第32話 誰にでも言ってそうですね
「はぁ…………」
「どしたのそんな大きなため息ついて」
「色々悩みごと多くてさ」
「相談乗ろうか?」
「んー。大人の女性って何もらったら嬉しいかわかる?」
楓に相談する気はなかったけれど、彼女以外に友達も仲のいい人もいないので、こういう相談はできない。つい彼女の言葉に甘えてしまった。
「一緒に住んでる人になにかあげるの?」
「そういう訳じゃない……」
私は少しおどおどとしながら言葉を並べる。楓に知られて、色々聞き出されると何も答えられなくなる自分が想像できたので、咄嗟に嘘をついてしまった。
「んー歳にもよるけど、やっぱりそれなりの年齢なるとブランド物とかは喜ぶって聞くよね」
「ブランド物……」
母が再婚してから、それなりのお小遣いをもらっているが、欲しいものもないのでお金は貯まる一方だった。しかし、そのお金からブランド品なんて買ったら谷口さんは怒るだろう。
何をあげれば喜んでくれるか分からない。
彼女が何を好きなのかも分からない。
そもそも谷口さんのことでこんなに悩んでいる自分の心境が一番よくわからなかった。
谷口さんはいつも私の前では無理をして明るく振舞ってくれる。そんな彼女の心から喜ぶ顔が少し見たいと思ってしまった。
いや違う――。
これはいつも色々してもらってるお礼でそれ以外の感情はないはずだ。
私の頭の中は処理しきれないほど色々な感情が生まれていて、何も手につかないことが多くなっている。
考え事に集中していると誰かに肩を叩かれた。
「紗夜ちゃん、先生が呼んでるよ」
クラスの女の子が話しかけてきて、そのことに違和感を感じた。胸からはどくどくと音が聞こえる。
「うん。おしえてくれて、ありがとう」
「いえいえ。関係ないけど、紗夜ちゃんってめっちゃかわいいよね!」
「え、あ、ありがとう」
クラスの子は満足そうな顔をして遠くにスタスタと歩いて行ってしまう。私はそのまま楓を置いて先生の方へ向かった。
先生の
教室に戻ってくると楓がやたら不思議そうな顔をしている。そうだろうと予想のできた顔だ。
「女の人苦手なの治ったの……?」
やっぱり、楓にもそう見えるらしい。完全に治ったわけではない。今も胸がとくとくと動いて苦しい。ただ、前は会話すらままならなかったクラスの女の子と普通に会話することが出来たことに驚きだった。
「治ってないよ。少し苦しい」
そういうと何故か楓はほっとした顔をして「今日は放課後勉強する?」と言っていて、いつもの楓に戻っていた。
「今日は駅に行こうかなって思ってた」
「私も一緒に行っていい?」
「う、うん?」
楓は恐る恐る私の様子を伺いながら質問してきたが、一緒に駅に行くことになると嬉しそうに私の手を引いて前を歩いていた。
※※※
「紗夜、今日大人しいね?」
横に座る谷口さんがそんなことを言う。この人のせいで最近多くの時間を無駄にしている気がする。
谷口さんが私の誕生日なんて祝うから悪い。
谷口さんが私なんかに優しくするから悪い。
彼女が余計なことをするせいで、私もなにか彼女にしたいと思ってしまった。
真っ直ぐとテレビを見る谷口さんの横顔を見ると、耳にキラリとぶら下がっているものが目に入る。
ピアス――。
彼女の綺麗な雰囲気をより耽美に輝かせるそのアクセサリーは彼女にとても似合っていた。
私が見つめすぎていたせいか、谷口さんがニコニコとこちらを見て嬉しそうにしている。
「私の美貌に気がついた?」
「今日もあほそうな顔してるなと思いました」
「なにそれ」
貶しているのに彼女は歯が見えるくらいニコッと笑っていた。私は何がそんな楽しいのかわからない彼女に不満を抱き、そのままぶら下がるピアスを自分の方へ引いた。そうすると谷口さんが頭ごとこちらに近づいてくる。
「痛い」
「谷口さんが変態なのが悪いです」
「今、変態要素あった?」
「いつもニヤニヤしすぎです」
「紗夜といると笑顔になっちゃうんだ〜」
「誰にでも言ってそうですね」
「私って随分軽い女に見られてるのね」
「はい」
私が彼女のピアスを引っ張るせいで谷口さんの体は今も斜めになっている。痛いはずなのに私の手をはらったり、私を拒否したりしない彼女は本当にただの変態で馬鹿だと思う。
谷口さんはそのまま私の太ももに着地しそうなくらい倒れていて、このままではまた彼女の思い通りのシナリオになりそうな気がしたので引くことをやめた。ピアスを離すと彼女はだるまのように元の場所に戻っていく。
「紗夜、申し訳ないんだけど今週は残業続くから先寝てて? こういうことも一週間はお休みかな」
そう言って谷口さんは私のおでこにキスをしてくる。勝手にそんなことをするわけが分からないし、急な出来事に私の内蔵が驚いておかしな動きを始める。私は彼女の唇が触れた場所を触って彼女を睨んだ。
「これ今日の分だからそんな怖い顔しないでよ」
「する時言ってください」
「ごめんごめん」
全然反省していない謝罪が飛んでくる。
谷口さんが私のためにと始めたこの約束は毎日欠かさず実行されている。それができなくなるくらいということはよっぽど忙しいのだろうか?
「そんな遅いんですか?」
「うん。繁忙期で毎日十一時は過ぎると思う」
「今週の金曜日も?」
私は無意識に聞いていた。今週の金曜日はクリスマスイブの日だ。別にその日は私にとってどうでもいい日だけれど、心のどこかで谷口さんは家にいるのではないかと勝手に思っていた。
「遅いと思う。もしかして……」
次に彼女が何を口にするかわかったので私は急いで立ち上がって部屋に駆け込んだ。
別に期待していたわけじゃない。
そのはずなのに、その日は谷口さんはいないのだと思うと急に心細くなっていた。
今週は独りの日が多くなる。
私は一人でいることの方が慣れているし、一人の方が落ち着くから嬉しいはずだ。嬉しいはずなのになぜか胸にぎゅっと何かを巻き付けられている気分になっていた。
一週間彼女に触れることはない。
私にとっては都合が良かったはずのことが今は何故か違和感に感じてしまう。
いつもの布団の中がえらく寒く感じられて、背中を丸めて縮こまりながら体が温まるのを必死で待っていた。
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