第25話 雨女、ファミリーネームを得る
晴れ渡る朝空の下、ティアナとドラウトの結婚式当日を迎えた。
初めて訪れた王都の綺麗でおしゃれな街並みに興奮していたティアナだったが、日が近づくにつれて口数が少なくなった。
そして今日は朝から食事が喉を通らないほどに緊張している。
「お天気もお二人を祝福しているようですね」
「そうだね」
陽の光を手で遮りながら空を見上げるミラジーンと異なり、ティアナはちょっぴり苦笑顔だ。断じてマリッジブルーではない。
その理由は式の会場が屋外ということにある。せっかくのお祝いの席なのに自分のせいで出席者をずぶ濡れにしてしまうことが苦痛だった。
いよいよ入場が始まり、純白のベールを被せてもらったティアナがドラウトの元へと向かう。バージンロードを進むにあたってのエスコート役はいない。
レインハート王国では、エスコート不在でもなんら問題はなかったから良かったものの、ここがシエナ王国だったならばティアナは大恥をかいていたところだ。
ティアナが一歩進む度に空は陰り、小雨が降り始める。
ウェディングドレスに身を包んだティアナの足首に龍神リーヴィラの姿はなかった。
ベールの下から視線だけを動かして周囲を見渡す。
各領地を治める貴族にとってティアナは恩人だが、王都に住む上級貴族にとってはその限りではない。
彼らは無遠慮に雨に降られた、とあからさまに鬱陶しそうな顔をする。
しかし、ティアナは歩みを止めなかった。
「ドラウト様はとんでない女性を
「なにも外で式を催さなくてもよろしいのに」
「最初は良かったけれど、こうも雨続きだとねぇ?」
レインハート王国側からはそんな心ない言葉がティアナの耳に届いた。
反対席に座るシエナ国王の代理はじっと式の行く末を見つめていて無言だ。
他の三国を代表する参列者も噂の聖女を睨むように見つめていた。
雨の中でも式は滞りなく進み、残すは誓いのキスだけとなった。
ティアナに被せられたベールがドラウトの手によって持ち上げられ、彼の顔が近づく。
ドラウトの魔法で視力が回復して以来、美しい尊顔は何度も見てきたがここまで接近するとやはり照れてしまう。
それでも式の途中だから、と自分に言い聞かせて堂々とドラウトの唇を受け入れた。
初めてのキスが人前でだなんて恥ずかしい。
でも、それ以上に幸せだった。これまで誰にも必要とされてこなかった人生が昨年の誕生日に突然変わってしまったのだから――
「綺麗だ」
唇が離れた直後、ドラウトの流し目と共に告げられた言葉に目を見張る。
ただでさえ恥ずかしいのにダメ押しされては必死に抑えている感情も爆発寸前だ。
「あ、空が……っ!」
「雨があがったわ」
ドラウトがティアナの手を取って見つめ合う中、参列席からそんな声が聞こえてきた。
先程までレインハート王国全土に降り注いでいた小雨が止み、雲の切れ間から陽の光が差し込んだ。
「うわぁ、綺麗!」
「これが空を穿つ
さっきまで小言を言っていた貴族連中も摩訶不思議な現象に空を仰ぐ。
地上から空にかけて現れる七色の円弧状の帯。
二人を祝福するように空に掛けられた虹が再びレインハート王国で観測された。
ティアナとドラウトを照らし、今日が特別な日であるということを全国民に知らしめているようだった。
「ティアナ・レインハート。きみの新しい名前だ」
「わたしがレインハートを名乗れるだなんて……。はい! 大切にさせていただきます」
そっと胸の前に手を置く。
誕生日を目前に控えたティアナは少しだけ早い最高の誕生日プレゼントに感涙し、大切に心を込めて何度も何度も自分の名前を唱えた。
◇◆◇◆◇◆
無事に式が終了し、その後は王都を馬車で凱旋する手筈となっている。
ティアナが想像していた以上の国民が祝福に来てくれていて、思わず涙を流してしまった。
ドラウトに抱き寄せられ、胸を借りて涙を拭う麗しの聖女の姿に国民たちは心を奪われた。
婚約式を催さず、結婚式後のパレードが王都に住む国民たちへの初お披露目となったティアナは日照り国に雨をもたらした聖女としても、国王陛下の妃としても恥じない佇まいでパレードを終えた。
