第62話 約束守ってくれてありがとう
準備が終わり、外に出ると谷口さんはスキップしていた。
「久しぶりに一緒に買い物できるね」
隣の女性は何がそんなに嬉しくて、るんるんしているのかわからない。私は買い物に着いて来ているだけで、必要なものを買い終わったらすぐにでも帰りたい。
ショッピングモールはたくさんの人で溢れていた。
人が多くて今すぐ家に戻って部屋にこもっていたい。しかし、その部屋のための家具を買いに来たのだから、目的は達成しなければいけない。
谷口さんはすぐに家電屋に向かい、エアコンをテキパキと選んでいた。私には形の少し違うエアコンたちが並んでいるようにしか見えなくて、違いとかそういうのは一切分からなかった。
谷口さんはお店の人に色々質問して、真剣に話を聞いている。今年の夏は猛暑が続くらしいので、真剣選びたいと言っていた。
彼女の真剣な顔も新鮮でつい見つめていた。
私は何も出来ないのにここに来る必要があったのだろうか。
「お待たせ。来週には届きそうだよ。最近、湿気もやばいし、除湿ちゃんとしてるの買っちゃった」
谷口さんは真剣な顔からいつも私に向ける優しい笑顔に戻っていた。
あとは帰るだけでいいはずなのに、谷口さんは色々回ろうと駄々を
そんな彼女の横を歩いているとギラギラとショッピングモールの中でも一際目立つ場所に差し掛かった。
「お父さん! あのぬいぐるみ欲しい!」
「また今度な」
「やだやだ!」
「みーちゃん、今日は我慢してね」
お父さんとお母さんになだめられている子供がいて、それを見て、小さい頃、お父さんとお母さんとゲームセンターに来たことを思い出した。
私の父はクレーンゲームが得意で、私が欲しいと言ったぬいぐるみは全部取ってくれた。私の母は年甲斐もなくぬいぐるみが大好きな人で、同じく父に色々取ってもらっていた。
父のせいで私の部屋はたくさんのぬいぐるみに溢れていたと思う。それが幸せで、部屋の中にいても寂しい日はなかった。みんなに名前をつけて毎日お喋りもしていた。
しかし、父が亡くなってから母は父を忘れるために父を感じるものは全て捨てていた。私の部屋のお友達も全て捨てられた。
大好きだった父との思い出も、大好きだった子達も全て居なくなって私は孤独になった――。
昔のことを思い出して喉にティッシュを詰め込まれたような気分になる。
「紗夜、顔色悪いけど大丈夫?」
「はい……体調が悪いわけではないので」
「なんか辛いことあった?」
「大丈夫です」
「その顔は大丈夫じゃない顔だね」
そう言って谷口さんはきゅっと腕を掴んでゲームセンターの中に私を連れていく。谷口さんはすぐに私の変化に気が付くから、自分の行動には気をつけようと決心した。
「紗夜、私の得意なこと知らないでしょ?」
「知るわけないじゃないですか」
「じゃあ、教えてあげるよ」
「はい?」
谷口さんは勝手にクレーンゲームにコインを入れ始める。大きなぬいぐるみにアームが掛かるが重くて全然動いていない。
「お金の無駄ですよ」
「いいから黙ってて」
思いのほか真剣な顔で答えられるので、私は何も言えなくなってしまう。
何回かやると、落下口の方にぬいぐるみは近寄って、十回目くらいにぼとんと音を立てて、大きな物体が落ちる。
お父さんがぬいぐるみを取ってくれた時に感じていた嬉しい感覚が胸に走った気がした。
谷口さんは自信満々な顔で「はい!」と言って私にぬいぐるみを押し付けてくる。勝手に私の上半身の丈くらいある、大きなぬいぐるみが渡された。
「欲しいって言ってないです」
「じゃあ、その子は今日からうちの家のソファーの主ね」
「はい?」
意味がわからない。
私は渡されたぬいぐるみの顔を見て驚いてしまった。
「紗夜、カワウソ大好きだったでしょ? 私はちゃんと覚えてるよ」
あれは谷口家のみんなと水族館に行った時の思い出だ。「一番かわいい子を紹介するから着いてきて!」と言って谷口さんは手を強く引いていた。
彼女と体の大きさも歩幅も全然違くて、彼女について行くのがやっとで、引かれる手は痛かった。しかし、彼女を追いかけ、急いでよかったと思った。
のほーんとした愛くるしいカワウソがそこにいた。
私はその子から目が離せなかった。谷口さんが一番かわいいというのも分かる。谷口さんよりもその場にいたいと駄々を捏ねたのは私だった。
帰りにカワウソのぬいぐるみを谷口叔母さんが買ってあげると言ってくれたけれど、遠慮していらないと言った。
また、大切な友達を失うのが怖かった――。
『じゃあ、私が稼げるようになったらぬいぐるみ買ってあげるよ』
『和奏ちゃんに買ってもらわなくても、自分で買えるもん』
