第18話 もう少しだけここにいて?
「はぁ……」
この家に来てから、気を使わなくてよくなったけど溜め息と考えごとは増えた気がする。
私の枕元に置いている、ほつれの目立った手のひらサイズのうさぎのぬいぐるみがこちらを見つめてくる。抱きしめるには心もとないうさぎと一緒に薄い毛布を抱き寄せた。
先程から不自然な呼吸を繰り返して苦しくなっていくので、一度大きく吸って体の中の空気を全て吐き出す。
深呼吸をすると少しだけ胸のわだかまりがほぐれた気がした。
好きだった人に拒否されて、塞ぎ込むくらい傷ついた。
彼女のことを恨んでいるかと言われれば今はそうでもないかもしれないけれど、私がこうなってしまった原因の一つだ。その時は好きだった人のことを最低だと思っていた。
しかし、私は谷口さんに似たようなことをした。昨日の谷口さんの顔が今も忘れられない。
すごく悲しそうだった……。
後悔してもしきれない。
嫌だったわけじゃない。
ただ、あそこで否定しなければ私がそういうことがするのが嫌じゃないみたいに思われそうでいやだった。
…………
言い訳ばかりを考えるのではなく、謝るべきだ。私はゆっくりと一歩一歩踏み出し、ドアを開ける。
「わぁ!? 紗夜!? おはよう……」
谷口さんが何故か扉の前にいて珍しく焦った様子だ。急な出来事で私は声も出なかった。
「朝ごはん食べる?」
「はい……」
「作ったからおいで」
かなりぎこちない私たちはリビングに向かった。しかし、谷口さんが変だったのは最初だけでそれ以降はいつものように接してきて、昨日のことなんかなかったんじゃないかと思うくらい普通だった。
いつもそうだ――。
何かあっても次の日には彼女は平気な顔をしている。これが大人というものなのかもしれないし、本当は無理をしているのかもしれない。
「谷口さん……」
「どうしたの?」
「ご飯食べ終わったら少しいいですか?」
「う、うん?」
私は急いで片付けを済ませ、谷口さんが待っているソファーに横並びで座る。ここに座ると昨日のことを思い出し、胸が苦しくなった。
「あの……」
「うん?」
「…………」
こういうふうに自分の思いを伝える機会なんて今まで少なくて、どう伝えたらいいか分からず言葉に詰まってしまった。
自分のしたことに反省している。だから、その反省を言葉にする以外に必要なことなんてないのに、それすら出来ない自分がどんどん嫌になる。これ以上、嫌な感情に埋め尽くされないように口を開けた。
「昨日のことなんですけどすみませんでした……」
「なんのこと?」
谷口さんは本当にわかっていないのか、とぼけているのかわからない。このまま谷口さんに甘えて話を終わらせても良かったのだが、それではいけないと私の良心が働いた。
「谷口さんが傷つくようなことしたと思ったので……」
「うん。傷ついた――」
その言葉に鼓動がドクドクと強くなる。
やっぱり、谷口さんは傷ついていた。心のどこかで自分の勘違いだったらいいな、なんて都合のいいように解釈していたが、そんなことはない。
「嫌だったわけじゃないんです」
「じゃあ、なんであんな事したの? わざと?」
「わざとじゃないです」
「理由教えてよ」
今まで誰にも気を許さず、信じない生活が当たり前だった。こんな短い期間しか一緒に過ごしていない谷口さんに気を許し始めている。
そして、谷口さん帰りが遅いだけで寂しいと感じ、私は女性が怖いはずなのに彼女の行動をすんなりと受け入れてしまった。
そんなことは口が裂けても言えない。
そんなこと言ったら私の大したことのないプライドがもっと傷つく気がして言えなかった。私が答えられずにいると谷口さんの口が開く。
「じゃあ、その言葉がほんとだって証明して?」
はっとして目の前の女性の顔を見るとニコニコとしていた。
また、遊ばれている?
しかし、言葉ではどうしても上手に説明できない私には行動することしか残されていなかった。無かったことにはできないけれど、それで少しでも罪滅ぼしができるのなら今はそれでいいと思う。
私は谷口さんの太ももの上にまたがるように座った。こんな密着する体勢では恐怖症がより強く発症して呼吸が上手く出来なくなってしまう。
「さよ……?」
谷口さんがこういうことを求めてきたくせに不思議そうな顔をしていた。なんだかんだ谷口さんは優しいので私に嫌なことはしてこない。
その優しさに甘えたくなるが、今は私の反省を証明する時間なので苦しくても辛くても進めなければいけない。
彼女を見下ろすときょとんという顔で私を見ていた。
いつも、私が見下ろされてばかりだから、たまには私が見下すくらいがちょうどいい。
私はそのまま密着するように彼女を抱き寄せた。
もう体のどこもかしこも熱くて使い物にならなくなっている。これ以上は限界だと思い、離れようとするけれど、逃がさないと言わんばかりに腰に手を回してきて、さっきよりも彼女との距離が縮まった。
これ以上、この距離でいることは無理そうだ。
「――これで嫌じゃなかったって伝わりました?」
「まだ信じられないかな」
彼女はまだ許してくれないらしい。これで足りないなんて今日の谷口さんは意地悪だ。
「谷口さんの変態……」
「いいよなんとでも言って。ただ、傷ついたから」
その言葉に胸がズキズキと痛む。
私は谷口さんの傷ついた気持ちがわかるから余計辛くなっていた。そして、何とは言わないけれど彼女が私に何を求めているのかもわかっている。
大丈夫――。
そんなこと好きだった人と何回もした。
谷口さんにだって一回したことはある。
「目つぶってください」
「やだよ」
「私が苦手なの分かっててわざとやってます?」
「嫌じゃなかったこと証明してくれるんでしょ?」
どうやら、今日は私の甘えた道は全て閉ざされているらしい。私は抵抗することを諦め、動くことの止まない鼓動を無視して少しずつ彼女との距離を詰める。
嫌だと言ったくせに私がそうすると彼女は目をつぶってくれた。そのまま、彼女の顔の柔らかい部分に自分の唇を押し当てる。すぐに離れようとしたら私の首に手が回っていて離れられなかった。
谷口さんのまつ毛と私のまつ毛が交差する距離。
さっきまで閉じていた目は少しだけ開いて私のことを熱く見つめてくる。その行動に息が止まりそうになる。
わかっている。
これは昨日の反省だ。
だから、ここでどんなに嫌でも辛くても彼女を否定することは絶対にしてはいけない。
どっちが先だったかなんてもうわからない。
いや……私から先に彼女の熱を求めた。
そんなこと認めたくないけど認めざるを得なかった。これは昨日の反省でそれ以外に意味は無い。
彼女と体温が交わり、逃げたくても谷口さんが私の舌を絡めとって絶対に離してくれない。
そのことに呼吸が段々と苦しくなる。
どれくらいの熱が交わされたかはわからないけれど彼女との距離が離れた。好きでも付き合ってるわけでもない谷口さんとこんなことをしたのだ。
流石に許してくれるだろう。
もう体の芯から熱くて一刻も早くここから抜け出したかった。
「谷口さんのばか」
「紗夜、かわいい」
その意味のわからない言葉のせいで一気に顔に熱が集まり、私は逃げるように彼女の膝から降りようとするがそれすらも阻止される。
「もう少しだけここにいて?」
谷口さんは私の服をぎゅっと掴んでいた。その声が彼女にしては珍しく弱々しくて、私は深く反省した。
こんな大人の人でも不安になるくらい最低なことをしたらしい。
私の胸の音が聞かれそうで怖かったけど、もっと怖い思いをした彼女をそっと抱きしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます