第24話 私も同じことするからね?
「紗夜ちゃんとの生活には慣れた?」
「だいぶね」
「それならよかった」
母はいつもどおり明るく優しく接してくれる。紗夜を預かりたいと言った理由を追求されなくて良かったと思う。
「そういえば……紗夜ちゃん今月誕生日じゃない? 私たちの家で盛大にお祝いしてあげるとかどう?」
母は昔からおせっかいで、紗夜を実の娘のように思っている。だから、誕生日も覚えているのだろう。
私は今初めて知った。高校生の頃の私は紗夜にあまり興味がなかったので、誕生日がいつか聞いてたとしても覚えていなかっただろう。今は少しだけ興味がある。
「何日なの?」
「十月三十一日だよ。あんた、従姉妹の誕生日も忘れたの? 小さい頃よくハロウィン楽しみながら一緒にケーキ食べてたじゃない」
「あー確かに……」
あの時はなんでハロウィンにケーキ? と思ってたけれど、そういうことだったのかと今更思い知る。
「今年は私が祝っとくから、お母さんたちは大丈夫だよ」
「そう? じゃあ、お願いしようかしら。おいしいケーキ屋の場所教えるね」
母は嬉しそうにスマホでケーキ屋の検索をしていた。
紗夜は私のお母さんたちが一緒だと気を使って疲れてしまうだろうと思い、二人で過ごそうと思った。
もっとも、紗夜は私なんかと過ごしたくないかもしれないし、この間、友達と言っていた明らかに彼女が心を許している女の子と過ごすのかもしれない。私から見たら彼女の紗夜に向ける目は明らかに友達に向ける目ではなかったと思う。
そして、紗夜と近い距離にいることが唯一許せる相手が居るなんて知らなかったし、知りたくなかった。
最近はやっと私と距離が近いのに慣れてきたが、それでも時々嫌がられるくらいにしか彼女の中で私は許されていない。
あの友達と言っている子と同じことをしたら嫌がられた。拒否された――。
別にそれがどうした。
そう自分に言い聞かせているけれど、なかなか自分の中で処理しきれない感情がぐるぐると巡っている。
紗夜の隣に居た女の子の顔が今も忘れられない。私はかなり睨まれていたと思う。不気味な笑顔で挨拶をしてきたが、終始、紗夜のそばを離れる気はなく、私に向ける目は冷たいものだった。
私が何をしたというのだろう。
なんでこんなにも紗夜のことで悩んでいるのだ……。
こんなことを悩んでいるのがあほくさくなってきたので、考えないように何か夢中になれることを探そうと思った。
とりあえず、母に紗夜の誕生日は私が何かすると言った以上、責任を持たなければいけない。もしかしたら、友達と過ごすから無理と言われるかもしれない。そう断られたら、私のプライドが傷つく気がする。
歳を取るごとに大きくなるのは自分のくだらないプライドばかりで、他は学生の時のまま何も成長していない自分が時々嫌になる。
心の中で大きなため息が聞こえる。暗いことを考えるのはやめようと思った。
今日は午後から休みを取って実家に寄っていたので、夕飯まではまだ時間がある。昨日はこのくらいの時間に紗夜から夜ご飯がいらないと連絡があった。
今日もいらないと言われるだろうか。
そんなどうでもいいことが気になる。
いや、どうでも良くない。紗夜のせいで夜ご飯の作る量が少し変わるのだ。作ったからには彼女に責任を持って食べてもらわないと困る。
我慢しきれず、紗夜にスマホで連絡してしまった。
『今日は夜ご飯食べる?』
『お願いします』
『作って待ってるね』
そう送ると既読だけついた後は何も返ってこなかった。ほんとに冷たい子だ。冷たいというか何を考えているかわからない。何を考えているかわからないけれど、今日は紗夜の分もご飯を作ってもいいらしい。そんなどうでもいいことが嬉しい私はもう疲れすぎているのだと思う。
