第12話 雨女、のぼせる
居場所がレインハート王国だったとしてもティアナが屋外に出るとさっきまでの晴天が嘘だったように曇り、大粒の雨が降り始めた。
同時にティアナの気持ちも沈んだ。
(一日中、お外にいたのはいつぶりだっけ。飲み水確保の為とはいえ、やりすぎだったよね。寝込んじゃってドラウト様に迷惑をかけたし)
俯いたままのティアナはとぼとぼ歩きながら町の大通りに差し掛かった。
大観衆の視線がドラウトの後ろを歩くティアナに突き刺さる。シエナ王国で厄介者扱いを受けていた過去が呼び起こされて顔を上げられなかった。
「聖女様だ!」
「あの方がこの地に恵みの雨を降らせてくださったのだ!」
「ドラウト陛下にも聖女様にも心より感謝申し上げます」
数々の領民の声はティアナの想像の斜め上をいくものだった。
誰もがティアナを賞賛し、誹謗の声が聞こえないことに目をしばたたかせる。
「えっと……?」
「感謝こそすれ、憎いなどと思うはずがない。誰もティアナ嬢を責めはしないさ。でも万が一にもそんなことがあったら僕に教えるんだよ」
「はい、ドラウト様!」
涙を浮かべるティアナの手をとったドラウトは先日、一緒に覗き込んだ井戸の前へと向かった。
ティアナの到着を待っていた魔術師の男は井戸から水を汲み上げ、グラスに注いで渡した。
「どうぞ、聖女様」
飲んでいいの? という気持ちを込めてドラウトを見上げる。
ドラウトがしっかり頷いたのを確認してからグラスに口をつけた。
「いただきます」
グラスの中身を一気に飲み干す。
その味はシエナ王国で飲んでいた水――つまりマシュリが生成した飲み水と似ていたが、雑味がなさすぎて味気ないような印象を受けた。
井戸から汲んだ水となれば、先日ティアナが降らせた雨に違いない。
「どうかな?」
「コクがありません。舌触りもなく、独特の臭いもしますね。正直、美味しくありません」
「そうか。僕たちの魔法はまだまだのようだ」
「えぇ⁉︎」
ティアナは自分の聖女としての能力を貶したつもりだった。
しかし、ドラウトと井戸から水を汲んでくれた男性は緊張の面持ちから一変して落胆してしまった。
「この井戸水は浄水魔法を施したものです。本来であればもっと天然の味なのでしょうが、あまりにも土壌汚染が酷かったものですから」
「ご、ごめんなさいっ! わたし、てっきり自分の降らせた雨の味だと思って!」
「いや、いいんだ。目標は明確な方がいい。引き続き頼むぞ」
「承知いたしました」
ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も謝罪したティアナは困り果てた魔術師と別れ、ドラウトの後に続いて町の出口へと向かった。
「ティアナ嬢の雨水は好評だから安心してくれ」
「本当ですか!? よかった」
「何がきっかけだったのか井戸水を汲めるようにはなったが、彼の言う通り汚染されていたから魔法を使うことにしたんだ」
「そうでしたか。まだ問題は山積みなのですね」
もっとしっかりしなきゃ、とドラウトには悟られないように心の中でつぶやく。
ティアナとしては外に出て座っていただけで特に何か役に立つことをした覚えはない。むしろ、汚染された井戸水を飲める水に変えてしまう魔法の方が素晴らしいと思った。
「民たちは味など気にしない。これまで簡単に手に入らなかった水が身近にあるんだ。それだけで十分なんだよ」
「ドラウト様もあのお水を飲んで、湯浴みもされますか?」
「いや。僕はティアナ嬢の水しか飲まないと心に決めた。浄水魔法はあくまでも領民のためであって、僕が飲むのはティアナ嬢からの施しだけだ」
確かに今日の食事の席でも水にだけは手をつけていなかった。
このままでは本当に水を飲まない生活になってしまうと感じたティアナは、早々にドラウトだけの飲み水を工面しなければと決意した。
「湯浴みは臭うなら考える」
そう言うドラウトは服の袖を嗅ぐ素振りを見せた。
「ち、違います! シエナ王国では湯浴みをしたい時にできるんです。それが当たり前の生活になればいいなって」
「ティアナ嬢は本当に優しいな。きみのような人が冷遇されていたことが信じられない。それにティアナ嬢ではなく、もう一人の聖女を選んだというシエナ国の王子は見る目がないな」
