第8話 なにか手伝うことありますか?
私の両手に花の絵柄が入った可愛らしい包みが渡される。
「これなんですか?」
「紗夜のお弁当」
「お願いしてないです」
「いらなかったら捨てていいから」
「なんで……」
「今日も余計な話していい日なの?」
目の前の女性はニヤリとした表情を浮かべそんなことを聞いてくる。
そうだ、私が不必要に話しかけるなと言ったのだ。そのくせに自分が知りたい時だけこうやって聞くのは確かに間違えている。
自分が間違えていると自覚しているが、谷口さんが勝ち誇ったみたいな顔をしていたので、自分の機嫌がこの家の床に張り付いてしまう。
私は何とか床から気持ちを剥がし、いつものように学校に行く準備を始めた。
「行ってきます」
結局、朝ごはんを食べている時も準備をしている時も常に眉間に力が入ったまま過ごした。そんな私とは反対に谷口さんの頬には力が入り、口角が上がっていた。
いつもの通学路を登校していると、後ろから声をかけられる。その声を聞いてほっとした。
「おはよう、紗夜。今週も始まるねー」
「おはよう、楓」
校則に違反しているであろう茶髪で長いストレートの髪の少女が私の隣を歩く。
彼女は幼馴染の
楓は私がこの世から消えたいと思うほど苦しい時に常にそばに居てくれた。どんなに「近寄らないで」、「関わらないで」と言っても彼女は優しく、側を離れなかった。
そのおかげで徐々に楓に対する恐怖心や嫌悪感は無くなっていき、今に至る。かけがえのない幼馴染であり、唯一の親友である。
楓に対しては女性に対する嫌悪感を抱かない。最初は怖かったけど、今は楓になら何をされても動悸がしたり具合悪くなったりすることはない。
私の中では一番信頼してる人だが、やはり、いつか居なくなってしまうのではないかとどこか信じきれないところが残っているのも事実だった。
「紗夜は今週の土日はどうだった?」
いろいろあった。
従姉妹とお出かけをしたなんて絶対に言えない。ましてやその人と住んでいるなんてもっと言えない。楓に聞き出されて、あれこれ理由を話すのはめんどうだ。私だって住みたくてあそこに住んでいるわけではない。
「特に何もなかったよ」
「そっか」
「楓は何してたの?」
「受験勉強だよ。紗夜は受験する場所決まったの?」
「まだ……」
私たちは数ヶ月後に受験を控えている。私は大学に行く予定がなかった。
母がひとり親だったので、高校卒業と同時に働きに出ようと思っていた。しかし、母は再婚し、義父はかなりのお金持ちらしいので大学は好きに行っていいと言われた。
別に大学に行きたかったわけではないが、働く理由もなくなり、やりたい仕事もないので、興味のありそうな仕事を見つけるために大学生は考える時間にしてもいいのかなと思っている。
私が高校を卒業して働いても、大学に行っても、母が私の元に帰ってくることはないだろう……。
そんな悲しいことが頭に浮かびながら私はいつもの代わり映えしない教室で授業を受けていた。
学生は何も悪いこともしていないのに、灼熱の暑さの中、授業を受けなければいけない。こんな劣悪な環境なのに、授業に集中しろと強要される。
教室の角に設置された扇風機の近くの席の人をうらやましく思う。暑くて何も集中できないので、風が吹かないかな、なんて期待して少し遠い窓の外を見た。
母が居なくなってからそんなふうにぼーっと授業を受ける日が増えたと思う。母と二人で暮らしている時は勉強は本気でやっていた。
学校は絶対にお金のかからないところに行かなければいけないと思っていたし、高校を卒業したらすぐに働かないといけないと思っていたから毎日が必死だった。
大変ではあったけれど、母が居てくれた時の方が毎日生きている心地がしていた。
今は特に学校に行く理由も頑張る理由もなくなってしまった。
「お母さん……」
「――五十嵐さんっ!」
先生の声に飛び跳ねそうになる。
授業中に呆けていたせいで先生に怒られてしまった。先生に怒られたはずなのに、ボンヤリくんは私の頭の中に居続ける。そうやって過ごせば早く一日が終わるからこの子を追い出すつもりもなかった。
長い午前中が終わり、昼休みになると楓が私の元に来て弁当を食べ始める。
「紗夜、またぼーっとしてたでしょ? 大丈夫? なんかあったなら相談乗るよ?」
授業に集中していなかった私が悪いはずなのに楓は無条件に私に優しい。そんな楓にやる気がないから頭が留守になっていたとは言えなかった。
「大丈夫だよ。ありがとう」
私はそのままスクールバッグの中から朝に谷口さんからもらったかわいい包みを出した。谷口さんのことは好きじゃないけど、ご飯を食べることは好きなので食べるだけだ。
しかし、お弁当を出して後悔した。
「……自分で作ったの?」
楓の反応は正しい。
なんて答えるか全然準備をしていなくて、変な間を置いてしまう。私はいつも適当に昼ごはんを買って食べていたので、楓からしたら不思議で仕方ないのだろう。
「――つくって、もらった」
そう言ってしまったら色々聞かれるに決まっている。その緊張からカタコトな話し方になって余計後悔する。
「ふーん。それより放課後、図書館で一緒に勉強しない?」
楓は思ったよりもお弁当に食いついてこなくて、私はほっと胸を撫で下ろした。これ以上お弁当の話に触れられないようにコクコクと頷いて、話題を変えることにした。
楓と話しながら、優しく結ばれた包みを解くとお弁当に小さなメモが貼ってあることに気がつく。
『野菜多めだけど、体のために全部食べること』