紗夜は七時頃に帰ってくるだろうと思い、五時頃から準備を始めて料理をしていると扉の開く音がした。
なぜ今日は早いのだろう。
いつもはどこでなにをして七時頃に返ってくるのだろう、と気になるがそこまで干渉する理由もなく聞けずにいる。
「早いね? おかえり」
「今日は勉強しないで帰ってきたので。谷口さんは今日休みですか?」
「午後から休み取った」
「そうですか」
そう言って紗夜は部屋に行ってしまう。
そうか。いつも遅いのは勉強しているからか……。そう思うと何故か心が落ち着いた。
「紗夜の部屋のこと考えないと……」
今週の土日にでも紗夜の部屋を模様替えしようと思う。どうやら、紗夜の母の結婚相手はかなりのお金持ちらしく、紗夜がお世話になるからとかなりの仕送りを私の母にしていて、母は困っていたらしい。
紗夜と私が住むようになり今度はそれがまるっと私に来るようになるわけだ。
毎日、外食をしても使え切れいないくらいのそのお金をどうするか悩んで手を付けられずにいた。紗夜が必要になった時にそれを渡せばいいかと思って手を付けないでいる。
今回の紗夜の部屋の家具はそのお金から買えばいいのだけれど、何となく私が買ってあげたいという気持ちがあった。そしたら紗夜は喜ぶだろうかなんて下心が膨らむ。
いや、きっと喜ばないだろう。紗夜の性格だと申し訳ないとか言って眉間に皺を寄せていそうだ。
そんなことを考えていると、せっかく作った味噌汁がぐつぐつと煮立ってしまったので急いで火を止めた。
最近の私の頭の中は紗夜のことばかりだ。
世の中の猫を飼う人達はこんなに大変な思いをしているのだろうか。
いや、猫を飼うよりも難題かもしれない。知恵があるからこそ、感情が余計分かりにくい。彼女の言動の何が本当で何が嘘なのかわからないのだ。
そんな悩みを抱えたまま、今週の休みの日は紗夜と外に出かけることに決めた。
私のご飯ができるタイミングがなぜわかるのかと不思議なくらい、彼女はいつもタイミングよく部屋から出てきて、食卓を拭いてコップ、箸を並べる。私が準備した料理を紗夜が黙々と運んでいて、何も無かった食卓は色鮮やかになった。
「「いただきます」」
紗夜はいつもどおり何も話してくれない。今日は紗夜に聞きたいことが二つあるので、夕食を口に放り込みたいところだが、我慢して彼女に話しかけた。
「今週の土日忙しい?」
「受験勉強しようと思ってました」
「どっちか開けられない?」
「なんでですか?」
「紗夜の部屋リメイク大作戦」
私はピースサインを紗夜に向けると険しい顔をされる。
「土曜日空けておきます」
それだけ答えると紗夜はもくもくと料理を口に運んでいた。おいしいともまずいとも言わないが、残さないところを見るといつも安心する。
「ありがとう。あともうひとつ」
「なんですか?」
「十月三十一日空いてる?」
「………………」
急に空気が変わった。紗夜の周りの空気が重く見える。なにか不味いことをしてしまったのかもしれない。しかし、聞いてしまった以上答えてもらわないと困る。なにより、あの友達と過ごすのかどうか知りたかった。
「どうなの?」
「その日は学校です」
「学校終わってからのこと言ってるよ」
「……空いてます」
「じゃあ、その日は早く帰っておいで」
「はい……」
歯切れの悪い回答だが、紗夜の予定を押さえられたことを嬉しく思う。どうやらその日はあの子とは過ごさないらしい。なんでそんなことに喜んでいるのか自分でもよく分からない。
「谷口さん楽しそうですね」
「そう?」
紗夜にもバレるくらい顔に出ているらしい。ニヤケ顔がこれ以上ひどくならないように私は深呼吸をして自分を落ち着かせた。
