第10話 雨女、無茶をする

 朝早くに目覚めたティアナはミラジーンを待つことなく着替えを終えて、部屋を飛び出した。これまで身の回りのことは自分でやってきたのだ。わざわざ侍女を待つ必要はない。


 ゆっくり屋敷を探索する時間もなかったが、廊下を歩く度に見えていた庭園らしき場所に向かってみる。渡り廊下の先にあった庭園に植えられた草木は枯れ果て、地面は割れていた。

 まだ太陽が昇りきっていない朝空の下、屋根から体を出さないように気をつけながら周囲を観察する。


「聞いていたよりも渇水被害がひどいのね。王都はもう少しましなのかな」


 ティアナの最終的な目的はレインハート王国の渇水被害を改善させることである。その足がかりとして、この地をどうにかできるか試されていると勝手に勘違いしていた。


「ずいぶんと朝が早いのだな」


 声で誰か分かったが、反射的に目を細めて顔を確認してしまう。

 とっさに頭を下げるティアナを横目にドラウトは雲一つない空を見上げた。


「ティアナ嬢が嫌じゃなければ少し町へ行かないか」

「行きたいです! でも、よろしいのですか? 100パーセントの雨女ですよ?」

「奇遇だな。僕は100パーセントの晴れ男だ。それに雨が降ったとしても、隣にいるティアナ嬢が溶けていなくなるわけではないだろ」


 今日もティアナの話しやすい言葉を使ってくれるドラウト。

 ティアナの頬が朱に染まり、控えめに目を泳がせる。


「ティアナ嬢はあの雨除けを使えばいい。僕は何か羽織るものを持ってこよう」


 一度自室に戻り、外套がいとうを持ってきたドラウトがティアナの隣に立つ。

 肩が触れ合い、ビクッと体を震えさせたティアナを見て、ドラウトは表情を陰らせた。


「すまない」

「違うんです! びっくりしただけで嫌というわけではありませんから!」


 必死に取り繕うティアナはボロ傘をさし、ドラウトから少し距離を置いて町の方へと歩き出した。



◇◆◇◆◇◆



 土砂降りの中、水溜まりを踏まないように注意して歩く。


 町に立ち並ぶ家々はどれもがレンガ造りで四角いのが特徴的だ。

 ドラウトの住む屋敷よりも機能性に優れた造りで、少しでも過ごしやすくするための工夫が凝らされていた。


 町中を進むと子供たちが泥水を浴びながら走り回っていた。


「この子たちにとっても初めての雨だ。これが日常になると良いのだが」


 してみせます! なんて自信満々には言えなかった。渇水を防ぐためには雨が必要だが、過剰な雨は災害に繋がる。だからこそ、害悪と判断されたティアナはシエナ王国では外出を禁じられていたのだ。


 そんな過去があったとしても力強く頷いたティアナは、ドラウトに促されて町の中心にある井戸を覗いてみた。


「昔は水がめたらしい。もうずっと干上がっている」

「誰か下に降りたことはあるのですか?」

「もちろん。だが、何かがあるわけではなかった」


 ふむ、とティアナは目を細めながら暗い井戸の底を睨みつけた。


「飲み水の確保もできず、困り果てたときに手を差し伸べてくれたのがシエナ王国だ。かなり昔からの付き合いで、それが常識になっている」

「この国の果物や鉱石と引き換えにしているのですね」

「その通りだ。全ての水は王都から各領地へ輸送しているが、盗みを企てる者も少なくない」

「その方々はどうなるのですか?」

「大抵が領民や家族のためにやった、と言う。それが最期の言葉だ」


 ボロ傘を握る手に力が入る。

 ティアナの母国でも盗みは刑罰を科されていたが、処刑された者は聞いたことがなかった。


「罪を犯すのはよくありません。でも、罪を犯すしかない環境であることが一番の問題だと思います」


 ドラウトを見上げる瞳により一層、力がこもる。


「レインハート王国の乾果実かんかじつ乾鉱石かんこうせきもとても素晴らしい特産品です。それらを守りつつ、人々が水に困らない国をつくる。それが、ドラウト様の目指す場所なのですね」


 ドラウトは否定しそうになる口を無理矢理に閉じた。

 ティアナの思い描くレインハート王国はドラウトにとって理想郷のようなものだ。だからこそ、そこに至るまでの道のりが遠く険しいことは重々承知している。


「そうだな」

「まずは飲み水をなんとかしましょう。この降りしきる雨を飲むことができれば、井戸が直るまでの一時凌ぎにはなります。なんと言ってもドラウト様のお墨付きですからっ!」

「ティアナ嬢? なにをするつもりだ?」


 この日、ティアナは一日中、外で傘をさし続けた。


 ドラウトは何度も「やめろ」と強く伝えたが、ティアナは頑なに動かず、根負けした彼は領民にあらゆる手を尽くして雨を集めるように指示を出した。

 人々は家中からお皿や瓶を持ち寄り、一滴でも多くの雨を貯めるように協力し始めた。


 ティアナはただ立っているだけだ。それでも高温多湿の環境ではじっとりと汗をかき、呼吸がはやくなるのを感じた。


「聖女様、こちらをお使いください」


 やがて町の人が椅子やうちわを持ち寄ってくれて、ティアナを気遣う姿勢を見せた。


 ミラジーンが持ってきた軽食を食べた後は傘の下でじっと座っているだけ。

 その姿は雨女そのものだった。


「ティアナ嬢、そろそろ日が暮れる。屋敷に戻ろう」

「お断りします。失礼ですが、夜はとても寝苦しかったです。一人一人に祈りを捧げる時間はないので、少しでも皆さんが涼めるならこのままで」

「きみが倒れてしまっては元も子もない。お願いだから休んでくれ」


 汚れた靴と洋服の裾をひと目見てから、ドラウトを見上げる。


「そんな顔をしてもダメなものはダメだ」


 ドラウトの隣ではミラジーンが小さな悲鳴をあげた。

 睨んだつもりはなかった。しかし、そう見えてしまうのも仕方がないくらいティアナの目つきは悪かった。


「きみにもしもの事があれば、僕は耐えられない」


 悲痛に歪むドラウトの顔にティアナの目が丸くなる。


「これからも毎日、食事を共にして今日の出来事を語り合い、未来を描きたい。少しばかり妃教育を受けてもらうことになるだろうが、空いている時間には一緒に出かけよう。だから、無茶なことはしないでくれ。お願いだから」


 片膝をつき、ティアナの手を握る。

 服の裾は泥水で汚れてしまったが、そんなことよりもティアナの身を案じていた。


「未来の妻を一日中、屋外に放置するようなダメな男をこれ以上、惨めにさせないでくれ」

「放置されていませんよ。ドラウト様もずっと一緒に居てくださったではありませんか」

「ずっとじゃない。一時間の内に一度は離れていた。全ては忌々しい公務のせいだ。こんなことなら王になんてならなければよかった」


 本気で拗ねて悔しがる姿は年上とは思えない。

 納得のいかない表情だったティアナは自然と肩の力が抜けて、ドラウトと一緒に立ち上がる。


「分かりました。戻ります」

「ありがとう! では、手を」


 安堵の息を漏らしてからすぐに凛々しくなったドラウトのエスコートを受け、屋敷までの道のりを歩き始める。


「……へくしゅんっ」

「病気か⁉︎ やっぱり転移魔法を使う!」

「ドラウトさ――」


 転移魔法であれば屋敷には一瞬で到着するが、疲労している体には堪える。


 焦った声を張り上げて玄関先から使用人を呼び立てるドラウトの姿なんて、これまで誰も見たことがなかった。

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