谷口さんの性格に合わない端正な字が並んでいた。何で他人の谷口さんに私の体を心配されなければいけないのかわからないし、余計なお世話だ。
うざいと不快感を感じるのに、少しだけ胸の奥にじんと温かいものが感じられたことは認めたくなかった。
そんなに大きくない木製のお弁当箱に野菜を使ったおかず達が沢山詰められている。お米は玄米で健康志向なお弁当だった。
口に運ぶと、冷たいはずのご飯は温かい時に食べる時と同じくらいのおいしさを保っている。
おいしい――。
谷口さんの料理は私の母の作る料理にどこか似たものを感じる。別にだからって何も思わないけど、谷口さんとのご飯の時間は少し楽しみだったりする。
…………
いや、谷口さんとのご飯の時間が楽しみなのではなく、ご飯を食べることが楽しみなだけだ――。
私はお弁当を全て食べ終わり、相変わらずかわいらしい風呂敷で空になったお弁当を包んだ。入っていたメモはこっそり筆箱の中に忍ばせた。
放課後は予定通り楓と勉強をして、谷口さんの家に向かう。家はまだ電気がついていなくて、谷口さんは帰ってきていなかった。
物音ひとつしない部屋が落ち着くけど落ち着かない。
「ふぅ……」
私はソファーに腰を下ろして、真っ黒な画面のテレビをまっすぐ見続ける。どのくらいぼーっとしていたのかわからないけれど、玄関の方が開く音がした。
「ただいまー。ごめんね遅くなって。急いでご飯作るね」
谷口さんは働いてきたはずなのに皺ひとつないスーツを綺麗に着こなしていて、腕には大きい買い物袋がかかっている。 顔は朝見た時よりも少し元気がない気がした。
「――なにか手伝うことありますか?」
自分の口から出た言葉が信じられなかった。
谷口さんは笑顔でいるけど、きっと学生の私なんかより大変なことをしてきている。私よりも苦労している人が私のご飯を作っているのを黙って見ているほど私は薄情ではない。自分が悪者になるのが嫌でそう言ったのだと思う。
私がそんなことを言うと思わなかったのか谷口さんは瞬きを何回かして私を見ていた。
「紗夜には食べ終わったあとの片付けしてもらいたいな。今はゆっくりしてて大丈夫だよ」
「――」
谷口さんは気を使ってくれるし、優しい。ただ、その優しさは今の私にとって嬉しくなかった。
私だってこの家に存在している限りなにか仕事が欲しい。何もしないのは時間の流れが遅く感じるから嫌だ。
「あっ――。お風呂洗ってお湯沸かしてもらっていい?」
「――はい」
何を思ったのか谷口さんは急に手伝いをして欲しいと言ってきた。私は聞こえないくらい小さい声で谷口さんのお願いに反応する。
急ぐ必要もないのに少し駆け足でお風呂に向かって、黙々とスポンジでお風呂を磨いた。
お風呂掃除が好きなわけではないけれど、谷口さんに教えてもらったとおりにいつもより丁寧にお風呂を綺麗にする。
なんとなく学校で勉強してなんとなく生きている私にとって、何かを任せられることが少し嬉しかった。
お風呂の掃除が終わって、部屋に戻るとさっきまで何も乗っかっていなかったテーブルに色々な食事が並んでいる。
私は腰掛けて手を合わせて小さく「いただきます」とだけ伝えてテーブルの上のほかほかしたご飯を口にした。
「お弁当箱洗っててくれたんだね。ありがとう」
ご飯を作ってもらったら私が片付けをするのが約束なのでお礼を言われるようなことはしていない。谷口さんがお礼を言うわけがわからない。むしろお礼を言わなければいけないのは私の方だ……。
「ありがとうございました……」
人として当たり前のことを口にした。
それだけの事なのにこんなに言葉に詰まり、言ったあとも心臓がとくとくと鳴るなんてやっぱり私は人と関わることが向いていないのかもしれないと自分を残念に思う。
「毎日作るから――」
目の前に座っている女性は口角を上げて嬉しそうに私を見つめていた。仕事で疲れているのに余計な仕事を増やすほど私は図々しくない。
「負担になるので大丈夫です」
「お弁当おいしくなかった? もう食べたくない?」
その聞き方はずるいと思う。
案の定、谷口さんは悪ガキみたいな顔をしている。
「迷惑になるので大丈夫です」
「じゃあ、私が迷惑してなかったらいいのね? 大丈夫だよ。一つも二つも変わらないから。土日に詰めるお惣菜は作ってあるし」
谷口さんはそう言ってくれるけど、それでも遠慮してしまう。私が黙っていたせいか谷口さんは話を続けた。
「じゃあ、毎日お弁当作るから私と普通に話してよ」
先程までの悪い顔が真面目に変わっていた。
「なんで――」
私と話したい理由がわからない。どうせもうすぐこの生活は終わる。この生活が終われば、たまにしか会わない人になるのにそんな私と余計な話をする必要があるのだろうか。
「前も話したけど、小さい頃の紗夜しか知らないんだ。今の紗夜のこと知りたい」
たぶん、深い意味なんてないし、この家にこんな人間がいるのが気まずいからそれを変えようとしているだけなのだと思う。私もいつまでも女性が苦手だと嘆いている場合ではないのかもしれない。
谷口さんなら……。
「わかりました――」
「えっ?」
「嫌なら大丈夫です」
「いやいや! いいって言われると思ってなかったから」
ほんとに驚いたという様子でこちらを見ている。
私がこんな性格じゃなければ谷口さんをそうやって苦しめることもなかった。だから、少しでも彼女の負担が減るように自分のできることを少しずつしていきたいと思った。
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