第72話 それ、ずるいですよ……
「紗夜と紬、明日うちの家泊まりおいでよ」
「えっ?」
親友が急にびっくりすることを言い出した。いや、別に驚くことではない。
最近、楓は一人暮らしを始めたらしい。実家は県内だが、一人暮らしがしたいと両親にお願いして大学の近くに家を借りている。
「引越しも落ち着いたし、人呼べるくらい家綺麗にしたから、二人に来て欲しいな」
「めっちゃ申し訳ないけど、明日バイトなんだ。二人で楽しんで!」
大学生から仲良くなった紬ちゃんは両手を合わせて楓にぺこりとしていた。「また今度!」と楓は少し悲しそうに受け答えしていた。
「紗夜は?」
「いいの?」
「もちろん! 楽しみしてるね!」
「うん」
明日はバイトもないし、次の日は学校が休みだからちょうどいいのかもしれない。
楓は大学生らしくなく、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。一人暮らしはきっと心細いのだろう。
今日の夜、谷口さんに伝えなければと思いつつ、私はそのまま少しぼーっとしながら授業を受けた。
※※※
家に着くとまだ谷口さんは帰っていなかったので、私は彼女が帰ってくる前にベランダに出て花たちに挨拶をする。
「ただいま」
「おかえり!」
前までは幻聴だと思っていたけれど、それはハッキリと聞こえるようになった気がする。
谷口さんにとても大切にされているこの
水をあげすぎてはいけない。
適度な量が大切。
谷口さんに教えてもらったことだ。
植物を育てることは、まるで人間関係のようだと思っている。
私は真由が受け取れないくらいの愛を渡してしまったのかもしれないし、何かやり方を間違えていたのかもしれない。
もちろん、ひどいことを言われたのに間違いはないのだろうけれど、私も少しだけ自分のことを見直す必要はあるのかもしれないと思えるようになったのだ。
そろそろ谷口さんが帰ってくる時間なのでベランダからリビングに移動し、彼女を待ち構えることにした。
少しすると、いつも通り谷口さんが家に帰ってきてくれて、ご飯が出てきて、谷口さんは目の前で嬉しそうに食事をしている。
「谷口さん、明日夜ご飯大丈夫です」
「なんで? バイトないよね?」
嬉しそうだった顔は一気に眉間に皺が寄り、曇った顔をしていた。
「友達の家に泊まりに行きます」
「なんで?」
なんでと言われても、誘われたから以外に理由はない……。そう考えている間も谷口さんの顔は険しくなっていた。
ご飯を一緒に食べられない日に谷口さんは相当いじけるが、今回も案の定いじけてしまったようだ。
「誘われたので行きます。明後日の夕方には帰ってきます」
「そう……」
珍しく谷口さんが何も言わなくなり、部屋には時計の針の音のみ広がった。
たぶん、またなにか「いうことを聞け」と言われる気がする。バイトの時はキスをしろと言われる。同じことを言われそうだと思ったのだ。
「お風呂上がったら話あるからソファーに来てね」
ほら……やはり何かを要求される。
そのことが嫌なはずなのに受け入れてしまう自分はもっと嫌だと思った。
私たちはご飯を食べ、お風呂に入り、狭いソファーに集合する。
「話ってなんですか?」
「明日行ってもいいからこれ付けて行って」
谷口さんがこれと言うのは彼女の左足に付いている私があげたアンクレットだ。
なんだ、それだけかと思った。
「いいですよ」
いいですと言ったものの、何故アンクレットをつける必要があるのだろうか?
そんな私の疑問は解消されず、状況は進んでいく。
谷口さんは自分の足からチェーンを外して、そのまま私の前にしゃがみこみ、私の足に手を伸ばす。
聞きたいことを先に聞いておくことにした。
「なんでアンクレットですか?」
「紗夜が私のこと忘れないように」
こんなのが無くても、私は彼女のことを忘れるわけがない。こんなにお世話になっていて、そんなはずもないのに、彼女はわけのわからないことを言う。
谷口さんの手はそのまま私の足に伸びてくる。
ぴとりと彼女の少し冷たい手が足に触れ、体がぴくりと反応してしまう。
彼女は私の左足にチェーンをかけた。
そのまま、私の足を持ち上げアンクレットにキスを落とす。
「何してるんですか」
「紗夜が私のことを忘れないようにおまじない」
本当にさっきからわけがわからない。
なんのおまじないなのかわからないし、私があげたものを私の足につける意味もわからない。
谷口さんが手と唇で触れた部分が熱くなっていき、これ以上ここに居たくないと思った。
しかし、足に着いたアンクレットが私の行動を縛る。軽くて付けているか分からないくらいのアクセサリーのはずなのに、私は片足に三十キロくらいの重りが付いたんじゃないかと思うくらいの窮屈感に見舞われていた。
彼女のせいだ。
彼女が馬鹿みたいに変なことを言うせいだ。
「谷口さんってばかですよね」
「紗夜、今日の分しよ」
いつも大切な時に私の気持ちを無視して、話を逸らす谷口さんはガバーッと両手を広げていた。
なんでここで今日の分もしなければいけないのか……。
「そんな嫌そうな顔しないでよ。傷つく」
「じゃあ、こんな行為するのにどんな顔すればいいんですか」
「こう」
谷口さんは広げていた両手を私の顔の前に持ってきた。その両手に私の頬は摘まれ、無理やり口角を上に挙げられる。
見えないけれど、絶対に私の今の顔はかわいくない。そんな顔を見られたくなかった。
かわいくない顔をさせられた上に、その顔を見た谷口さんにイラつき、頬に添えられる手に噛み付こうとしたら瞬時に避けられてしまう。
「ふふ、何度も同じ攻撃は喰らわないよ」
谷口さんの自信満々な顔にイライラしてしまう。私はすぐに谷口さんの脇腹を爪を立ててつねった。
「いたい。絶対あおたんなるよこれ」
谷口さんは本気で痛そうにお腹を抑えている。自業自得だ。彼女のせいで私は虫の居所がとても悪い。
足に鎖みたいに重いチェーンがついているのと、谷口さんのせいで機嫌が悪いのとで体の外も内も機嫌が悪くなっていた。
「今日の分はなしで」
私が症状を治すために始めたこの行為を私の都合で勝手になしにする。そんなのはルール違反だとわかっているけれども、今は自分の中の感情に整理がつけられなかった。
この狭くはない家に谷口さんと二人。今はそれが偉く嫌に感じてしまう。
「それ、ずるくない?」
谷口さんは相変わらず私がつねった脇腹をなでていた。加減はしなかったのでたぶん相当痛かったのだろう。
ずるいってなんだ……。
ずるいもなにも彼女は私のために行動してくれているだけで、本当はこんなことしたくないのではないのだろうか。
谷口さんはたまにわけのわからないことを言う。
「もう寝ます」
私は自分の部屋に向かおうとすると、動きを止められた。谷口さんが私を後ろからぎゅっと抱きしめている。
「離してください」
「明日帰ってこないんでしょ?」
「はい」
「寂しい――」
その言葉を聞いて、私の胸には棘のついた植物が巻きついた気分になった。
「それ、ずるいですよ……」
「ずるい……?」
耳元に聞こえる声は弱々しかった。さっきまで、勝ちを誇っていた顔していたくせに急に弱くなる。
だから、私は正面を向いて彼女の腕の中に収まることにした。
「明日の分ももっと……」
谷口さんはいつもより強い力で抱きしめてきた。嫌なはずなのに苦しいはずなのに、今はこのままでもいいかななんて思った。
谷口さんはその後もしばらく離してくれなくて次の日寝不足になった。
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