第55話 紗夜と一緒なら見れる
「今日も頑張ってるね」
美鈴さんは私を優しい目で見ていた。私がホールの時は必ず話しかけてくれる。席を立ち、すっと近づいてくるので体が少し強ばってしまった。
何が起こったかと状況を理解出来ないで私の体は硬直していた。どうやら、頭を撫でられていたらしい。
「松林さん、ほんとこの子かわいい……。私の妹にしたいです」
「はいはい。困ってるからやめなさい」
「はーい。それよりこの間の……」
松林さんと美鈴さんのいつものやり取りが始まった。私の頭の上から美鈴さんの手は離れていて、撫でられた場所に自分の手を置いていた。
「自分の頭なんて撫でてどうしたの?」
楓の言葉にハッとして彼女の顔を見た。
そこまで親しくない、しかも、バイト先のお客さんに頭を触られたのに不快感がそこまでなかった。
偶然?
いや確実に美鈴さんは触っていた。
もしかして――。
「ほら、ぼさっとしてないで仕事するよ」
楓に喝を入れられたものの、意識はふわふわしたまま仕事を始める。バイトに集中しなければいけないのに、さっきの出来事が衝撃的過ぎて、無意識に美鈴さんを見つめていた。
「紗夜ちゃんどうしたの? 私の美貌に惚れた?」
美鈴さんは悪い表情で聞いてくる。私はまだそういう受け答えには慣れていないので、なんて返せばいいのかわからなくて、言葉に詰まってしまった。
「美鈴さんの美貌に惚れない人なんているんですかー」
もっと悪そうな顔をした楓が私を助けてくれた。楓は本当に居酒屋のバイト向きの性格で、こういう酔っぱらいの対応なんかはいつも楓がしてくれる。私はそういうのが苦手でいつも楓か松林さんに助けてもらっている。
「松林さん、なんて子たち雇ったんですか。お姉さん、お酒進んじゃうな〜」
「帰れるくらいほどほどにしといてくれよー」
会話が松林さんの方に移ると楓は「大丈夫?」と心配しくれた。本当に楓がいてくれてよかった。彼女がいなければ今頃、バイトなんて嫌だと嘆いて辞めていただろう。そんな私もバイトを始めて一ヶ月以上経過していた。
この間、初給料をもらい、自分の働いたものが数字として見えるものに変換されていることに喜びを覚えた。
このお金の使い道は決まっている。
しかし、何を買ったらいいのかわからず一週間くらい経っていた。
明日からゴールデンウィークが始まり、その次の週には谷口さんの誕生日を控えている。
何か盛大なことをするわけではない。
誕生日に谷口さんにプレゼントをもらったから返すだけだ。ただ、谷口さんくらいの女性がなにがほしいのか全くわからないので悩んでいる。
ちょうど、目の前に谷口さんと同い年くらいのお姉さんがいるのでこんなチャンスはないと思った。
「美鈴さん、一つ質問いいですか?」
「なになに?! かわいい妹のためなら何でもお姉さんするよ」
美鈴さんはキラキラと目を輝かせている。これはいい回答が期待できそうだ。
「美鈴さんくらいの年齢の人って誕生日になにもらったら嬉しいですか?」
「紗夜ちゃんからもらえるのなら、ティッシュ一枚でも嬉しいかな」
どうやら私は聞く人を間違えたらしい。私の期待とは裏腹に全然まともな答えが返ってこなかったことに落胆した。
「ごめん。冗談だよ。誰に渡すかによるけど、友達からもらうならコスメとかが嬉しいかな。恋人だったらアクセサリーがいいんじゃない?」
「なんでアクセサリーですか?」
「アクセサリーって、ずっと身につけてられるじゃん? いつでもその人のこと思い出して忘れられなくなっちゃうんだよね」
「そうですか。ありがとうございます」
美鈴さんのその言葉に心臓がドクドクと鳴り始める。
忘れられなくなる――。
いつも陽気な美鈴さんが珍しく少し暗い顔をしていた気がしたので、それ以上会話を深堀することはやめた。
良いアドバイスはもらったのかもしれないけれど、やはり、自分で街を歩いてなにかいいものを探すしかない。
私のゴールデンウィークの予定は谷口さんの誕生日プレゼント探しと夜のバイトで埋まることになった。
家に帰るとリビングは明かりがついていて、それだけで胸に高揚感を覚える。
次の日が仕事でも休みでも谷口さんは私の帰りを待つようになった。それが嬉しくもあるし、心配でもある。
谷口さんにはしっかり寝て元気でいてほしいのだ。
「ただいま……」
「おかえり」
荷物も下ろしていない私を彼女はそっと抱き寄せた。バイトで汗が滲み、じとりとしているので、谷口さんにそれを感じられたくなくて、肩を押すけれど離してもらえない。
「紗夜、明日からゴールデンウィークでしょ?」
「はい」
「疲れてないなら一緒に映画見よ」
「なんでですか?」
「紗夜と一緒に見たいから。今日の分のキスはなしでいいから一緒に映画みたい」
谷口さんの声はいつもより弱々しく、なにかあったのかと心配になった。
また仕事で辛いことがあったのだろうか?