『私が紗夜にあげたいんだよ』
『……じゃあ、待ってる』
谷口さんはなんであの時のことを覚えているのだろう。
本当に馬鹿だと思う。
彼女は馬鹿すぎて本当に嫌になる。
私は外なのにぼろぼろと涙を溢していた。
全部こんなことをする谷口さんのせいだ。
私はもらったカワウソを抱きしめて顔をうずめた。谷口さんにこんな顔見られたくなかった。
「谷口さんのばか――」
「なんでよ。ちゃんと覚えてたでしょ」
「うるさい」
私は手を引かれて人の少ない場所に連れられる。背中をさすられ、私が泣き止むのを待ってくれていた。
本当に十年前と何も変わらない。私は少しは大人になったと勘違いしていたけれど、全然彼女に追いつけていない。
そんな自分が嫌になる。
私が泣いている理由も聞かずに彼女はずっとそばに居てくれた。
「……すみません」
私は落ち着いて彼女の顔を見ると、谷口さんはいつもの温かい手で頬を撫でてくれた。
「あんまり抱え込まないようにね。話なら聞くから」
その後、頭をよしよしと撫でられる。やっと落ち着いた涙がまた出そうになるので、我慢するようにぎゅっとカワウソを抱きしめた。
「名前……」
「ん?」
「この子のなまえ……」
「ふふっ、そうだね。ネーミングセンスについては紗夜の方が長けてるから、紗夜に付けてもらおうかな?」
大学生にもなってもぬいぐるみに名前を付けたいなんて子供じみたことでも、谷口さんは優しく受け止めてくれた。
「カワウソの真ん中とってワウちゃん」
「思ったより適当だった……」
「じゃあ、谷口さんはなんてつけようと思ったんですか?」
「んー。ウルトラデラックスとかかな」
「あははっ! なんですかそれ」
私はお腹を抱えて笑ってしまう。こんなかわいい子にそんな変な名前を付けるなんて谷口さんくらいだろう。
「やっぱり、紗夜は笑顔が一番だね」
そう言って谷口さんが顔を近づけてくるので、私は彼女の口を手で押えた。
「ここ外です」
「じゃあ、家帰ったらいいんだ」
やたらニコニコとしてそんなことを言ってくる彼女にムカつくが、今は許してあげようと思った。
「和奏ちゃん、約束守ってくれてありがとう。大切にする――」
私はワウちゃんをぎゅっと抱きしめた。
あんな子供の頃の約束を彼女はしっかりと覚えていてくれて守ってくれた。
それが嬉しかった。
谷口さんを見ると今まで見たことないくらい目を見開いてあほそうな顔をしている。なんかその顔を見ていると恥ずかしくなったので、私は立ち上がった。
「谷口さん帰りましょ。ソファーの主をソファーの上に置きに帰らないとですね」
私はそのまま彼女の手を引いた。早くこの子をソファーの上に置きたい。毎日、「行ってきます」と「ただいま」が言いたい。
心はスキップしている気持ちで、彼女の腕を引いていた。そしたら、谷口さんが横に並んで、私の指と指の間に細い指を滑り込ませてくる。
私の手は彼女から離れないように握られてしまった。
こんなことよりもっとすごいことを今までしてきたはずなのに、今は手に心臓が付いたのかと思わされるほど、ずっと音が鳴っていた。
「――紗夜ちゃん?」
その声にはっとして、急いで谷口さんの手を離した。それは聞き慣れた声だった。声の方を恐る恐る向く。
「美鈴さん……?」
「わぁ、紗夜ちゃんだ! こんなところで会えるなんて奇遇だね」
美鈴さんはそのまま駆け寄ってきて、私の頭に手を伸ばそうとする。その手は私に行き着く前に谷口さんに掴まれて止まった。
「和奏――?」
「なんで美鈴が紗夜のこと知ってるの?」
谷口さんはぎりぎりと美鈴さんのことを睨んでいた。彼女のそんな顔は花見の時以来で、少し背筋にゾワゾワとしたものを感じてしまう。
「そっかぁ、和奏が一緒に暮らしてるって言ってたのは紗夜ちゃんのことだったのか」
いつものトーンで話す美鈴さんだが、いつもと少し違う気がする。
「私の質問に答えてよ」
「そんな怖い顔しないでよ。私がよく通う居酒屋で紗夜ちゃんバイトしてるんだよ。バイト先知らなかったの?」
「そう……」
谷口さんがあまりにも元気がなく、いつもの調子と違うので、私の気持ちはどんどん不安で埋め尽くされていく。
「あの……」
私は不安で声を出さずにはいられなかった。
「ごめんね紗夜ちゃん。和奏は私の元カノなの」
さっきまで人々の話し声で包まれていたショッピングモールの音をかき消すくらい大きなざあぁという雨の音が響き始める。
美鈴さんが谷口さんの元カノ……?
私の意識はそこから遠のきそうになっていた。
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