紗夜に聞きたいことも聞き、ご飯も食べ終わったので、今日最後の仕事に取り掛かろうと立ち上がる。
私は紗夜の前に立って、両手を広げた。
「何してるんですか?」
「一日一回こうやって慣れる練習するって言ったじゃん」
「あぁ……」
あからさまに嫌な顔と嫌な声を出されるのでさすがの私も少し胸が痛み、心にかすり傷を負う。紗夜は仕方なさそうに腰を上げ、私の方に近づいて来た。
嫌なんだろうけど、治したいと言う意思はあるらしい。高校生にこんなことをしているなんて変態以外の何物でもないのだろう。ただ、私は彼女の症状が治るように善処しているだけだ。悪いことは何もしていない。
少し目線を落とすくらいの低い位置に紗夜の綺麗な顔がある。紗夜はほんとに整った顔をしている。男も女も関係なく虜にさせてしまいそうだ。整った目の奥には漆黒の瞳があり、毎回その目で見つめられると吸い込まれそうになる。
魔性の女なんて言葉があるが、彼女にとても似合う言葉だと思う。高校生でこんな色気のある女性で将来どうなってしまうかと考えると恐ろしい。
「谷口さん? 何もしないんですか?」
紗夜は疑問符の浮いた顔をしてる。私が変なことを考えている時間が長すぎたようだ。
彼女はそれを素でやっているのだろうけれど、そのあどけない表情は私のいけない部分にある欲を何度もつついてくる。
私は心の中で深呼吸して、彼女の腕をそっと引いた。彼女との距離が
彼女の顔が私の鎖骨の辺りにくっつくので、私は心臓の音が聞かれないかそればかりが心配になる。
紗夜をそっと抱きしめると、今日は珍しく彼女は私の腕の中に収まった。それに甘えて彼女をもっと抱き寄せる。
大人しいと思ったが、この子がそんな私の腕の中で大人しくしているわけが無い。
肩の辺りに激しい痛みを感じる。
「紗夜……」
名前を呼ぶと余計痛みがギリギリと走る。このまま痛いと言って前みたいに彼女を離せばこの痛みは終わるだろ。
勝負をしているわけではないが毎度、年上の私の方が負かされている気分になるので今は引き下がれなかった。いつまでも
せっかく彼女に気を使って優しくしていたのに、紗夜がそうするなら私が優しくする義理はない。
少しずつ慣らしてあげるなんて甘い考えが、彼女に下に見られる原因になっていると思う。
私は紗夜の顔の真横に頭を下ろし、紗夜の耳元で最後の忠告をした。
「離してくれないなら私も同じことするからね?」
そんな私の優しい忠告なんておかまいなしに肩は痛いままだ。服の上からなのに痛みがどんどん増していて、紗夜の吐息があたって辺りが熱くなっていく。
忠告を無視した紗夜が悪い。
私はそのまま紗夜の白く柔らかい耳を噛んだ。どっちが我慢比べできるか、なんてあほらしい考えが浮かんでくる。
しかし、紗夜がそんなことをされ慣れている訳もなく、一度、彼女の耳を噛んだら痛みのあった私の肩はすぐに解放された。痛みがじんじんと広がり肩は熱くなるが紗夜の熱はなくなり表面は生暖かくなる。
紗夜に突き飛ばされて距離が離れるが、彼女の顔を見た瞬間、私の中でよくない音がした。
紗夜の顔は真っ赤で噛まれた耳を恥ずかしそうに押さえている。
「谷口さんのすけべ」
紗夜はそのままバタバタと部屋に戻ってしまう。私はその場に立ち尽すことしかできなかった。
彼女にすけべと言われる筋合いはない。紗夜だって私の肩を噛んだじゃないか。
いつも紗夜は私が悪いみたいに言うけど、ただ、抱き締めて終わればよかったものを余計なことをしてきたのは紗夜だ。
紗夜だって悪いと思う。
紗夜が片付け担当なのにその日は私が夕食の片付けをした。
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