第76話 紗夜のそういう顔、久々に見た

「紗夜、大丈夫? ぼーとしてない?」


 黒の浴衣がよく似合う少女が心配そうにこちらを見ていた。いつも楓には心配をかけてばかりだ。こんな態度はよくないので、体にぐっと力を入れる。


 声を張らないと楓との会話が難しいくらい、辺りは人々の楽しむ声で溢れていた。


 夜で空は暗いのに屋台の灯りが一体を照らし、目に優しくない光が入り込む。


「ごめんね。大丈夫だよ」

「そっか。花火もうすぐだね。会場向かおう!」


 楓が私の手を引いてくれるので、置いていかれないように足を進める。楓の背中を見つめながら私の考え事はまた始まってしまったらしい。


 

 最近の谷口さんの言動は理解できないことが多くて、どう反応したらいいか分からないことが増えた。


 私の症状を治すためではなく、約束でもないのに勝手に触れようとしてくる。


 もしかしたら、私の症状を早く治して、あの家から出ていって欲しいと思うようになったのかもしれない。


 それならそうと言って欲しいけれど、今日、私が家から出ていく時、彼女は酷く悲しい顔をしていたから、何が言いたいのか余計分からなくなった。


 前回のお泊まりの時もそうだが、楓と一緒にいるのに、谷口さんのことばかりなんて私は酷い人間だ。

 楓はいつでも私のことを考えてくれているのだから、私も彼女のことを考えなければいけないと思う。


「楓、いつもありがとう」

「どうしたの急に?」

「ううん。いつも助けられてるなって思ったから」

「紗夜のためならなんでも頑張れるよ」


 楓はふふっと声を漏らして優しく微笑んでいる。

 その顔に胸がずきりと痛む。


 私は楓に何もしてないのに、楓は何故ここまで無償の優しさをくれるのだろう。


 せめてもの償いではないが、私は夏祭りを楓と一緒に楽しもうと思うことにした。


 そう思って歩き出した時に一番見たくない光景が目の前に広がる。

 


「谷口さん……?」


 数メートル先に谷口さんに似た女性と高身長の顔の整った男性がいて、笑顔で話していた。


 てっきり家で待っているのかと思っていたので、今日の谷口さんの予定を聞いていなかった。

 

 私は自分が楓と夏祭りに来ることと、谷口さんに浴衣を着せてもらえるということで浮かれて、周りを全然気にしていなかったのだと反省する。


 反省する必要もないのだろうけれど、私の行動が今のこの胸を締め付ける結果に繋がっている。


 谷口さんは誰といるのだろうか。


 実はいい感じの人がいたりするのだろうか。

 今日はその人との予定が元からあったのだろうか。


 私って谷口さんのことを何も知らないんだ……。


 そんなこと、少し考えればわかるはずなのに、私は全然気が付かなかった。そのくせに、こうやって私の知らない谷口さんを知ると、信じられないくらい嫌な感情が湧き上がるなんて私は馬鹿だ。



 ずっと苦しい感情がぐるぐると巡ると、耳が痛くなるくらい大きな音が響く。



 どーんと音を立てて夜空に咲く花は、去年谷口さんが綺麗だと教えてくれた線香花火を大きくしたような花だった。


 綺麗に四方八方に広がる花火にどくどくと胸が高鳴り、綺麗だと思うものがまた一つ増えた。


 そして、私は綺麗なものを一番に共有したい人がいる。


 谷口さん――。


 楓と来たことが悪いとかそういうわけではない。


 ただ、来年はこの綺麗な花火を谷口さんの隣で、谷口さんと一緒に見たいと強く願ってしまった。


 今まで何回も花火大会に来ては夜空を見上げていたはずだ。

 

 なんでこんなに綺麗だと思うようになったのだろう。



 谷口さんが勝手に私のキャンバスに色を塗り始めたあの日から、私のモノクロだった世界は色付くようになった。


 それを私が何回も黒で塗りつぶすようなことをしても、彼女はそれを白で塗りつぶした後に一から色をつけていく。


 なぜ、私にそこまで出来るのだろう。

 お節介もいいところだ。

 谷口さんはあまりにも優しすぎる。

 私のためではなく、自分のために行動して欲しい。そして、谷口さんには幸せになって欲しいと思ったのだ。


 そんなことをずっと考えていたので、隣の楓の視線に気が付かなかった。


「紗夜、今年の花火は随分楽しそうに見てるね」


 楽しそう?

 私は疑問符を頭に浮かべて彼女を見ると、にこっと微笑んでいた。


「毎年、つまらなそうに見ていたのに、今年は楽しそうだなって思って」

「そうかな」

「うん、紗夜のそういう顔、久々に見た」


 楓はやたら真剣な顔で私を見ていた。きっと、幼なじみの楓から見ても私は変わったのだろう。


 もし、そうだとしたら谷口さんが私の考えを変えてくれた。

 彼女がたくさんの綺麗なものを教えてくれた。

 彼女がたくさんの優しさをくれた。


 全て谷口さんのおかげだ。


 今は谷口さんに会いたい。

 

 この広い会場を探し回ったら彼女を見つけることが出来るだろうか?

 あと少ししか上がらない花火を一個でもいいから彼女と見たいと思った。


 私がソワソワとしていたからか、楓がその様子に気がついてくれる。



「終わったら混んじゃうから今のうちに人の少ないところに移動しとく?」

「うん」


 移動中に谷口さんに会えたらいいな、なんて下心でその場を離れることにした。



 谷口さんに会いたいとは思うが、先程の男性のことを思い出して胸が苦しくなる。


 この綺麗な花火を一緒に見たいと思うのは私だけで、谷口さんはあの男性と見たいからこの場にいるのかもしれない。


 そんな負の感情が巡り、体が少し冷たくなっていく気がした。


 やはり、下心で行動するのはよくない。


 そう思って下を向いて歩いていたから、人とぶつかってしまう。


「すみませんっ――」


 私はぺこぺこと頭を下げて謝った。顔を上げ、ぶつかった相手の顔を見て、今までにないくらい心臓が大きく動き、息が吸えなくなる。


「さよ?」

「ま、ゆ……?」



 呼吸の仕方も口の動かし方も何もかも分からなくなっていた。


 なんで真由がここにいるのだろう。


 また、気持ち悪いと思われる……?


 そう思うと心臓が破裂しそうになり、その場に立っていられなくなった。


 私は空気を吸って吐くことすら出来なくなり、酸素を取り入れようと吸ってばかりいるので、余計呼吸が上手くできず、視界がぼやけていく。



「紗夜! さよ! さ……よ……」


 楓の声が遠くなっていくのと同時に視界が暗くなっていった。

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