第73話 恋人できたの?

「今日の夜何食べたい?」

「なんでもいいよ」

「私、まだ一人暮らし始めたばっかりで、作れるもの少ないんだよねぇ」

「私が作ろうか?」


 楓が信じられないという顔でバタバタと近づいてくる。顔があまりにも近くて、嫌なわけじゃないけれど、右向け右をしてしまった。


「紗夜って料理できるの?」

「少しだけ……」


 楓の反応が正しい。


 私はどっからどう見ても料理のできる人間には見えないし、きっと谷口さんと一緒に暮らさなければ、料理をするような人間ではなかっただろう。


 左足に集中してそこがどくどくと音を立て始める。


 谷口さんが余計なことをするせいで、谷口さんが余計なものをつけるせいで、私は少し彼女のことを思い出すと、彼女のことで頭がいっぱいになってしまうようになった。


「紗夜の手料理が食べられるなんて最高……私、今日死ねるかも」

「大袈裟だよ」


 楓と目が合って、つい微笑んでしまった。

 

 暑さがやっと少しずつ引いていき、まだまだ過ごしにくいものの、息はできるくらいの季節になった。


 季節の流れはあっという間で、大学生になってからもう夏が終わろうとしている。


 こんなに季節の流れは早くなかった。


 毎日、孤独に見舞われ、何かを求めるように生きてきた。


 そんな私に光をくれたのは、どうやら親友の楓でも母親でもなく、谷口さんだったらしい。


 その事実を素直に認められない自分もどこかにいた。


 今日は谷口さんには会えない。

 

 彼女と暮らし始めてから二日も会えないなんて日は初めてだ。それくらい、私は谷口さんの生活に入り込んでいたし、谷口さんもまた私の生活に入り込んでいたらしい。


 彼女にとって、たまには一人の時間があった方がいいのかもしれない。


 私がまだ未熟で何も出来ない時期に谷口さんは私を預かってくれたから、谷口さんの人生を邪魔してしまった。


 そのことに申し訳ないという気持ちと、谷口さんが自分の時間を削ってまで私といてくれたことに嬉しいと思う気持ちが混在していた。



 アンクレットのせいで、谷口さんのことばかりになって楓の話を頭半分で聞いてしまう。



 私は谷口さんに教えてもらった料理を全てスマホのメモアプリにメモっていた。それを開き、楓と買い物をする。


「紗夜、これすごい。自分で勉強したの?」


 楓は私の肩にちょこんと顎を乗せて後ろからスマホを見てくる。なんて彼女に答えるのがいいか分からなかった。


 谷口さんに教えてもらったなんて言えない。


 何が恥ずかしかったのかも何が嫌だったのかも分からないけれど、私が答えられずにいると楓は気を使って、「早く食材買ってうちの家行こう」と言ってくれた。



 楓の家は八畳の大学生女子の部屋という感じだった。谷口さんとは全然違う。谷口さんの部屋は綺麗に整えられていて、シンプルで、お花の香りのする部屋だ。

 数回しか入ったことのない谷口さんの部屋は何故か、楓の部屋より私自身の部屋よりも落ち着く場所なのだ。


 何をするにしても着いて回る、谷口さんのことを忘れるように、料理を始めることにした。


「昨日炊いたご飯とかある?」

「あるよー? 新しく炊いたら?」

「こっちの方がおいしい」


 これは谷口さんに教えてもらったことだ。チャーハンやピラフは少し水分の抜けたお米の方がパラパラとして美味しい、と。


 私はいつものようにパラパラとチャーハンを作り始め、その様子を楓は少しも動かず見ていた。


「はい、完成」

「紗夜が料理作ってるところ見れるなんて、私死ぬのかな」

「それ失礼過ぎない?」


 私たちは目が合うと吹き出しながら笑い声を漏らしてしまう。こうやって思っていることは包み隠さず言ってくれるし、私も言える。


 楓はかけがえのない存在だと改めて思った。


 目の前の女の子はリスみたいに頬張るようにチャーハンを食べていた。その反応を見て嬉しくなった。谷口さんがあんなにも私に料理を作る理由が少しだけわかった気がする。


「やっぱり、紗夜が料理作るようになったのって従姉妹のおかげ?」

「う、うん」


 楓はいつも唐突に、そして私が安心しきっている時に、すごい質問を投げてくる。


「ただの従姉妹だよね?」

「……どういうこと?」

「いや……」


 楓は珍しくいつもの笑顔が崩れ、難しいことを考えているような顔をしていた。変な雰囲気になってしまい、私は何を話していいか分からなくなっていた。



「私もそのくらい仲のいい従姉妹欲しかったなぁ」

「仲良くないよ。楓は従姉妹いないの?」

「いないよー。お姉ちゃんみたいな存在に憧れるなぁ。それよりさ、今年も夏祭り一緒に行こうよ!」

「うん」


 彼女の気遣いのおかげで、さっきの変な雰囲気はなくなり、楓はご飯を食べながら嬉しそうに会話をしていた。


「お風呂沸かしたから入ってね!」

「片付けしないと」

「それは私がやる。あ、一緒にお風呂入る?」

「それは恥ずかしいからいい」

「残念。ほらほら、入りなよ」


 楓にグッと押されて私はお風呂に向かうことにした。

 

