には包容力があって、優しくて体がポカポカとする。谷口さんの匂いがあっちこっちからふわふわと漂う。


 視覚も嗅覚も触覚も彼女で満たされて、感じたことのない感情が生まれる。


「今日、楽しかった?」


 そして、彼女が話しかけてくるから聴覚までも彼女で満たされて、私の頭はくらくらとしていた。

 

「谷口さん、やっぱり離れてください」

「そんなに嫌?」

 

 その声が哀愁漂っていて、私は何も言えなくなってしまう。そんな寂しそうな声を出すなんてずるいと思う。


「……みんな、優しくて温かくて幸せでした」

「そっか。こういうことするの緊張する?」

「それ、わざと聞いてます? 谷口さんはそういうことに慣れてるかもしれないから人の気持ちなんて分からないですよね」

 

 私が動悸がしてしまうことをわかっていて聞いているのなら性悪だ。私はつい八つ当たりみたいなことを言ってしまう。


 谷口さんの胸が少し膨らみ、「ふぅ」と少し息を吐いた後、急に私の頭を胸の方に抱き寄せるので距離がより近くなった。これ以上は無理だと思った瞬間、私を驚かせる事実が判明する。



「聞こえる? 私だって緊張するよ」


 私の鼓膜を震わせる谷口さんの心音は私のと同じかそれ以上に速かった。トクトクと彼女からは聞こえたことの無い音が聞こえる。思わず谷口さんを見上げると、恥ずかしそうに笑っていた。


「今日、紗夜と色々話せてよかった。絵しりとりできて幸せだったよ」

「そんなことで幸せなんですか?」

「うん。だから、またしようね」


 訳が分からない。


 彼女はいつも余裕そうに大人ぶっているくせに、急にこういうことをする。だから私の心臓も彼女と同じくらいの速さになっているのだと思う。


 そして、絵しりとりが楽しいなんてもっと訳が分からない。ただ、あの時は私も楽しんでしまった。



「考えておきます……」

「前向きに検討よろしく」


 谷口さんは嬉しそうに笑っていた。その笑顔に引き込まれそうになったので、私は俯いて彼女の匂いを感じながら目をつぶった。

 

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