私がなにか彼女の辛いことを和らげることは出来ないけれど、これ以上、彼女が辛くならないようにすることは出来ると思った。
「お風呂入ってきます」
「寝ないからゆっくり入ってきな」
私はその言葉に回答せず、自分のできる限り速いスピードでシャワーを済ませた。急いでお風呂から上がると谷口さんはソファーに体育座りをして、眩しそうにスマホを見ている。
「なにみるんですか?」と言いながら、私はそっと彼女の横に腰を下ろす。
「ホラー」
「ホラー好きなんですか?」
「苦手だけど、紗夜と一緒なら見れる」
谷口さんは私の方にぐっと寄りかかってきた。前まではそのことが嫌だったはずなのに今は嫌じゃない自分がいる。スマホの画面が小さくて寄り添って見るしかなかったのだ。
谷口さんはホラーをつけたくせに全然スマホの画面を見ていない。そもそも、谷口さんの家のテレビはミラーリング機能が付いているのに、なぜスマホで見なければいけないのだろう。すごい怖いシーンのはずなのに谷口さんが話を始めてしまうので、さらに画面に集中できなかった。
「ゴールデンウィークなにするの?」
「バイトです」
「じゃあ、日中、一緒に買い物行こう?」
「無理です」
私は谷口さんの誕生日プレゼントを選ばなければいけないのでそんな暇はない。
「一日くらいいいじゃん」
「いやです」
「なんか予定あるの?」
「あります」
「誰と? どこに行くの?」
谷口さんが急にこっちを見るから寄りかかっていた私バランスを崩しそうになる。「一人であなたの誕生日プレゼントを買いに行きます」なんて言えるわけがない。こんな私の行動をいちいち聞かないで欲しい。
「谷口さんに関係ない」
自分でちゃんと考えて、ちゃんと選んで、自分の稼いだお金で彼女に恩返ししたい。ただ、それだけだった。
「一日もだめなの?」
「だめです」
最終日くらいならもう決まっていて暇かもしれないけれど、自分のことを信用していないので、一応時間はたっぷり取っておきたかった。
ちらりと横を見ると谷口さんは頬を膨らましていて、彼女のそんな顔は初めて見るので、私の心のよくない部分になにか刺さったみたいな感覚になった。
「ゴールデンウィーク休み多いから紗夜と遊びたい」
「私じゃなくても谷口さんは友達沢山いるじゃないですか」
「私は紗夜と遊びたい」
「意味分かんないです」
私と遊んだって何も楽しいことはない。そんなの自分が一番よく理解っている。
「紗夜のばか……」
谷口さんがあまりにも酷い顔をするから、私が悪いみたいに思える。しかし、そんな顔されてもゆっくり選びたいのだからしかたない。
「次の週の土日ならいいですよ」
日曜日は谷口さんの誕生日だ。だから、その日ならいくらでもお出かけに付き合っていいと思っている。
「どこでも着いてきてくれる?」
「はい」
そう返事をすると少しだけ笑顔に変わって、私に寄りかかってスマホの画面を見始めた。
私の腕に谷口さんが腕を回してくる。それをはらうこともできたけれど、私にニコニコと嬉しそうにくっついてくる谷口さんを見たらなにもできなくなった。
しばらく映画を見ていると、谷口さんのスマホに通知が一件現れる。
『坂本:会って話したいことある。会えない?』
普通に友達かなにかだろか。ただ、谷口さんがすごい勢いでその通知を削除するからその行動を不自然に思ってしまった。
その名前に少し違和感を覚えつつ、その日はホラー映画が終わるまで谷口さんの横にいた。
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