第1話 幸せになってね

「今までありがとう。和奏との時間はほんとに幸せだったよ。幸せになってね」

 

 嘘つき……ずっと一緒に居てくれると言ったのに……。

 

 綺麗な髪色のロングヘアがよく似合う、耽美な女性が私の家からキャリーケースを持って出ていく。


 その背中を追いかけることもできたのに、足が信じられないくらい重くなり動かなかった。喉には何かが詰まったのかと思わされるほど、声を出すことも呼吸をすることも難しく、何も出来ない状態になっている。

 

 私は家に一人残された。



 私(谷口たにぐち 和奏わかな)は二十五歳になり社会人三年目を迎える仕事が割と好きな人間だ。


 さっき出ていったのはずっと一緒にいてくれると約束してくれた恋人だった。振られた理由を色々と聞いてみたが、結局のところ私に飽きてしまったから別れたかったようだ。


 私は刺激の足りない人間らしい……。


 さっき出ていった彼女は三年くらい付き合っていた。ずっと一緒にいると約束してくれたのでローンを組んで今のマンションを買った。


 残ったのはマンションと私だけ……。


 


「はぁ……考えるのはやめよう」

 

 考えるのをやめたいけれど、この家には思い出が多すぎた。


 元カノの部屋を覗くと家具以外は空っぽの部屋が残っている。そのままベッドにダイブすると大好きだった人の匂いが残っていた。


 

「うっ……」

  

 ベッドは私の涙でびしょ濡れになった。




 …………


 泣いていたせいでどれくらいの時間が経ったかわからない。

 

「今、何時だろう……」

 

 部屋に差し込む光は赤くなっていて、もうすぐ嫌いな夜が訪れることを意味している。私はボロボロになった顔をメイクで少し整えて、外に出ることにした。

 

 今日は飲み歩きたい気分だ。


 支度をして繁華街に向かっていると、繁華街に相応しくない少女が男に絡まれていた。制服を着ているから高校生だろうか。


 あまり関わらないようにと横目に通り過ぎようとしたが、その少女の顔を見て驚いた。


 振られたばかりでないことと、制服を着ていなければナンパしたいくらい綺麗な顔立ちの女の子だ。


 

「稼げるバイトがあるんだよ。家帰りたくないんでしょ? 顔かわいいし絶対稼げるからどう?」

 

 男はいやらしい目で少女を見ている。しかし、私は心が痛んでいて人を助ける余裕なんてなかった。だから、そのまま放っておこうと歩き出す。

 

 明らかに未成年とわかっていて声をかけるなんてタチが悪い。早く警察に捕まればいいと思った。


 

「や、めてください……」

 

 無視すれば良かったのに、その声を聞いて動かずにはいられなかった。ほんと自分のお節介な性格には嫌気が差す。



「あの、未成年にそういうことするの捕まりますよ」

 

 ガラの悪い男は私の方にずかずかと近寄ってくる。その男の迫力に押され、少しだけ怖くなって後ずさりしてしまった。

 

「じゃあ、お姉さんが代わりになってくれますか?」 

「それも無理です。ほらいくよ」

 

 私はこれ以上絡まれないようにその子の手を引いて繁華街から離れた。


 



「ここまで来れば大丈夫かな」


 私はそこで初めて少女と目が合ったが、驚くほどその子の目に光が宿っていなくて何も言えなくなってしまう。そんな絶望的なことがあったのだろうか。そして、よく見ると少し見覚えのある顔だ。


 気のせい……?


 そんなことよりも、この少女を家まで送り返さなければ、また危険な目に遭う可能性が高いと思って優しく語りかけた。


 

「家はどっちのほう?」

「触らないで……!」


 パシッと手を叩かれて、少女は走っていってしまった。


 確かに急に手を掴んで引いてしまったのは気持ち悪いかもしれないけれど、大人の私でもさすがにその態度には傷ついてしまう。そんな出来事に巻き込まれ、結局、繁華街に行く勢いもなくなってしまい、実家に向かうことにした。

 

 実家は同じ市内にあるので私の家からも行きやすい場所にある。





「あら、どうしたの?」

「別れた……」


 母がはっという顔をして近づいてきた。


 両親は私の恋愛に対して口出しをするようなタイプではなかった。好きにすればいいと言ってくれて、彼女と住むことにも反対はなかった。

 


「とりあえずお風呂に入ったら?」

 

 お母さんは私を優しく抱きしめてくれた。 

 その温かさに私のカラカラに乾いた心が少しだけ潤っていく。私は母が温めてくれたお風呂に入った。実家という帰る場所があってよかったとつくづく思う。


 お風呂から上がるとご飯が用意されていた。しかし、食卓には明らかに違和感がある。うちの家は父と母と私の三人家族だ。

 

 なぜ四人分の食事が並んでいるのだろう?


 私は違和感を覚えつつも食事の並ぶテーブルの前に座ることにした。

 

 

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