 楓の温めてくれたお風呂が温かい。楓は今日ずっと優しい。いや、これまでずっと優しかった。

 

 そのはずなのに、なにか胸の中で引っかかる自分はなんて最低なんだろう。



「谷口さん、今何してるかな……」

 

 常に彼女のことを考えてしまうなんて、私は馬鹿だ。

 

 今日は楓との時間だ。


 楓に集中しないと失礼だ。


 私は結局そう思っても谷口さんが頭から離れず、お風呂をそのまま上がった。


 楓もお風呂から上がり、髪を乾かし終わると衝撃的な事を言われる。


「一緒に寝よ?」


 楓は恐る恐るこちらの様子を伺うように聞いてきた。その様子に心臓がどうどくと鳴り響き、破裂しそうになる。楓は何を思ってそんなことを言っているのだろう。


 そして、私はなんでこんなに変な心臓の動き方をしているのだろう。


 症状の少ない谷口さんとはこの間一緒に寝た。だから、楓と寝ることだって別に変なことじゃない。


 それなのに何故か嫌だと思っている自分がいる。別に友達と布団で一緒に寝るなんて普通のことだ。


 普通のことだろうか……?


 

「ごめんごめん。布団敷くね」


 楓は少し悲しそうに押入れの方に向かってしまう。彼女に悲しい顔をさせて申し訳ない気持ちと、一緒に寝なくてもいいという安心感とで感情が暖かくなったり冷たくなったりしていた。



 楓の敷いてくれた布団の上に体育座りしていると、その横に楓も座ってきた。


「紗夜……」

「ん?」

「紗夜、恋人できたの?」


 楓はすごい恐ろしく険しい顔で聞いてきた。急にどうしたのだろうと思う。私はそんな素振りは一度も見せていないし、恋人なんて居ないのに、何が彼女を勘違いさせたのだろう。


「できてないよ。なんでそう思ったの?」

「だって、これ……」


 楓が指さしてきたのは、谷口さんが付けてきたアンクレットだった。


「これがどうしたの……?」


 心臓は先程からどくどくと鳴り止まない。


「なんだ。意味わかんないで付けてるんだ、よかった」

「意味……?」

「うん。それ左足に着けてると“恋人います”って意味になるんだよ。まあ、アクセサリーだからそんなの気にしなくていいのかもしれないけど」


 楓はほっとした感じで、その後もいつも学校でするようなたわいもない話をしていた。しかし、私はその後の話は何一つ覚えていない。


 私の頭の中はそれどころではなかったのだ。



 谷口さんは意味をわかってこれをずっと付けていたのだろうか?

 

 なんで、私の足に「これを着けていけ」とお願いしたのだろうか?

 

 意味をわかっていて、私の足に着けたのだろうか?


 

 考えても出ない答えがずっと私の頭からつま先まで行き来していて、どこもかしこも神経が狂いそうだった。


 私がこれを彼女につけた時、なんの文句も言わず、そして、それ以降アンクレットを外しているところは見たことがない。


 本当に訳が分からない人だ。



「そろそろ寝よっか」


 楓はそう言って電気を消していた。


 私は布団の中に入り縮こまる形で横向きに寝る。


 谷口さんが私に付けたアンクレットにそっと手を伸ばした。


 こんな細くて心許こころもとないものになんの効果があるというのだ。


 さっき楓が言っていたアクセサリーの意味だって、人々が勝手にそう思っているだけだ。


 そんな深い意味はない。




『紗夜が私のこと忘れないように』

 

 その言葉が何度も私の頭に繰り返されていた。


 ほんとに最悪だ。


 友達と楽しむはずのお泊まり会は谷口さんが変なものをつけるせいで、常に頭の中には彼女がいて、こんな寝る瞬間まで彼女の事を考えなければいけなくなった。


 早くこれは谷口さんに返さなければいけない。こんなの付けていたら、必要ないことを沢山考えてしまう。



 次の日、私は早い時間帯に楓の家を出て、谷口さんのいるところに戻った。

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