「そんなことありません。だって、マシュリ様の方がご立派に聖女の務めを果たされて綺麗でスタイルも良くて。わたしなんかが敵うわけがありません」
謙遜するティアナを横目で見るドラウトは意地悪そうに微笑む。
「でも、実は感謝しているんだ。その王子と聖女のおかげで僕たちは巡り会えたわけだからね。この先、いつ出会ってもいいようにお礼を用意しておかないと」
ドラウトの目はいつになく、つり上がっていた。
「ねぇ、王様」
一人の少年が駆けてくる。ドラウトはすぐに悪巧み顔を引っ込め、凜々しい表情を貼りつけて足を止めた。
必死の形相で追いかけてきた母親は少年の頭を押さえ込んで一緒に謝罪しようとしていたが、ドラウトは手のひらを向けることで「控えろ」と伝え、少年と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「何かな?」
「お日様の具合が悪いみたいなんだ。いつになったら元気になるかな?」
純粋すぎる質問にティアナは戸惑ってしまった。
(なんて難しい質問をするの。わたしが答えないと。お日様を泣かせているのは、わたしなんだから)
「あのね――」
「そうだな。確かに体調は良くなさそうだ」
ドラウトが強めにティアナの言葉を遮る。
そして
「もう少しだけ待っていられるかな。きっとお日様は元気になるよ。きみも風邪をひくだろう? 同じことだ。王様である僕が約束しよう」
はぐらかすのではなく、約束を取り付けたドラウトに少年は元気よく返事した。
「ドラウト様、あんな約束をしてしまってよかったのでしょうか。わたしが外出している限り、この雨は続きます」
少年と別れた後、ティアナは申し訳ない気持ちで胸がいっぱいだった。
自分がこの国に来たせいで少年から青空を奪ってしまった。最初こそ水たまりで遊んでいた子供たちも次第に晴れが恋しくなってきたに違いない。
(やっぱり、シエナ王国にいた頃と同じようにお屋敷の中に引き籠もっていた方がいいのかな)
あからさまにへこむティアナの手が大きくて暖かいドラウトの手に包まれた。
「顔を上げて。僕はティアナ嬢が力を制御できると信じている。明日も明後日もこうして僕と一緒に外出するんだ。いずれはそれもいらなくなる」
「……ドラウト様」
一度手を放して
ティアナの手から傘を取り上げたドラウトはティアナが持つよりも高い位置で傘をさし、微笑んで見せた。
「ずっとこうして並んで歩いてみたかったんだ。あの少年のおかげで夢が叶った」
「そ、そうだったのですか!? これは、その……ちょっと恥ずかしいです」
「嫌かな?」
「とんでもない! ドラウト様がお嫌じゃなければ」
「なら、このまま屋敷まで帰ろう」
ドラウトがどんな表情をしているのか見たくて一生懸命、目を細めるティアナ。
領民たちからすれば、満面の笑みで傘をさす男と、眉間にしわを寄せた険しい表情の女がぎこちなく傘の下の収まる異様な光景だった。
雨傘を初めて見る者ばかりだから尚のことだ。
屋敷へ着こうかという距離まで来たとき、ドラウトはふと思い出したようにティアナを見下ろした。
「そういえば、聖女には精霊紋があるというのは本当なのかな?」
「はい。確かにありますよ。ミラジーンや体を洗ってくれたメイドさんたちは見たはずです」
「ティアナ嬢がよければ僕にも見せてくれないか? あ、勘違いしないで欲しい。決して偽物だと疑っているわけではない。興味があるだけだ」
ドラウトは本当に興味本位で尋ねただけだった。しかし、ティアナは火を噴き出しそうなほど顔を真っ赤にさせて狼狽した。
なんだ、この反応は……!? とでも言いたげな様子のドラウトにモジモジと上目遣いで告げる。
「そんな急に……しかも、お外でなんて。その、まだ心の準備が出来ていませんので、今すぐにというのは、ちょっと……」
「ん?」
もごもご話すティアナは小さな身体を更に小さくして心臓の部分を指さした。
「こ、ここに……あるんです…………精霊の紋が――」
「す、すまない! 今の話は忘れてくれ!」
二人して耳まで真っ赤にして互いに謝罪を繰り返す。
やがて、降り注ぐ雨が蒸発してしまいそうなくらいに上気した顔の二人は無言で屋敷への道を歩いた。
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