第10話 このソファーが全て悪い
今、私は谷口さんの横でソファーに座ってテレビを見ている。
それだけのことだ。
それだけのことが信じられない。
お好み焼きを一緒に食べてから数日、彼女はもう私の女性が苦手なことに触れることはなくなっていた。たわいもない話をして、私の素っ気ない回答で満足している。
私は女性だと誰が近くにいても動悸がしてしまい、具合が悪くなってしまう。
谷口さんの実家にいた時も叔母さんはとても優しい人だったけれど、やっぱり近くにいたり、触れられたりすると動悸を起こしてしまい、その場にいることも耐えられなくなってしまっていた。
どんなにいい人でも優しい人でもそうなってしまうのだ。
そんな自分に嫌気がさしてしまう。
治るのなら治したいと思っている。
これでは今後生活するうえで大きな障害になり、困ることは目に見えている。このままでは社会に出てまともに働けるかもわからない。普通に働けないと母がもっと遠くに行ってしまう気がする。これ以上、母が私のもとに帰ってきたくないと思わせるような理由は作りたくなかった。
私が女性恐怖症で悩んで数年経ったが、信じられない出来事が起こっている。今まで無意識に女の人と話すことや触れられると避けていた。
谷口さんも同じだと思っていた。
しかし、谷口さんと再会した日から薄々感じていたが、谷口さんに対しては他の人に比べて症状が軽いことを自覚し始めていた。
まずそもそも、再会したその日に密着していないとはいえ、同じベッドの上で寝たのだ。
信じられない。
信じたくない。
そう思って気が付かないふりをしていた。
谷口さんの近くだとそこまで息苦しくなったり、話す言葉に詰まったりすることが少ない。
完全に無いわけではない。
ただ、手が触れたとかそれくらいなら大丈夫なことはこの前わかった。もっと距離が近ければ、話が変わってくるのかもしれない。自分でもこの事実が不思議でしかたなかった。
もっと自分のことが知りたい。
ただ、そう思うと思い出したくもないことを思い出し、具合が悪くなってしまうので考えることをやめる。
最近はそんなことを繰り返している。
隣の谷口さんはリラックスした様子でテレビを見ていた。
谷口さんは栗色の長い髪をいつも巻いていて、顔は美人系の人だと思う。こんなに優しくて、何でもできる人が振られることなんてあるのかと不思議に思う。
こんな素敵な人を振った人はどんな人なのだろうと少しだけ気になった。
…………
今日は良くない日だ。
自分のことだけじゃなくて、谷口さんのことまで気になり出している。これ以上、彼女といると変な好奇心が溢れてしまいそうなので部屋に戻ることにした。
「もう部屋行くの?」
「はい。もう寝ます」
「もう少しだけ話しよ?」
谷口さんはよくない顔をしていた。甘えるのが得意なのか、谷口さんのお願いの仕方は少しずるいと思う。それを断ったら私が罪人なんじゃないかと思ってしまうような目で見てくるのだ。
「何話すんですか?」
私は谷口さんの狡猾な態度に負けて、そのままソファーに腰を下ろすことにした。
「一緒に花火しない?」
「花火……?」
あまりに唐突すぎて拍子抜けしてしまう。なぜ、花火なのか全然わからなくてすごい呆けた顔で彼女の方を向いていたと思う。
「子供扱いしてるとかじゃないからね? 久しぶりに花火したいなーって思ったの。紗夜が嫌なら一人でしてくるから」
谷口さんは歯が見えそうなくらい口角を上げた笑顔で私を見てくる。
谷口さんはずるいと思う。
私には逃げ道があるようでないのだ。私が断ったら彼女は本当に一人で花火をするのだろう。
「一人でするなんて悲しくないんですか?」
別に花火をしたって何も変わらないだろうと思っている。そもそも、何歳も歳上の人にそんな子供ぽいお願いをされるなんて思いもしなかった。
「一人でしても花火綺麗じゃん。ただ、紗夜が居てくれたらもっと楽しくなるなと思ったの」
谷口さんからいたずらっぽい表情は消え、優しく微笑んでいた。その顔を見ると何故か心臓が私に話しかけ始める。
やはり、どんなに罪悪感があっても早く部屋に帰るべきだった。私はもっと逃げ道がなくなり動けなくなってしまう。
先程よりも谷口さんが詰め寄ってきている。
少しだけ動悸がして息苦しくなるが、自然と嫌な気はしなかった。
彼女はまだかまだかと私の回答を待っている。
「考えておきます」
「うん。前向きに検討よろしくね」
これ以上ここにいるとまた身動きが取れなくなりそうだと思い、今度こそと思って立つと腕を掴まれた。
体がびくりと反応してしまう。
普通に掴まれたことに驚いた反応なのか、谷口さんに掴まれたことが嫌なために起こった反応だったのかわからなかった。
「夏休みだから明日休みでしょ? もう少しだけここに居てよ」
珍しく谷口さんの声が弱々しい。
私は他人のことを気にしている場合ではないのに、彼女のその声のせいで自分のペースが狂わされてしまう。
「谷口さん、手離してください」
「離したらまだここに居てくれる?」
谷口さんが悪い。いつも大人なくせに、大人ぶるくせに、急にそんな弱い姿を見せられたら私は冷たく出来なくなる。
私は少し動悸がし始めて、それが嫌なので彼女の言うことを聞くことにした。私が大人しくソファーに座るとぎゅっと握っていた手を離してくれた。
谷口さんに掴まれたところがどくどくと熱い。そして、さっきから私の心臓はどくどくと鳴り止まない。
なんで谷口さんに触れられるのは他の人ほど嫌にならないのだろう。
やはり、小さい頃に仲が良かったからだろうか。
親友の楓も最初は難しかったものの、時間をかければ普通に接することができるようになった。
谷口さんもそうだったりするのだろうか?
自分のことが知りたい。
谷口さんに対して、どこから症状が酷くなり、どこまでなら大丈夫なのか――。
谷口さんはたわいもない話をずっとしていたけれど、私の頭の中はそれどころではなかった。
「紗夜、聞いてる?」
谷口さんが私の顔を覗き込んでくるから自然と目が合う。彼女の茶色い綺麗な瞳に吸い込まれそうになった。
そうだ。
このソファーが小さいのが悪い。
だから、谷口さんとの距離が近くてこんなにも色々考えなければいけなくなったんだ。
私はそのまま吸い込まれるように彼女の方に体を動かす。ソファーに手を置くとそこは軋み、彼女に近づくスピードをより速くした。
そうだ。
このソファーが全て悪い。
谷口さんの柔らかい唇に私の熱を帯びた唇が当たっていた。
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