第40話 紗夜の笑顔が増えますように――。かな
いつから意識があったか分からないけど、ぼやぼやとしていた視界が安定してきた。
目の前に谷口さんの胸がある。別にだからってどうもしないけれど、見過ぎたらまたおちょくられそうなので、少し上を見上げた。
谷口さんは既に起きていて、予想通りニコニコしている。
「朝から人の顔見て笑うとか失礼じゃないですか?」
「これはにやけているんだよ」
「なんで朝からそんな変態なんですか」
「紗夜の寝顔って天使だよね」
「意味わかんないです」
冬の朝は寒くて布団の外に出たくない。しかし、彼女の隣にこれ以上居たくないので、心地いい布団から出ようとするとすぐに阻まれた。
「寒いから出ないで」
「谷口さんは布団の中いればいいじゃないですか」
「せっかく暖かいんだからもう少しこうしてて」
寝起きの顔の彼女はむすっとして私の体を抱き寄せてくる。ほんとは蹴って彼女をベッドから落としたかったけれど、今日は寒いから彼女のことを許すことにした。
「改めて、今年もよろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
谷口さんの家にはいつまで居ていいのだろう。
二週間後に受験が控えていて、よっぽど失敗しない限りは行きたい大学に行ける予定だ。
義父と母は大学は好きに行っていいし、生活に困らないくらいの仕送りをすると言っていたので、大学では一人暮らしになる予定だ。だから、三月までは谷口さんと一緒に居ていいのだと思う。
しかし、「今年もよろしく」と言った以上、今年が終わるまで、よろしくして欲しいものだと思った。
「紗夜って大学県内?」
「……県内です」
「そっか。受験頑張りなね?」
私の考えていたことが漏れていたのかと思うほど、タイミングよく大学の話をしてきたので、焦りを悟らないように受け答えをした。
谷口さんは能天気に頑張れと言っているが、人の邪魔をするのによく言えたものだと思う。そして、私も素直に感謝すればいいのに素直になれず、かわいくない返答をしてしまう。
「頑張らなくても受かるくらいの所なので大丈夫です」
「その慢心が痛い目見るよ」
「そうですね」
それだけか、と何かを少しだけ期待していた私の思いを見えないところに投げ捨てる。高校卒業後の話に彼女は触れてこなかった。
「そろそろ起きないとね。でも、せっかくなぁ……」
「どうかしたんですか?」
「紗夜とこうやって寝れることなかなかないから離したくないなと思った」
いつの間にか谷口さんの腕は私に回っていて、私は彼女に捕まっている。逃げようとしても逃げられなくなっていた。
「離してください」
「いやだよ。せっかく捕まえたんだから」
私が谷口さんの腕を強く掴もうとすると、体がぎゅっと抱き寄せられて身動きが取れなくなる。そして、息が苦しくなるほど抱きしめられていた。
「谷口さん苦しい……」
「たまには仕返し」
「私、何もしてないです」
「いつも痛いことしてくる」
「……してないです」
彼女は本気で私を潰す勢いで抱きしめるので、彼女の背中に手を回して、綺麗な髪を引っ張った。谷口さんからは力が抜けて、私は彼女の腕と熱から解放される。
「ほら。すぐそういうことする」
「谷口さんが悪いです」
谷口さんは「やれやれ」と言って少し悲しそうな顔をしながら布団から出ていた。
「紗夜! 初詣行くよ!」
「は、はい……」
今のことなんか無かったような切り替えの速さで、私はついていけなくなってしまう。谷口さんはすごい勢いで準備を始めていた。なぜか、それに負けないようにと自分も急いで準備を始める。
まだ寝起きのおぼつかない足で一階に降りていくと叔母さんたちはすでに準備ができていて、みんなでご飯を食べて初詣に行くことになった。
「紗夜、手繋ごうよ」
「嫌です」
「小さい頃はよく繋いでくれたじゃん」
「覚えてません」
叔母さんも居るのによくそんな恥ずかしいことがスラスラ言えるなと思った。叔母さんは微笑んでいるだけで何も言ってくれない。
私はもう子供じゃない。
昔のような扱いをするのはやめて欲しい。
谷口さんは私と手を繋ぐことを諦めると叔父さんと叔母さんと楽しそうに会話している。
そんな様子を見て家族ってこんな感じなんだ、とぼんやりその光景を見つめていた。
