第36話 練習台になってください

 クリスマス以降、紗夜とは少し仲良くなれたと思う。


 今日で私は仕事納めになり、少しばかり長い休暇に入る。紗夜と過ごす時間が多くなることが今は嬉しかった。


 もっと、彼女の引き出しを沢山開けて、彼女がどういう人間なのか垣間見たい。そんなふうに思いながら今日も仕事を進める。



「谷口さん、今日の忘年会参加しますよね?」

「はい。よろしくお願いします」

 

 仕事納めの日は毎年会社で飲み会がある。私は早く帰って子猫にご飯を作ってあげたいのだが、昨年まで忘年会に参加出来ていなかったので、今年からは職場の人達との付き合いもしっかりしたいと思っていた。


「和奏さんが参加なんて珍しいですね」


 心春はおどけた感じで話しかけてきた。少し前の私は人付き合いが悪かったので、心春がそう言うのも納得できる。


「人付き合いも大切にしたいと思いました」

「よろしいよろしい。でも、子猫ちゃんは怒らないんですか?」

 

 最近、紗夜を使って私をやたらからかってくるので、彼女は少し痛い目に合わせた方がいいかもしれない。しかし、紗夜の話ができるのは心春くらいしかいないので文句が言えないところもある。



「朝、めっちゃ不機嫌だった……」

「飲み会行くから?」

「わかんない。飲み会は結構前にあることを伝えてたから、なんであんなに不機嫌だったか分からないんだよね」

「いいねぇ。高校生に振り回される和奏も」

「たまったもんじゃないよ」


 ため息を無理やり飲み込む。


 今日起きたら挨拶をしてくれたけれど、それ以外は全部無視されてしまった。出る前に「何時に帰ってくるんですか?」と言われたので「日付を超えないように頑張る」と伝えたら、ぎょろっと睨まれて彼女は玄関を出て行った。


 たしかに一緒に暮らしてるので、そんな夜遅くに帰ってこられたら迷惑なのだろう。しかし、今日は仕事の一環なので仕方ないと思っている。なにかおいしいものでも買って、機嫌を取った方がいいだろうか。


 仕事をしている時も終わってからも紗夜のことがグルグルと頭の中を巡ったまま飲み会の時間になってしまった。



「「乾杯ー!」」

 

 乾杯の声が上がると職場の人たちはぐいぐいとビールを口に運んでいた。ここ最近、私の職場は繁忙期だったので、ここにいる人のほとんどが嬉しそうにお酒を飲んでいる。

 私もその雰囲気に合わせビールを体に飲み込ませると、体に悪そうな旨みがぐっと体中に浸透していくのを感じた。



「谷口さんが飲み会に参加するなんて珍しいですね?」

 

 隣の席に座っている数年先に入った小畑おばたさんが話しかけてきた。彼は職場内でモテモテと噂の耐えない爽やか系男子だ。話しかけられたので、彼と当たり障りのない会話をするように努めた。


「たまにはこういうのも大切だなって思いました」

「男性陣はみんな谷口さん来てくれて喜んでましたよ」

「そうなんですか?」

「はい。こういう機会でしか職場の女性とはなかなか話せないですからね」

「たしかに、仕事中話していると田中部長に怒られてしまいますからね」

 

 小さく笑うと小畑さんと笑い声が被ってしまう。私達のその様子を見ていた先輩たちがニヤニヤとこちらを見ていた。


「おー、俊太が谷口さんのこと口説いてるぞー!」

「俊太もなかなか抜かりないなぁ」

「やめてくださいよ! 谷口さんすみません……」


 小畑さんは私にぺこぺこと頭を下げている。


 私は周りになにを言われても気にしないので「頭を下げないでください」と笑顔で答えると、何も優しい要素はなかったのに「優しいですね」と言って彼は微笑んでいた。



 その後も小畑さんは横にいて、何を話したかは覚えていないけれど、ずっと話しかけられていたと思う。


 私は家にいる紗夜が何をしているのか気になって、飲み会に何も集中できなかった。いつもは数杯で酔うはずなのに、彼女のことが気になるせいでどんなにお酒を飲んでも酔うことができなくなっている。良くないものがどんどんと私の体に蓄積されていた。



「谷口さんって結構飲むタイプです?」

「いえ、普段はあんまり飲まないんですけど……」

「そうなんですね。顔真っ赤だからその辺にした方が……」


 小畑さんに心配されて初めて私は飲みすぎているということに気がついた。飲み会はほとんど小畑さんと話して終わり、みんなが解散し始める。


 時計を見ると十時半くらいだった。きっと今から帰っても紗夜は寝ているだろう。


「谷口さん、二人で二件目どうですか?」

 

 誘ってきたのは小畑さんだった。

 家に帰っても誰もいない私だったらついて行ったのかもしれない。しかし、日付を超えないようにすると紗夜に言ったので、その言葉は守りたいと思う。


「今日はもう帰ります」

「そっか。また今度食事でもどうです?」

「はい。そのうち……」


 今は早く帰りたかったので適当に受け流してその場を離れた。


 少し視界がくらくらとしながら歩いていると、後ろから肩をとんとんと叩かれる。


「和奏、めっちゃ飲んでたけど大丈夫?」

「大丈夫」

 

 どちらかと言えば大丈夫じゃないかもしれない。今更お酒の酔いが回ってきて、少し具合が悪いなんて恥ずかしくて言えなかった。


「途中まで送るよ」


 心春は私を心配そうに見て、手を引いてくれた。いつも心春には迷惑をかけてばかりなのでしっかりしなければと思い、真っ直ぐ歩くように努める。しかし、私の体はいうことを聞いてくれないらしい。


「そんなんじゃ、猫ちゃんに引っかかれるよ」

「なんで?」

「酒くさい人嫌いそうじゃんあの子」

 

 紗夜は酒くさくなくても女性が嫌いだ。ましてや、私なんて症状を治すという理由で彼女に変なことしかしていない。もっと嫌われているだろう。


「もう嫌われてるから大丈夫」

 

 自分で言っていて少し悲しくなってしまう。そんな惨めな私を心春はニヤニヤと見ていた。なにも面白いことを言っていないのに心春はいつも楽しそうだ。


「今度、紗夜ちゃんと話す機会ちょうだいよ」

「なんで?」

 

 かなり低いトーンで話していたと思う。心春が紗夜と話したい理由が何も思い浮かばなかったし、話して欲しくないと思う自分もいた。


「かわいいからかな」

「じゃあ、だめ」

「冗談冗談。和奏さん、だいぶ溺愛してますね? 紗夜ちゃんに色々聞いてみたいだけなんだけど」

 

 心春の言っていることが全く理解できないことが時々ある。私は溺愛なんかしていない。ただ、心春が紗夜と話す必要は無いし、なんか心春の方が紗夜と仲良くなりそうなのでそれが嫌だった。


「紗夜が心春のこと嫌だと思う」

 

 そんなことは紗夜が決めることで私が勝手に言っていいことではないけれど、今はお酒のせいで頭が働いていなくて、ただただ紗夜から心春を遠ざけようとしていた。


「たしかにこの間は噛みつかれそうだったからね」

 

 噛みつかれる? 私が風邪の時に二人はそんなことをしていたのか? 紗夜は誰にでも私にしているみたいに噛みつくのだろうか? あれは私だけだと思っていた。そんなことが気になって少しずつ理性が戻ってくる。


「まあ、考えといて」


 そんな話をしている間に家についていた。私はモヤモヤと胸に違和感を抱えたままここまで送ってくれた彼女にお礼を伝える。


「送ってくれてありがとう」

「引っかかれないように気をつけなね」

 

 心春はにししと笑って帰って行ってしまった。紗夜はもう寝てるからそんな心配は必要ないと思いながら鍵を開けて部屋に入ると衝撃的な光景を目にする。紗夜がソファーの上でブランケットにくるまって横になっていた。


 彼女の顔を覗き込むと眉間に皺を寄せながら寝ていて、しばらくは目を開けなさそうだった。


 彼女の睡眠を邪魔してはいけないと分かっているけれども、体が勝手に動く。お酒を飲み過ぎたせいだ。でも、お酒を飲み過ぎた原因は彼女にもあるからどちらも悪いと思う。


 寝ている彼女の顔に近づくと紗夜がゆっくりと目を開けたので、焦って少しだけ距離を取った。


「谷口さん、お酒くさい」

「ごめんっ……」


 謝っている途中で紗夜に腕を引かれてそのままソファーに押し倒されてしまう。お酒が一気に頭に巡り視界がグラグラとした。目の前には寝ている時よりも眉間に力の入った少女がいる。


「楽しかったですか?」

「うん?」

「じゃあ、練習台になってください」

「へ……?」

 

 練習台? なんの? と思っていると紗夜が私の首の辺りに近づいていて何かをしている。


 痛い。痛すぎる。


 お酒で酔っていてもこんなに痛いなんて、お酒が入っていない体ならば激痛だろう。



「さよ、なにしてるの?」

「大人しくしててください」

 

 彼女のしている行為に思い当たる節があって聞かずにはいられなかった。


「ねえ、キスマーク付けようとしてる?」

「大人しくしてって言いましたよね?」

 

 そのまま私の首筋を指でなぞられる。その行動に私の体はどくどくと熱を帯びていく。


 なぜ練習台にならなければいけないのかわからないし、そもそも、紗夜のしているのはキスマークを付けると言うより、噛みついているだけだ。

 

「ただ、噛めばいいってもんじゃないよ」

 

 私は起き上がり彼女のボタンを胸元が見えるくらいまで開けた。紗夜はすごい嫌そうな顔をしていたし、抵抗しようとしていたから、今からすることは彼女が嫌がることだってわかっている。ただ、今はそんなことを考えられるほど私の頭は働いていなかった。



 彼女の鎖骨の辺りを舌で撫でると彼女の体がビクッと反応する。最初に変なことをしてきた紗夜が悪い。私はそのまま舌で濡らした鎖骨に唇を押し当て、じりじりとした痛みを与えた。彼女の白い肌に一箇所だけ現れた赤い印を見ていると、肩を押され、鋭い目つきで睨まれる。



「最低ですね。お酒くさいし嫌いです」

「お酒くさくなかったら嫌いじゃないの?」

「お酒くさくなくても嫌い」

 

 分かってはいたけれど、その言葉に胸がズキズキと痛み、喉に矢でも刺さったのかと思うほど声が出せなくなった。


 高校生に嫌われようが別にいいと思う。ただ、何となく紗夜は私のことを特別に思ってるんじゃないかなと自惚れてたから自分のプライドをズタズタにされた気分だ。



 紗夜は嫌になってどこかに行くと思ったが、私を使って練習するのをやめなかった。私はシャツのボタンが下着が簡単に見えてしまうくらい外されている。さっきの痛みとは違い、熱のこもったちりちりとした痛みが鎖骨と首筋に広がる。


 彼女の行動も言葉も訳が分からない。


 紗夜はいつの間にか私の前から居なくなっていて、お酒の酔いが醒めた私のみが部屋に残された。

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