第26話 雨女、再会する

「国外追放された身の分際で他国の王家に嫁いだと聞いたから見に来てやったのよ」


 一時的にドラウトが離席していることを良いことに尊大な態度を取るマシュリ。

 ティアナは少なからず動揺したが、一度息を吐き、王妃らしく毅然とした態度で応じた。


「お久しぶりでございます、マシュリ様。ご息災で何よりでございます」

「なにそれ? 平民上がりのくせに偉そうに。弱国の妃になったからっていい気にならないことね。よくお聞きなさい。私はシエナ王国の王太子妃になるのよ。そして、いずれは王妃になる」


 王太子妃!?

 今のシエナ王国の王太子はヘンメル第一王子のはず。

 そして、マシュリはギルフォード第二王子の婚約者のはず。


 混乱を極め、口を半開きにするティアナにマシュリが薄ら笑みを浮かべた。


「糸目雨女が随分とましになったじゃない。日照り国へ追放したのは間違っていなかったようね」

「え……えぇ……はい」


 動揺を隠せなくなり、言葉もすらすらと出てこない。


「こんなご立派な披露宴まで挙げさせてもらえるなんて、どうやって騙したのよ? あんた、天性の詐欺師ね」

「……っ…………マシュリ様のお姿は挙式の時にはお見かけしませんでしたが、披露宴からのご出席ですか?」


 詐欺師と呼ばれて嬉しいはずがない。悔しさを押し殺して、話題を変えたのはいいが、ティアナはマシュリに招待状が送られていることを知らなかった。


「あんたの晴れ舞台に興味はないわ。マルグリット様のご厚意でご一緒させてもらっているだけ」


 頭からつま先まで舐め回すように見ていたマシュリの動きが止まる。その視線はティアナの胸元にくぎ付けとなっていた。


「な、なんで!? どうして、あんたが乾宝石かんほうせきを身につけているのよ!」

「あ、これですか? ドラウトからのプレゼントです」


 クリクリの目を細め、指先でオレンジジュエルを愛おしそうに包む姿は恋する乙女のようだ。


 マシュリは考えるよりも先に身につけているネックレスを手繰り寄せようとした。

 ドレスの中に隠されているのはギルフォードから「絶対にレインハート王国では表に出すな」と忠告されている宝石だ。

 しかし、頭に血が上っているマシュリはギルフォードとの口約束を失念していた。


「あんただけが特別じゃないのよ。私だって――っ!」


 マシュリがネックレストップをティアナに見せつけようとした矢先、ガシャン! とグラスが砕ける音がした。


「……テ、ティアナ……なのか。本当に俺が追放した、あの女だというのか」


 足元には割れたグラス。

 騎士服を模したような高貴な服がワインで汚れても気にせずに立ち尽くしているのは、ギルフォード・シエナ第二王子だった。


「ギルフォード殿下! お怪我はありませんか⁉︎ すぐにお片付けを」


 マシュリの礼を欠いた態度を見て見ぬふりをしていたミラジーンによって、ティアナの安全は確保されている。


 速やかに割れたグラスは片付けられ、来賓であるギルフォードに対しては別室への移動を提案したが彼はその場から動かなかった。

 正しくは動けなかった。


「本当に、ティアナ……あの雨降し女なのか――」

「それは僕の妻に対する冒涜行為だ」


 重々しい空気が披露宴会場を支配する。

 よく通る低い声に背筋を伸ばしたギルフォードが壊れた人形のように首を回した。


「……ドラウト陛下。くっ……失礼いたしました」


 その人の魔力量を正しく認識できる参列者は恐れ慄き、魔力に馴染みのない国の参列者はただただドラウトの冷徹な雰囲気に恐怖した。


「お母上の教育が行き届いていないようだな。あの親あって、この子ありとはよく言ったものだ」


 マルグリットが他国の王妃とあって大人しくしていただけで、実際のところドラウトのはらわたは煮え繰り返っていた。それこそ、ティアナに性悪な顔を見せないように一時退席するほどに。


「そちらの方は我が国の妃であり聖女だ。これ以上ないほどに尊いお方だぞ。それを雨降し女だと? 身を弁えよ」

「…………黙っていれば、偉そうに」

「なに?」


 ドラウトの魔力がよりどす黒くなる。

 しかし、ギルフォードは気づく気配もなく吠える。必死に彼の腕を引く、マシュリの顔色が悪いことなど当然、気遣えるはずがない。


「俺はティアナを幼い頃から知っている! コレが16歳になるまで待っていたのだ!  16歳になれば俺のものになるはずだった。それなのにーーっ‼︎」


 貴公子の皮が剥がれ落ち、性悪な心根が露わになる。

 見たこともないギルフォードの邪悪な顔にティアナは息を呑んだ。


「渇水被害が甚大だと気遣って寄越してやったのに嫁に貰うだと!? なんだこの仕打ちは! 聖女は我が国の……俺のものだ! ティアナは返してもらうぞ!」


 ギルフォードの手が伸びる。

 しかし、ティアナに触れることはできず、ドラウトによってはたき落とされた。


「では教えてくれ。僕が知らない一面を。幼い頃から知っているのだろう?」

「……それはっ……と、とにかくティアナは俺のものだ! ずっと前から気にかけていたんだ」


 呆れて言葉を失ったドラウトはあわあわしているティアナへと向き直り、そっと手を差し出した。


「ティアナ嬢、きみが選ぶといい。シエナ王国に戻りギルフォード第二王子と共にゆくか、僕と未来を歩むか」

「そんなの決まっています」


 ドラウトの瞳を見据えたティアナな間髪入れずに即答した。


「"嬢"は不要だとお伝えしたばかりですよ」

「そうだったな、ティアナ。ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございます。わたしを必要としてくださって――」


 やるせない気持ちを押し殺すことができないギルフォードは「やめてください」と涙を浮かべて懇願するマシュリを見て舌打ちした。


 腕を振り払われたマシュリがよろける。


「女性を蔑ろにするものではない。お連れは真の聖女なのだろう? シエナ王国は安泰ではないか、なぁ、ギルフォード第二王子?」

「俺を二番と呼ぶな! 俺は王太子になるんだ。マシュリ!」

「は、はい‼︎」


 ドラウトの魔力に当てられたマシュリは上擦った声で返事するのがやっとだった。


「真の聖女の力を見せてやれ!」

「え……そ、そんな――」

「できないのか⁉︎ 俺の命令だぞ‼︎ 俺に相応しい女だと証明してみせろ!」

「は、はい」


 ガタガタと震える唇から出たか細い声。

 震える手のひらから浮かび上がった水球はすぐに弾けて床を濡らすだけに終わった。


「あっ――」


 誰かが声を出しそうになる。だが、見開かれたドラウトの鋭い眼光と向けられた手によって続きの言葉は紡がれなかった。


 会場内は沈黙に包まれ、なんともいたたまれない空気が漂う。


 ギルフォードの顔が熱を帯び、怒りに震える拳から指を一本立ててティアナに向けた。


「こいつは偽物だぞ! シエナ王国では役立たずだった雨女だ! 全員、騙されたんだよ!」


 ギルフォードの絶叫が木霊する。


 静まり返った会場で一番最初に手を挙げて発言許可を求めたのはティアナでもミラジーンでもなく、ザート領の領主バクサだった。

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