第11話 雨女、血色が良くなる
ドラウトの懸念した通り、体調を崩したティアナは寝込むことになった。
低体力かつ屋外活動に慣れていないティアナが温暖地帯で長時間外出していたのだから当然の結果だった。
ミラジーンは片時も離れずに看病してくれている。
せっかく、ミラジーンがコックに頼んで作ってもらったお粥も食欲が湧かず、数口しか食べられなかった。
しかし、唯一、レインハート王国特産の
乾燥地帯だからこその栽培方法で育てられる
ティアナは毎食これだけは必ず食べて、ぐっすり寝て、体力回復に努めた。
「早く良くなってくれ」
失礼を承知でティアナの私室を訪れたドラウトは眠り姫の安らかな寝顔をひと目見て安堵の息を漏らした。
本当なら政務を終えてすぐに駆けつけたかったのだが、洪水被害の対応に追われ、気づけば深夜になっていた。
ドラウトはティアナのために山ほどの
◇◆◇◆◇◆
目を覚ますと節々の痛みはすっかり良くなり、軽やかに起き上がることができた。
しかし、まだ、ぼーっとしていて頭の回転には時間がかかりそうだ。
ふと視線を動かすと部屋の隅でミラジーンがティアナのボロ傘を畳んでいた。
「ミラジーン?」
「ティアナ様!! お加減はいかがですか!? 今すぐに医者を呼びます。このままでお待ち下さい!」
すっ飛んでいったミラジーンに連れてこられたのはおじいちゃん先生だった。先祖代々王族の体調管理を任されているという。
「極度の緊張と過労が原因ですな。失礼しますぞ」
おじいちゃん先生の暖かい手が向けられ、全身をくまなくチェックされる。
回復魔法を応用したものだが、魔力や魔法に馴染みのないティアナは何をされているのか分からず、こてんと小首を傾げているだけだった。
「熱もなく、他に症状もないならもう平気でしょう。好きなものを食べて体力をつけてください」
体調確認が終わると無遠慮に腹の虫が鳴った。
「あ……っ」
朱色に染まる頬をおさえるティアナにミラジーンがうっとり微笑む。
「お食事はお部屋の方がよろしいですか? それとも食堂にいたしますか?」
「みんなと一緒がいいな。食堂に行く」
「かしこまりました」
ミラジーンはティアナの髪を整えながら申し訳なさそうに今後の妃教育について語った。
これまでシエナ王国のケラ大聖堂から出たことのないティアナは世間知らずでレインハート語も堪能ではない。
いくら当代の聖女でドラウトが溺愛しているとしても、このまま結婚して王妃になるのは国民に示しが付かないという結論に至り、教育を施すことになったと説明を受けた。
「嬉しい! 勉強ってしたことなくて本を読むだけだったの」
シエナ王国で暮らしていた頃のティアナは本を読む機会が多かった。大聖堂にある本は全て目を通したといっても過言ではない。
この世界の歴史や精霊や多言語について書かれた書物、聖書、地図、哲学書などなど。
知識量としては申し分ないが、圧倒的な経験不足でほとんどが宝の持ち腐れ状態になっている。
幼少期から勉強嫌いだったミラジーンは教育と聞いて喜ぶティアナに驚き、手を止めてしまった。
「わたし、変なこと言った?」
「いえ。ただただ感服しているだけです」
不思議そうにしている間に身支度が整い、ミラジーンと雑談しながら食堂へと向かう。
すでに着席して一点を見つめてるドラウトの姿を見つけたティアナは勢いよく頭を下げた。
「おはようございます! この度は申し訳なく存じ上げてます!」
声を裏返しながら慣れないレインハート語で謝罪したティアナだったが、目を丸くしたドラウトが吹き出す光景を見て更に顔を赤らめた。
「な、な、なぜ、お笑いになられるのであそばせますか!?」
「やめてくれ、ティアナ嬢っ!? は、腹がよじれそうだ」
壁際に控えている執事も侍女もメイドも口元を隠しながら笑いを堪えていた。中にはどうしようもなくなり退室した者までいる。
「はぁ、まいった。どうして急にレインハート語を?」
笑い涙を拭うドラウトに母国語で優しく問いかけられたティアナは赤面したままで答える。
「だって、レインハート王家流のレッスンが始まるとお聞きしたので」
「あぁ、それで。焦らなくていい。敬語もマナーもきちんと教えてくれる」
「……はい」
「体調はいいのかな?」
「もうすっかり元気です。ご心配をおかけして申し訳ありません。ドラウト様、
屈託のない笑顔にドラウトがたじろぐ。
「全部は食べきれなかったので、余った分は少しずついただきますね」
「いくらでも食べてくれ。またプレゼントする」
シエナ王国にいた頃はお情けで一度だけしか口にしたことのない貴重な果物が毎日のように食べられるなんて幸せすぎる。
ティアナの破顔する姿に胸を押さえるドラウトは使用人たちの視線に気づき、小さく咳払いしてから表情を改めた。
「さぁ、食事にしよう。ティアナ嬢も着席を」
ドラウトの一声で次々に豪勢な食事が運び込まれる。あっという間にティアナの前はお皿だらけになった。
「これ、全部食べていいんですか!?」
「もちろん。まだまだあるぞ」
テーブルに並べられたのは見たことのない料理ばかりだった。シエナ王国とは気候が違うから採れる野菜が違い、調理方法も異なる。
レインハート王国伝統の肉料理の香りはこの上なく香ばしく、ティアナの食欲を更に刺激した。
ふとスプーンに伸ばそうとした手を止めたティアナはスカートを握り、ドラウトや使用人たちを見回した。
これまでは部屋での簡単な食事しか食べていなかったが、今日は初めて食堂での会食だ。粗相するわけにはいかない。
さすがに手掴みで料理を食べるような真似はしないが、レインハート王国のマナーを実践したことのないティアナは不安になってしまった。
「僕は好きなように、好きなものを食べるティアナ嬢が好きだ」
その一言に笑顔を輝かせたティアナは欲求に従い、スプーンで卵料理を掬って頬張った。
教養を感じられない子供のような姿。これまで緊張続きだったティアナが初めて素の自分を見せた瞬間だった。
「すごくおいひいです!」
「それはよかった」
満面の笑みのドラウトに対して、ひやひやしながら視線を右往左往させている女性が一人いる。これからティアナの教育係となる女性だ。
ティアナの食事風景に我慢できず、声をかけたくなる気持ちを必死に抑えていた。
食事の席では教育の話をするな、とあらかじめドラウトに命令されていなければ飛び出しているところだ。
そんな事情など知らず、栄養満点の料理を食べ進めるティアナは自分でも驚いていた。どれだけ食べてもまだ食べられる。
シエナ王国では第一聖女マシュリの意地悪で一日一食の日もあったので、食は細い方なのだと思っていたが実はそうでもないらしい。
あるいはレインハート王国の食事が自分の口に合っているのかもしれない。
そんな風に思いながら料理を平らげていくティアナの姿をドラウトは優しく見守っていた。
「ティアナ嬢、体調が良いなら出かけよう。きみの聖女の力がどれほどのものなのか、是非とも自分の目で確かめて欲しい。でも、無理はさせたくない。辛いなら後日にするから遠慮なく言ってくれ」
「平気です。ご一緒させてください」
ティアナは真実を突き付けられることに少なからず恐怖したが、目を背けてはいけないと複雑な面持ちで頷いた。
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