「紗夜ちゃん、ほんとごめんねー」
「いえいえ。こちらこそ、お邪魔してごめんなさい」
「紗夜、毎年おいでよ」
その言葉に胃の上の辺りが締め付けれれる感覚に襲われる。毎年? そんなの迷惑に決まっている。
たしかに叔母さんは私のお母さんのお姉ちゃんで、谷口さんは従姉妹かもしれないけれど、さすがに従姉妹の家庭に迷惑をかけるほど私は図々しくない。私は谷口さんの優しさを無視して歩き続けた。
初詣で向かった神社は階段が多くて、上に到達するまでにかなり登らなければいけない。呼吸は一定に繰り返しているはずなのに、心音が聞こえ始めて呼吸が速くなる。
階段を登り終えるとトクトクと音が鳴り止まなくなった。しかし、呼吸を乱しているのはかっこ悪いと思ったのでつい息を止めてしまう。
叔母さんと叔父さんはまだまだ遠くにいて、先に行ってていいよと手を振っている。
「強がってるでしょ」
隣の女性は巻いているマフラーを体から剥がしながらふーふーと白い息を吐いている。
なんでこの人は私のことがわかるのだろう。私は自分の思っていることが顔に書いてあるのだろうか。
「若いので疲れてません」
「うわぁ、そうやって私を馬鹿にするんだ」
「七つも上ですもんね。精神年齢は十五歳くらいですけど」
「失礼過ぎる。素敵な女性じゃん」
「どこがですか」
目を合わせると谷口さんが吹き出して笑うのでつられて笑ってしまいそうになる。私は笑いをこらえていつもの表情を作った。
「ただの初詣なのに楽しいな。久しぶりに家族とゆっくり過ごせたし」
「そうなんですね」
「谷口家に混ざって年末を過ごしたのは紗夜が初めてですな」
小さい頃、私によくしてくれたみたいに頭を撫でてきた。
いつも私より身長の高い彼女に上から見下ろされて、子供扱いされる。私も身長が欲しい。そうすれば、もう少し子供扱いされず、逆に私が谷口さんを子供扱いできるだろうか。
そんなやり取りを彼女としていると、叔父さんと叔母さんがぜーぜーしながら私たちと合流した。
そのまま、みんなで前に進んだ。
後ろでは叔父さんと叔母さんが仲睦まじく話している。
「叔父さんと叔母さんってとても素敵な人ですよね」
「ほんと、親ばかならぬ子ばかかもしれないけど、素敵な両親だよ」
私の父と母も素敵な人だった。あんなに小さい頃のことなのに未だに覚えているからきっとそうなのだと思う。父が生きていたら、今の谷口家みたいな感じだったのかなと夢想を頭の中で描いてしてしまう。
そんな思いを馳せていると参拝列の順番が来た。
「紗夜はなにお願いするの?」
「教えません」
「えー教えられないことなの? 合格しますようにとかじゃないの?」
たしかに、そう答えればよかった。
私はそうじゃないことをお願いしようと思っていた。また、谷口さんにいたずらされる要因を自分で作ってしまったことに後悔する。
一歩前に出て大きすぎる本坪鈴を鳴らして手を合わせた。
『谷口家がこれからも幸せでありますように』
昨日、今日と谷口家からたくさんの幸せを分けてもらった。そして、もしかしたら自分の家族もこういう未来があったかもしれないと綺麗な幻想を見せてくれた。だから、そのお礼じゃないけれど、この人たちの幸せがずっと続いて欲しい。そう思えた。
「随分長かったね?」
「谷口さんは何お願いしたんですか?」
「紗夜の笑顔が増えますように――。かな」
その言葉に一気に顔に熱が集まる。
多分、彼女は私のことをからかっているだけなのだろうけれど、嘘でもその言葉に心が喜んでしまい、私は今すぐにでもいつもの自分に戻らなければいけないと思った。
「私のことなんて関係ないじゃないですか」
「関係あるよ」
普段ふざけているくせに谷口さんはやたら真剣な顔をしていた。こういう時に真剣な顔をする彼女の心境がよくわからないし、いつもみたいにおどけていて欲しい。
私は今日何回目かの無視をかまして彼女をその場に置いていった。
しかし、なんでそう願ったのか理由は聞いてもよかったのかもしれない。
まだまだ未熟だった私にはその時に彼女がなぜそう願ったのか、その答えを聞けるほどの余裕はなかった。
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