第9話 ドラウト、胸中を語る
※ドラウト視点
ティアナと別れて執務室へと移動したドラウトは椅子に背を預け、深い息を吐いた。
ティアナと離れてからも胸の高鳴りは止みそうになく、呼吸も速くて苦しい。こんなことは生まれて初めてだった。
「……まずいな。幸せの濁流に飲み込まれそうだ」
胸を押えての呟きをかき消すようにノック音が聞こえた。
入ってきた
「やはりここら一帯の領民は野蛮ですね。雨が止んだらすぐにミラジーンを湖に落とせってうるさかったですよ」
立場があるから仕方なく敬語を使っているといった話し方をするリラーゾだが、ドラウトが彼を咎めるようなことはない。
「彼らがいなければ砂竜の飼育はできない。ある程度は許容してやれ」
キュウサ領の領民には砂漠の移動手段である砂竜の繁殖、日常的なケア、健康管理、トレーニングを任されている。ここに住む領民たちは砂竜の扱いに関しては国内トップクラスなのだ。
「それにしても上手く聖女様を利用されましたね。少々強引ですが、馬鹿げた儀式を終わらせることができた。先代が年に一度の開催にまで頻度を減らしてくれましたが、廃止には至りませんでしたからね」
「僕は後悔しているんだ。ティアナ嬢を騙してしまった」
「本物の聖女か分かりませんからね。疑ってかからないと。あれで領民も信じたでしょう」
「自分で始めたことだが、二度とこんなことはしない。純粋なティアナ嬢の心を踏みにじるようなことは――」
奥歯を噛み、手のひらから血が出るほどきつく拳を握る姿を見れば、今の言葉が本心なのだと信じるしかない。
「それで、例の件はどうだった?」
普段ならもっと領主や領民の反応を聞いてくるのに話を切り上げるとは珍しい。興味がないというよりも、他のことで頭がいっぱいのようだ。
そんな風に勘ぐりながらリラーゾは懐から紙の束を取り出した。
ドラウトがまとめられた報告書に目を通し、忌まわしげにそれを丸めた次の瞬間、空気が重々しくのしかかった。
そして、ドラウトの体内から膨大な魔力が漏れ出て、ローテーブルに置いたグラスが砕け散った。
ぽたぽたと床を濡らすのは、レインハート王国特産の
ドラウトは幼少期から魔力コントロールを誤るなんてことはなかった。
それを知っているリラーゾだからこそ、この話を続けるべきか悩んだ。
ケラ大聖堂でのティアナの扱いについて書かれた報告書はドラウトの指先から離れ、小さなろうそくの炎に焼かれて灰となって机の上に落ちた。
「シエナ王国にはどれだけ尊い女性を虐げていたのか教えてやる必要があるようだ。僕は未来の妻を酷い目にあわせた連中を許さない。さて、どうしてやろうか」
「屋敷を壊さないでくださいよ。何代も前の国王が建てた別邸なんですから」
冷や汗を垂らすリラーゾに注意されたドラウトは漏れ出た魔力を体内に戻した。
平静を保とうとしているにもかかわらず、「そういえば――」とあごに手を当てたリラーゾが続ける。
「昨日、部屋へ案内した際、こんなに広い部屋は初めてだ、と言っていたそうですよ。以前は物置部屋で寝起きしていたらしくベッドにも感動されていた、とミラジーンから聞きました。おーい! 落ち着いてくださーい」
またしても魔力が爆発寸前まで膨れ上がり、屋敷全体が大きく震えた。
焦ったリラーゾが止めても額に青筋を張ったドラウトは聞き入れなかった。
ドラウトがティアナのために用意させた部屋はただの客間で、お世辞にも豪奢とは言えない。
ベッドもとてもではないが未来の王妃となる女性が使用するに値しない物だ。それなのにティアナは文句の一つも零さず、むしろ「ふかふかで快眠でした!」と言って満面の笑みだったらしい。
一刻も早く王宮へ連れ帰り、彼女に相応しい部屋で過ごしてもらいたい。
