第41話 これは本命ってことでいい?
「はい、今日の分」
私は両手を下の方で広げて待ち構える。
「はい……」
紗夜は嫌々そうだけど、私の胸の中にそっと収まってくれた。
私は彼女の症状を治すということを理由にこうやって彼女に触れている。しかし、これは彼女の症状が治るまでという期限付きだ。
私は無意識に紗夜を抱きしめる腕に力が入っていた。
「谷口さん……?」
「あ、ごめんごめん」
彼女の背中を撫で下ろす。
こうやって一日に一回、私と距離が近くなることに慣れることで、彼女が女性に対する恐怖心を少しでも軽減出来ればと始めたことだ。
下心は無い。
無いはずなのに上目遣いで私を見てくる彼女に対して、良くない感情が時々湧き上がる。
これだから美人は罪だと思う。
「はい、終わり。症状良くなってたりするの?」
「はい……」
彼女にどうなったか聞いてもいつも答えは曖昧だ。「もう治った」と口にされれば紗夜がこの家にいる理由も私が彼女をここに留める理由もなくなる。
砂で作るお城よりも脆い関係であると思う。ただ、水がかかったり風が吹いたりしなければ壊れはしない。だから私は極力壊れるきっかけを作らないようにしている。
もっと早く治す方法はあるはずだ。それなのに最近はこうやって紗夜を抱きしめるだけで終わりにしている。
私は食卓の椅子に腰かけ、ソファーに座ってテレビを見る彼女に話しかけた。
「受験どうだったの?」
「まあまあです」
先程と同様、曖昧な答えだ。ちゃんと問い詰めてもいいのだが、しつこく聞きすぎて嫌だと思われるのが怖くて踏み出せない。
私はいつからこんなに臆病になってしまったのだろう。
「県外に行く可能性ってあるの?」
「ないですけど……?」
「そっかぁ」
その言葉に少しほっとしてしまう。
この関係が終わってしまっても、紗夜は同じ県内にいるらしい。それなら会える可能性はあるわけだ。しかし、今の私たちは「会いたい」と言って会える関係だろうか?
きっと、連絡も取らず数年会わないような距離感になると思う。
「合格発表いつ?」
「三月の上旬です」
「どうなったか教えてね」
「はい」
相変わらず彼女の答えは淡々としていた。
紗夜とは会話をしていると言うより問題に対する回答をもらっている感じで、会話が弾むことは少ない。
もっと普通に話したいと思っているのは私だけでなかなか行き詰まりを感じているが、ここで辞めてしまえば前に進むこともないので、私は会話を終わらせなかった。
「合格したらお祝いパーティーだね」
「別にそんなのしなくていいです」
なんでもいいから彼女と仲良くなれるきっかけが欲しかった。しかし、私の気持ちは簡単に退けられる。
紗夜はテレビを見たままこちらを見てくれない。いつも私があげたブランケットを羽織っている。私があげたものを大切にしてくれているのか、ただ寒がりなのかもよく分からない。
紗夜のことで頭がいっぱいになっていると、少しだけ彼女に変化があった。
もふもふのブランケットにくるまった猫の背中がもぞりと動く。
「谷口さん……」
「どうしたの?」
「…………なんでもないです」
ここからでは彼女の顔が見えなくて、今どんな顔をしているのかわからない。紗夜は声のトーンがいつも同じだから声色から彼女の気持ちを探ることはかなり難しいだろう。
私はソファーの方に移動して紗夜の横に座った。
「紗夜、どうしたの?」
「…………」
無言が続くので強引に聞き出してもいいのだが、それは納得いかなかった。ちゃんと彼女から説明して欲しい。いつも私が強引に振り回して、紗夜という人間がどういう人間なのか引きずり出している。
たまには自分から殻の外に出てきて欲しい。ヤドカリですら一つ殻には定住せず自分の形に合わせて次の殻を探す。紗夜は今着ている殻を抜け出して新しい殻に移るべきだ。
そして、私はその移ろうとする時の丸腰の彼女を絶対に見逃したりはしない。だから、こうやって出てきそうな時に彼女の近くで待ち構えて、今か今かとタイミングを伺っている。
私はどんなに無言の時間が続いても彼女が嫌そうでもソファーから立ち上がらなかった。そして、紗夜も同じくソファーに座ったまま動かないでいる。
どちらが先に動くか我慢比べが始まってしまった。
「――私が治るまで一緒に居てくれるんですよね?」
「もちろん」
「大学生になってもですか?」
それは私が今一番聞きたい言葉だった。絶対にここで待ち伏せしていたことは正解だったと数分前の自分を褒め讃えたい。
