第22話 雨女、指摘する
シエナ王国の聖女が
その話はザート領の領主であるバクサと同様に、ティアナのもたらす雨で困っているサマク領の領主モンドの耳にも入ってきた。
サマク領とは国内で最も
「我が領地の問題も提言した方がいいかなぁ。そうした方がいいに決まっているよなぁ。でもなぁ……相手は王族お抱えの聖女だぞ。どうしよう」
急死した父から領主の任を継いだモンドのうじうじした態度には領民もほとほと呆れていた。同じような境遇のドラウトとは雲泥の差だと影で悪く言われている。
しかも、モンドは理由も語らずに
バクサのように自ら動かないのであれば、決起するしかない! とまで領民に決意を固めさせてしまったわけだが、モンドは保身に走るわけでもなく、領民のために奔走するわけでもなく、ただ執務室の中をうろうろするだけだった。
こんっ、と扉を叩く音がした。
モンドが応じる声とほぼ同時に慌てた様子の執事が飛び込んで来た。
「た、大変です! 聖女様がお越しになられました!」
目を丸くするモンドは言われるがままに応接室へと急いだ。
「はじめまして、モンド卿。シエナ王国から参りました、ティアナと申します。突然の訪問をお許しください」
「とと、とんでもありません。何のお構いもできず、申し訳ありません」
ミラジーンだけを連れて、来訪したティアナが丁寧に頭を下げる。
ふと、ティアナの視線は恐縮するモンドよりも顔色の悪いメイドへと向いてしまった。震える手でティーポットからカップへ紅茶を注ごうとしているメイドを見かねたティアナはそっと自らの手を重ねた。
「気負う必要はありません。わたしは突然やってきた無礼者です。心中でそう言い聞かせれば、手の震えも止まりましょう」
「は、はい……っ!?」
彼女の気持ちがよく分かるからこそ何か伝えたかった。
かつて、ケラ大聖堂で第二聖女をやってきた時のティアナも同様にお茶汲み係を任されたことがある。言わずもがなマシュリの命令によるものだ。
相手は大公爵家の当主様で予定外の来訪者だった。
ティアナは内々でこれは神から与えられた試練なのだと自分に言い聞かせ、息を止めながら給仕した。
あの時、内心で相手の悪口を言ってでも心を落ち着かせて、手の震えを止めることができたなら粗相はしなかったはずだ。
今更、後悔しても遅い話だけど、同じように心の傷を負って欲しくない。
そんな気持ちから自分のような他国出身の雨女に萎縮する必要はないのだと伝えた。
「ボクがやろう。君は下がって構わないよ」
優しくティーポットを取り上げたモンドの行動に驚いたティアナは、何も告げずに一礼して退室するメイドを見送った。
「聖女様は尊いお方ですから簡単には心を落ち着かせることは難しいです」
メイドと同様に震える手でティーカップに紅茶が注がれた。
「いただきます」
適温の紅茶を一口飲んで目を閉じる。
いつもドラウトの屋敷で出される紅茶よりも香ばしい。
「今日は
再び、頭を下げたティアナにモンドが手を振って応える。
「レインハート王国の貴重な資源である
「……は?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔のモンドの前で紅茶をもうひと啜り。
「わたしは適切な湿度や温度が分かりませんのでご要望を聞きたいのです」
「は、はぁ……」
理解が追いつかないモンドはティアナに言われるがままに鉱山へ向かい、休職させている職人たちを呼び寄せた。
鉱山を視察し、そこで働く職人たちと意見交換をしている間、ティアナは入り口で人々の働きを見ていた。
(本で読んだよりも過酷なのね。こんなに危険な場所での採掘作業となれば、崩落や地滑りだけは起こしてはいけないわ)
すで龍神リーヴィラによってマーキングが施され、この地一帯には雨が降らないようにされている。
それでも、すでに地面は雨水を吸っているだろうから油断はできない。
やがてモンドはばつが悪そうに頭をかきながらティアナの元に戻ってきた。