そんな思いを抱くと自分を抑えきれなくなった。
「これが落ち着いていられるものか」
「シエナ王国ではお荷物でも我が国では貴重な聖女だと判明したばかりです。大切にしてくださいね。魔力の暴発で消し炭なんて笑えないんで」
「大切にしない理由がないだろ。彼女は僕の妻になる人だぞ」
ティアナと初めて会った日を思い出す。
優しい水色の髪に、空色の瞳。彼女を中心にして降り注ぐ雨は慈愛に満ちていて少しも冷たくなかった。
そしてあの微笑み。まるで太陽のように暖かく、不純物のない宝石のように美しい。そんな笑顔をいつまでも見ていたくなる。
年齢相当のあどけなさと賢さを兼ね備えた女性に出会ったのは初めてだった。
「こ、これは重症だぞ」
呆れと困惑と驚愕の入り交じった顔のリラーゾ。
さっきから何度も『妻』という単語が出てくるが、自分が離れている間にどんな会話が繰り広げられたのか検討もつかない。
「今までどんな美女にも恋愛感情を持たなかったくせに、コロッと落とされてしまったようで」
「ティアナ嬢は特別だ。僕だけの太陽になって欲しい」
ドラウトの年齢はティアナより7歳も年上の22歳。
長年の付き合いだが、少女嗜好があったのかと疑いたくなるほどリラーゾにとっては衝撃の出来事だった。
「あの目がいい」
「キツネのような?」
ギロリと睨まれ、口元を隠したリラーゾは――失礼しました、と目を伏せた。
「こちらの意図を読もうとしてくる鋭い目だ。いつも何かを思案しているあの眉間をほぐしたくなる」
「はぁ……」
ティアナは肌の色も顔つきもレインハート王国の女性とは大きく異なる。
これまで遠巻きにしか見ていないが、目つきの悪い女だという印象しか持っていないリラーゾには魅力が理解できなかった。
「もう一つ。聖女様にお礼を伝えたいという申し出がこんなに来ていますよ」
ずらりと宙に描かれたのは各領地を治める貴族の名前だ。
「どうしてこんなにある?」
「そりゃそうですよ。今日はレインハート王国全土で大雨が降った記念日なんですから」
「なんだと!?」
ドラウトもティアナもこの地一帯だけに雨が降ったのだと思い込んでいた。
だが、事態は彼らが思っているよりも大事になっていた。
「これは見せようか見せまいか悩んでいるのですが、もう考えるのが面倒なので見せます」
そう言って追加で宙に描かれたのは、先ほどよりも少ない領主の名前だった。
「今度はなんだ?」
「聖女様へ苦言を呈する者たちです」
どれもが大雨の件についてだ。中には降水量に耐えられず、氾濫した川から洪水被害が生じているという報告もあった。
「渇水から一転して洪水か。さすがティアナ嬢だな。すぐに川の改修作業を始めろ」
「すでに着手しています。それにしてもすごい力ですね」
「ティアナ嬢はこれからも聖女であることを僕や国民に証明し続けるだろう。もっと雨が降るぞ。各領主に警戒するように伝えろ。分かっていると思うが――」
「この件は聖女様には内密に、ですね」
ドラウトが重々しく頷く。
その瞳はとてもではないが身内に向けて良いものではなかった。
「ミラジーンにも伝えておけ」
「その必要はないですよ。きっと首だけになってもお守りするでしょう。なんせ命の恩人ですから」
「それならいい。あとは僕たちの婚礼の儀も急がせろ。最終確認は僕がやる。過去最大規模で執り行いたい。長くない命だから後悔はしたくないし、ティアナ嬢の記憶にも僕を刻みたい」
悟ったように頷いたリラーゾが部屋を去る。
レインハート王家の血を引き、短命の宿命を背負うドラウトの幸せが少しでも長く続くように、と願いながら――
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