無理に聞かず彼女を待って正解だった。
「あたりまえでしょ?」
「それは、ここに居てもいいってことですか……?」
今、彼女を見つめてしまうときっと逃げ出してしまう。だから、私は気づかれないように横目で様子を伺っていた。
ソファーの上で足を抱えたままブランケットに丸められている。顔はよく見えない。ただ、私には見られたくないのだろうと伝わるくらいこちらは絶対に見てはくれなかった。
どんな顔をしていても私の答えは変わらない。ただ、どんな顔でそんなことを言っているのか気になった。そんな自分の欲望を無視して彼女に答える。
「――大学卒業するまでここに住みなよ」
彼女の症状が治るのが早いか、大学生が終わるのが早いかわからない。ただ、どちらにせよ彼女を少しでも長くこの家に縛っておけるという誓約が欲しかった。
彼女がこの提案に乗ってしまえば四年間はここに住んでもらわなければいけない。最低な悪魔との契約に彼女は乗ってくるだろうか。
「症状が治るまでは住ませてください」
契約は不成立になり、私は落胆してしまう。しかし、いつ終わってもおかしくない関係は彼女が大学生になっても少しは続くらしい。今はその事実に安堵すべきだろ。
「わかった。治ったら教えてね」
「はい」
こうして私たちのぼろぼろな契約期間が少し伸びた。
「あと……これどうぞ」
小さな包みを手の上に乗せられる。何だろうと不思議そうに見ていると、紗夜はその場からいなくなろうとしたので、その腕を強く掴んでしまった。
「なにこれ?」
「今日、バレンタインなので――」
紗夜の口からそんな言葉が聞ける日が来るとは思ってもいなくて、口をあんぐり開けてしまう。
「なんですか、その間抜けな顔」
紗夜は眉間に皺を寄せながら呆れたという表情で私を見てくる。たしかに今の私は情けない。いつものように余裕のある大人のマスクを被って彼女に接するべきだ。
「これは本命ってことでいい?」
「どう考えても義理に決まってるじゃないですか。痛いので手離してください」
少しひんやりとする彼女の腕を離したくなかった。チョコを食べるまで一緒にいて欲しい。彼女からもらったものが嬉しくて、感謝の気持ちを隣で直接伝えたい。紗夜が嫌がりそうな思いで溢れていた。
腕を離さないでいると彼女の顔は曇り、もう片方の手で私の手に爪を立て始める。彼女の爪が腕の肉にくい込んで、段々と耐え難い痛みに変わっていく。しかし、それでもその手を離したくなかった。
「食べるから隣いてよ」
「今何時だと思ってるんですか? もう寝る時間ですよ?」
「それでも食べたい」
「明日にしてください」
会話は普通にしているけれども、その間も爪が沈みこんでいく。青あざになってもおかしくないくらい痛いと思う。
どうしたら彼女はここにいてくれるだろうか?
私は未だに彼女の
「離してくれないならそれ捨てますよ」
そう言って箱を奪おうとするので私は焦ってその箱を死守した。チョコを守ることに必死で腕が離れると紗夜はすぐに部屋に向かってしまい、私とチョコの入った箱がソファーの上に取り残される。
「今日、バレンタインか――」
大学生くらいからバレンタインというイベントは私の中から薄れていった。社会人になってからはもっとだ。好きな人のために作ろうなんて思わなくなった。
これは手作りではないけれど、こういう日に紗夜からなにか貰えたことが嬉しい。
明日は仕事だ。
寝なければいけないのにいつも襲って来る睡魔はどこかに出かけてしまったらしい。
ラッピングを剥がし、箱を開けた。一口サイズの既製品チョコが何個か入っており、右端の丸みを帯びたチョコを口に運んだ。
口の中に固いものが侵入してくる。最初は異物だったそれは私の舌に馴染んで、脳に甘味を伝えてきた。
「あまっ……」
こんな時間に食べたことに罪悪感が湧く。ただ、それと同時に胸に湧き上がるものがあった。
彼女は何を思って、何を考えて、私にこのチョコを渡してくれたんだろう。
別に期待している訳ではない。
ただ、理由が知りたい。
それが気まぐれでもなんでも彼女の中に私という存在が垣間見えたことが嬉しかった。
チョコは全部で十個。
一日一個ずつ食べれば、十日間は紗夜からのバレンタインを味わえるわけだ。
そんなドロッとした気持ち悪い考えが頭に浮かび、チョコが溶け終わった後も口の中で甘さを探していた。
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