それもこれも教育を施すように手配してくれたドラウトと、家庭教師たちのおかげだ。ティアナは心からの感謝の言葉を伝えた。
休む間もなく披露宴の準備へと移る。
披露宴の会場へ向かい、髪型、アクセサリー、ドレスを含め、衣装替えにてんやわんや。
こんなにも一日に何着も着替える経験のないティアナにとっては異例の出来事で目が回りそうだった。
「疲れていないか、ティアナ嬢」
「大丈夫です。ありがとうございます」
披露宴会場の入り口で眉根を寄せてくれるドラウトに微笑み返す。
今のティアナは紺色のドレスを着ている。雨をもたらす聖女らしく装飾品も寒色系のものでまとめられている。そんな中で唯一、色味の異なるネックレスが一つだけあった。
淡いオレンジ色の宝石はレインハート王国特産の
「とても似合っているよ。あまりティアナ嬢を他人には見せなくないのだが、今日ばかりは仕方ないな」
「そんな……ありがとうございます。あ、ドラウト様、もう"嬢"は不要ではないですか?」
「……ティアナ。んー、慣れないな」
ふふふ、とお上品に笑う姿にドラウトの頬が朱に染まる。
日々のレッスンをクリアしたティアナは以前の純真無垢さの中に大人の色香と気品が混じり、誰が見ても魅力的な女性への成長を遂げていた。
披露宴が始まり、招待客との挨拶をする間もティアナは微笑みを崩すことはなかったが、彼女の表情が硬くなったのはシエナ国王の代理として来ていた女性と会ったときだった。
「この度はおめでとうございます」
「ありがとうございます、マルグリット様」
ドラウトが少しばかり怪訝な顔をする隣でティアナは丁寧にお辞儀した。
マルグリット・シエナ。
現シエナ国王の第二夫人であり、ギルフォード王子の母親である。そして、第一聖女マシュリの遠縁の叔母にあたる人物である。
「遅くなりましたが、ギルフォード殿下とマシュリ様のご婚約、心よりお祝い申し上げます」
「ふん」
ティアナの一点の曇りもない純粋な眼差しには嫌味や皮肉といった類いのものは見受けられない。マルグリットは面白くなさそうに洋扇子で口元を隠し、ドラウトの方を向いた。
「我が国からの贈り物はお気に召したようで何よりです。まさか、偽物を妻に迎え入れられるとは驚きですが……。レインハート王は趣味が独特のようで」
「なにを言いますか、マルグリット殿下。ティアナのように美しく、聡明で、努力家な女性をレインハート王国に嫁がせてくれたことを感謝しているのですよ」
「いくら美しくても聖女のなり損ないでは役不足でしょう?」
「とんでもない。ティアナのおかげでレインハート王国は潤い、貴国からの援助も不要になりました。シエナ王には使いを出したのですが聞いておられないのですか?」
さらっと呼び捨てにされて、とことんまで褒められれば顔も熱くなる。
ぐぬぬぬぬ、とあからさまに悔しがるマルグリットを前にしても、一切、目の笑っていないドラウトが口撃をやめることはなかった。
「そちらの聖女はさぞ優秀なのでしょう。マルグリット殿下のお言葉を借りるなら"本物"なのですから。シエナ王国は安泰ですね。新婚旅行ついでに訪れてみたいものです」
「そ、そうですわね。……えぇ、是非いらっしゃって下さいな」
歯切れの悪いマルグリットの姿に小首を傾げるティアナだったが、ドラウトが
「ドラウト様と一緒にシエナ王国に行くのですか!?」
「見せつけてやればいいんだ。シエナの連中はティアナ嬢の美しさに今頃になって気づくことになる」
「そんな、まさか。ドラウト様は冗談がお上手ですわ」
披露宴も終盤に差し掛かり、一息ついたティアナの元に挨拶にやってきた人に目を見開いた。
「まさか……マシュリ様!? どうしてここに……!?」
厚化粧かつ
「国外追放された身の分際で他国の王家に嫁いだと聞いたから見に来てやったのよ」
不遜な態度はそのままに第一聖女、マシュリ・ヒートロッド伯爵令嬢はティアナの前で華麗にカーテシーしてみせた。
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