「作業効率を上げるために休憩所だけでも湿度を下げられないかという意見が出ています。難しいですよね……?」
ふむ、と人差し指をあごに当てたティアナがアンクレットへと視線を向けた。
「できますよね」
『断定すんなよ』
「できないの?」
『できないなんて言ってないだろ~。オレはこの国の守り神だぞ』
モンドにはリーヴィラの姿は見えず、声も聞こえない。
ティアナが独り言を終えたと思えば、いつの間にやら彼女の足首にあった黄金のアンクレットは消えていた。
定位置から地面へと這い出たリーヴィラが何かをつぶやく。すると、じめじめした空気がカラッと爽やかなものへ変化し、職人たちの希望に寄り添った気候へと様変わりした。
「お、恐れ入りました、聖女様」
超常現象を目の当たりにして乾いた笑いを漏らしてしまったモンドに、ティアナは満面の笑みで応える。
「
「心配はご無用です」
そう言うモンドの手には発掘されたばかりの原石があった。
「雨が降ろうとも
モンドの背後ではすっかり汚れてしまった服の職人たちが揃っていた。
「原石が採掘できなければ、宝石へと加工できず、販売もできない。多くの人が職を失うことは分かっていましたが、彼らに危険な場所で働け、なんて命令はできません」
ティアナは、はっとした。
それは職人たちも同様だった。
その反応から合点がいったティアナは差し出がましいと思いつつも、意を決してモンドへと告げた。
「わたしは貴族ではないのでドラウト陛下の言葉の真意を受け取り損ねたことがあります。陛下は言葉足らずなのです」
少しだけ拗ねたように唇をすぼめたティアナだったが、きりっと表情を切り替えて指摘する。
「もしかするとモンド卿もそうなのかもしれません。そして、領民の皆さんはわたしと同じなのでしょうね」
ころっと表情を変えたティアナの微笑みは雲の切れ間からさす陽の光のようで、見ているだけで心が温まるものだった。
「もう少しだけ皆様とお話することをお勧めいたします。誰もがモンド卿のように察しが良いとは限りませんから」
「……ご忠告、痛み入ります」
あっ、とティアナが手を打った。
「今の話は陛下には内緒にしてくださいね」
「もちろん、心得ています」
苦笑するモンドはティアナの胸元で揺れるオレンジ色の宝石に気づいた。
これはランタンフェスティバルの際にドラウトからプレゼントしてもらったもので、ネックレスの先端で揺れる
フェスティバル以降もお気に入りのジュエリーとして普段から肌身離さずにいる。
「それはボクがカットした
「そうなのですか? これが?」
「はい。見間違うはずがありません。我が子も同然ですから」
そう言って、ティアナが持ち上げたネックレスの先にあるオレンジの宝石を少年のような瞳で見つめるモンド。
その姿は領主としての立場でいる時よりも輝いて見えた。
「モンド卿は元は宝石職人でしたね」
「えぇ! よくご存知ですね」
下調べはバッチリですもの、と内心で胸を張る。
「父が急逝して、急遽ボクが当主を継ぎましたが慣れなくて。宝石たちにも触れないですし」
肩を落とすモンドに対してティアナは何か伝えたくて仕方がなかった。
自分はこれまでにやりたいこともなければ、何かに打ち込んだこともなかった。
でも、この人は違う。
やりたいことを奪われ、政務に勤しむことを強制されている。
そういう意味では聖堂内に軟禁されていた過去の自分の姿とも重なった。
「先ほどの原石がこのような美しい宝石になるのですね」
「そうなんです! 土にまみれた石ころがこんなに光り輝くんです!」
「わたしは誰よりも
「そんな、畏れ多いです! 聖女様にそのようなことを仰っていただけるなんて」
「わたしはこの国がドラウト陛下の理想とする国になることを願っているただの雨降し女です。そんなに畏まる必要はありません」
踵を返したティアナの背中に向かって頭を下げたモンドは、彼女からのアドバイス通りに職人たちと話し合いの場を設けて、より安全に
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