第71話 私にくれるんじゃないんですか?
「紗夜ちゃん、そこのお肉取ってもらっていい?」
「はい」
「ありがとね。和奏、あんたぼーっとし過ぎじゃない」
「普通だよ」
紗夜は大人しく心春のいうことを聞いている。ただそれだけの事なのに、私は虫の居所が悪い。
心春にバーベキューを三人でしようと誘われて、断ろうと思ったけれど心春に借りがあるため断れなかった。
紗夜は楽しいとも楽しくないとも感じられる微妙な顔をしている。
私は渋々心春の指示通り動くことにした。
心春はこの手のイベントになれているのか、次々と私たちが食べる食材が調理され、お皿に食材が並んでいく。
「心春さんって結構バーベキューとかするんですか?」
「友達とはあんまりしないけど、家族がそういう人種の人たちだからね。今日は和奏と紗夜ちゃんとバーベキュー出来て嬉しいよ」
ニッという表情で心春は笑っている。
それを見た紗夜は少し微笑んでいる気がした。
そして、その光景を見た私の口の端と端が下に向いていた。
何も面白くない。
それでもこの場では笑顔を作らなければいけない。それは得意だ。だから、呼吸を整えて私は笑顔を作る。
私はいつもどおりの表情で具材を焼いていると、うちの猫が近づいてきて、心春には聞こえないような声で話しかけてくる。
「谷口さん、バーベキュー嫌いだったりします?」
「どうして?」
「楽しくなさそうだったので……」
この子は何故か私が嘘をつくとすぐに気がつくし、作った表情をものともせず、感情を読んでくる。
正直、怖い。
ここまでバレているともう嘘は付けなさそうだ。
「紗夜が心春と仲良いからむかついてた」
言ってしまってから私は自分の失言に反省する。
紗夜が誰と仲良くしたってそれは彼女の自由だし、彼女の自由を見てイラつくなんて最低だ。
しかし、納得できないことだってある。
私はあんなにも時間をかけて紗夜と普通に話せるようになったのに、心春は少し会っただけで、あんなに仲良くなれるなんて不平等だ。
自分が最低なんてわかっている。
ただ、少しだけでいいからこの気持ちが伝わればいいと思った。
「何言ってるんですか。そんな冗談いいから楽しみましょう?」
紗夜は本気で呆れたみたいな顔で私を見ている。きっと、私の思いなんて一欠片も伝わっていないなだろう。私はただ理由もなく機嫌が悪い人になってしまったわけだ。
心春が焼いてくれた熱々の野菜やお肉にタレをつけて口に放り込む。
猫舌なくせに、冷ましもしないで口に入れたから口の中は大惨事だ。しかし、そんなことがどうでもよくなるくらい、目の前の光景が見ていられなかったらしい。
「紗夜ちゃん、玉ねぎとナス嫌いでしょ?」
「……食べれます」
「あ、嘘ついた。じゃあ、食べてみ」
紗夜はええっという顔をして皿に乗せられた玉ねぎとナスを見ていた。
「あはは、ほんと面白いね紗夜ちゃん。和奏さん、ちゃんと紗夜ちゃんが好き嫌いしないように面倒見てあげないとだめだよ」
「わかってるよ」
私にしては感情むき出しの返事で、心春は驚いた顔をしていた。そのことに少しだけ心苦しくなる。
しかし、自分の気持ちを抑えることなんてできなかった。
紗夜が玉ねぎとナスが嫌いなんて知らない。今までお弁当の具材にいっぱい入れていた野菜だ。
それでも紗夜は残さず食べていた。
嫌いなのに無理をして食べていたのだろうか?
なんで嫌だと教えてくれなかったのだろう?
あることないこと悪いことが頭に浮かび、気分はどんどん下がっていく。
こんな私の様子をおかしく思ったのか、紗夜が隣に座ってきた。
「谷口さんもお肉ばっかりじゃないですか。これ食べてください」
紗夜は私のお皿に玉ねぎを乗せてくる。
「自分が食べたくないだけでしょ」
「バレました?」
うげーという顔をしながらも、ちゃんとナスは食べていた。
そんなコロコロ表情の変わる子だっただろうかと思いながら、紗夜がもぐもぐと咀嚼する様子を眺める。
「紗夜……」
「はい?」
「好きな食べ物も嫌いな食べ物もちゃんと教えて」
「なんでですか?」
紗夜はさっき私のお皿の上に乗せた玉ねぎを結局、自分の口に入れ込んで食べていた。
「今までお弁当とか嫌いなもの食べさせてたかなって……」
ごめん――。
そう言いたかったけれど、その言葉は出なかった。
彼女にお弁当を作ることは私のお節介で、彼女は迷惑していたかもしれないと思うと喉が苦しくなる。
「谷口さんの料理は……」
「ん?」
「嫌いなものとかない。全部好きです――」
「えっ?」
紗夜は沢山玉ねぎを詰め込んで、目は涙目になっていた。そこに更にタレをつけたお肉を頬ばってごくんと流し込んでいる。
私の聞き間違えだろうか。
そんな嬉しい言葉が聞けるとは思っていなかった。こんなことを聞けたのも、心春が開催したバーベキューのおかげだと思うと少しだけ腹立たしい。
夏の日差しが暑い中、唯一の木陰を見つけてその近くで私たちはバーベキューをしていた。
心春はこんな暑い中、私たちのために焼くのを頑張ってくれている。
彼女は汗まみれになって、メイクはほとんど崩れていた。それなのに何故か清々しく綺麗に見える。
一方で私は何も崩れていない。ただ、私の心はボロボロに崩れ、醜く、見るに堪えない物になっていた。
これ以上、崩れないように自分の出来ることを探し始める。
「心春、交代しよ」
私は彼女の首に冷やしておいたビールを当てて、トングを彼女から奪った。
「いいの?」
「ごめんね。ずっと一人で色々させて」
「どしたの急に大人しくなって」
「いいから。これ全部焼き終わったら私もお酒飲む」
「じゃあ、待ってるね」
心春は木陰の方に行って、お酒を飲みながら紗夜と二人で話していた。
さっきまではその光景を見たくなかったはずなのに、今は自分の中で落ち着いている。
「はぁ……」
自分のこのくだらない感情が嫌になり、ため息がこぼれる。
肉はぶくぶくと油と水分を出しながら色は変わっていき、野菜たちは焦げ茶色になっていく。いい頃合でお皿に乗せて、彼女たちの元へ運ぼうとすると、紗夜がこちらに向かってきた。
「谷口さん、私も手伝います」
「大丈夫。あっち行ってて」
今、紗夜にこっちに来て欲しくなかった。
鉄板から出る湯気のせいで、メイクは崩れ、汗まみれで、一つにまとめたポニーテールから汗が滴る。
こんな妖怪みたいな私を見て欲しくない。
今の私は心だけではなく容姿まで醜い。
そんな自分は紗夜に見られたくない。
いつからそう強く思うようになったのだろう。
紗夜が家に来た時はどんなに惨めでもなんでもいいから彼女に近づきたいと思っていたのに、今はその逆で、惨めな姿を見られるくらいなら近づいて欲しくないと思う。
私の気持ちを汲み取ってくれたのか、紗夜は素直に離れてくれた。
良かった。
今の自分は自分で見たくないくらい酷いだろう。
そう油断していると、ぴたっと私の首元に冷たいものが当たる。勢いよく振り返ると笑顔の紗夜がいた。紗夜はビールの缶を私の首に当てていたらしい。
すっと冷たいものが首から離れると、ビールの汗と私の汗が混ざって首の辺りは生ぬるくなる。
紗夜には似つかわしくない缶が手に握らていた。
「ビール似合わないね」
「まだ飲めないですから」
ニコッと笑ってタオルとビールを差し出した後に私を木陰の方に押してきた。
「あとは盛りつけるだけですよね? 私でもできます」
いつからこの子はこんな風になったのだろう。ずっと一緒に居たはずなのに気が付かなかった。
私の家に来た時は、捨てられて人を信じられなくて、すぐに爪を立てるような猫だったはずだ。今はすっかり人に飼い慣らされて、店番までできるくらいお利口さんの猫になっている。
私は店番猫に盛り付けを任せて、心春のもとに向かった。
ぷしゅっ、といい音を立てながら缶を開くと黄白色の液体が溢れ出すので、急いで口に運んだ。
「和奏、乾杯」
心春は笑顔で缶ビールを向けてくる。
ほんとお気楽天然ちゃんには困らせられる。いや、彼女は全部計算の上で動いているのかもしれない。
私は心春との付き合いが長いのに未だに彼女のことがよく分からない。もっと、心春のことを知る努力もするべきだろうと思った。
珍しく私たちは会話が弾まなくてどちらもお酒がグイグイと進む。
何を思ったのか、心春がニヤニヤとしながら話始めた。
「紗夜ちゃん、変わったよね」
心春に何がわかるんだと思う。
ただ、少ししか会っていない彼女がそう感じるということは、よっぽど変化があったのだろう。
「そうだね……」
「そんな嫉妬心むき出しにしないでよ。取ったりしないよ」
「嫉妬なんてしてない」
そんなのしてない。しているわけがない。
「紗夜ちゃんなんであんなに変わったと思う?」
「大学生になったからじゃない」
紗夜は大学生になって、バイトを始めてからかなり変わったと思う。その事が嬉しくもあるが、殻に閉じ込めて置けばよかったと負の感情を持つ自分もいる。
「私は和奏のおかげだと思うな」
「そんなわけないでしょ」
私は紗夜の弱いところに漬け込んで、彼女が私の家に住むようにしているだけだ。
別に何もしていない――。
「和奏って昔から不器用だよね」
ふふっと笑いながら隣の女性は頬を赤らめている。何が面白いのか分からない。
私はさっき紗夜からもらったタオルで顔を吹きながらビールをグイグイと体に流し込んでいた。
私と心春の間には、また、沈黙の時間が流れる。少しすると、「御手洗行ってくるね」と心春はフラフラしながら歩き始める。私はその背中を見つめていた。
「谷口さん、どうぞ」
「ありがとう」
どうやら、お利口な猫が帰ってきたようだ。紗夜の持ってきたお皿には、私が焼いた具材たちが綺麗に盛り付けされている。
紗夜はそのまま私の横に腰掛けたきた。
「紗夜、玉ねぎあげるよ」
「もういいです」
「大人だったら食べれるよ」
「……食べます」
すごい絶望的な顔をしながらむしゃむしゃと口に入れて食べている。その光景がかわいくて微笑んでしまった。
なんでそんなに大人になりたいのか私には分からなかった。
嫌いな玉ねぎを食べ終わった紗夜は草むらに目を移している。「あっ……」という声を上げて、紗夜は急に地面に手を伸ばし、プチッと草を
「これ、谷口さんにあげます」
彼女の手に握られていたのは四つ葉のクローバーだった。
「すごい。見つけたの? 紗夜が持っときなよ。幸せなれるよ」
「それなら谷口さんにあげます」
ぐっと渡される。
「四つ葉のクローバーの花言葉って『幸運』がよく知られてるけど、『私のものになって』って意味もあるんだよ」
私はニコニコとわざと紗夜が嫌になることを言った。正直、紗夜が私に幸せをくれるなんてこと信じられない。その照れ隠しで言ったつもりだった。
「じゃあ、持っててください」
「えっ?」
紗夜の思わぬ反応に返り討ちに遭う。彼女の顔を見つめるけれど、動揺しているのか、私の視界は揺れていた。
「四葉のクローバーってどうやって出来るか知ってますか?」
「知らない」
「踏まれるとそれが刺激になってひとつの葉がふたつに別れるから三葉が四葉になるらしいです。辛いことがあったら、幸せがちゃんと訪れるってなんかいいですよね」
ふふっと声を漏らして彼女は笑っていた。その可憐さに私は身動きが取れず、ただただ彼女を見つめる。
花言葉なんかは詳しいが、四つ葉がどうできるかまでは知らなかった。
「なんでそんなこと知ってるの……」
「ガーデニングの勉強中なので」
最近、そういう本を自分で買って読んでいるのは知っていたが、そんなことまで知っていると思わなかった。
そして、私はまた彼女から無意識に私を縛られるものを渡される。
私ばかりがこんな思いをするのはおかしいと思う。
だから、私も彼女に四つ葉のクローバーを渡したかった。
紗夜は私に“幸せになって欲しい”という理由で渡してくれたらしいが、私は“私のものになって”という意味で紗夜に渡したいと思った。
どうやら、その下心は神様に見透かされているらしく、私は四つ葉のクローバーを見つけることは出来なかった。
真剣に四つ葉のクローバーを探す様子を見て紗夜は呆れていた。
「谷口さんって変なところ子供っぽいですよね」
「うるさいなぁ。見つけるの手伝ってよ」
私はついムキになって紗夜に八つ当たりの言葉を投げてしまう。紗夜は目をぱちりと見開いていたけれど、私の横に並んで一緒に探してくれた。
「あっ……」
見つけてしまった。四つ葉のクローバー。
ただ、あんなに欲しいと思って見つけたはずなのに、私のこの気持ちを押し付けていいのかと迷いが生まれる。
紗夜が見つけたのより少し小さい四つ葉のクローバーが私の手に乗ったまま動けずにいた。
「私にくれるんじゃないんですか?」
その言葉にハッとする。紗夜は時々よく分からない発言をする。
「それ意味わかってる?」
「幸せをもらいたかっただけですよ。私は変な意味で言ってません」
にっという顔で彼女は語っていた。
私一人だけが変なことを考え、変な思いでいたらしい。それを誤魔化そうとしたわけではないが、先程の彼女の言葉を思い出して話を続ける。
「この子、素敵だね。踏まれて、痛くて、苦しかったはずなのに人に幸せを与えちゃうんだもん」
まるで、今の紗夜のようだ。
たくさんの辛い経験をして、一人になって苦しいはずなのに、もがき続け、私に沢山の幸せをくれる。
紗夜は「そうですね」と言いながら、私の手からクローバーを奪っていた。
「帰ったらこれラミネートしましょう?」
「私がラミネート持ってるのよく知ってるね」
「よくお花を嬉しそうに部屋に持って行っているの見ているので」
「えっち」
「意味わかんないです……」
「あははっ」
私はお腹の底から笑いがこぼれてしまった。
「なんて幸せそうな顔してんのっ」
お花を摘んでいた心春が戻ってきた。
紗夜と仲のいい心春は腹立たしいが、今日こうやってここに来なければ、四つ葉のクローバーを見つけることも、紗夜とこういう話をすることも出来なかっただろうから、彼女に感謝しようと思う。
「心春、バーベキュー誘ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
心春が一番幸せそうに頬を赤らめて喜んでくれていた。
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